インクルーシブ・スポーツで増やそう世界の総幸福量
― 東京2020と途上国の事例 -
第I部 What イズ しあわせ?
幸せって何だろう?What is happiness? 世界中の人間たちはみんな幸せになりたいとねがっている。そして実は幸せが何かわからないまま幸せを探して生きている。この禅問答のような問いに敢えて答えよう。それは「しあわせが何であるか、自分で決められること。」である。この自分のしあわせを自分で決められるようになるために必要な三種の神器がある。
それは、
(1)しあわせになる能力【人間開発】
(2)しあわせになる権利【基本的人権】
(3)しあわせになれる環境【公正で平等な社会】である。
第二次世界大戦後、ヨーロッパも日本も経済復興に全力をあげ、経済発展が世界各国の中心目標とされてきた。この経済至上主義に異を唱えて、国連開発計画(UNDP)が打ち出した開発概念が人間開発(Human Development)[1]である。この人間開発の目的は「選択肢をひろげる」ことにあるとその創始者であるウルハク博士は言う。すべての人間は同様の潜在能力を持ち、教育や就労、医療などのサービスや機会を与えられれば、潜在能力をフルに発揮できるようになり、貧困や飢餓、病疫や暴力から抜け出す選択肢を持つことができる。これより先の1970年代に当時まだ十代の少年だった第4代ブータン国王は「GDPよりGNH(国民総幸福量)が重要である」と提唱し、政府の究極的な開発目標を国民の【しあわせ】と言い切る最初の国家指導者となっている。ブータン政府はこのGNHを9つの分野(精神的充足、健康、時間の使い方、教育、多様な文化、良い統治、地域の活力、環境、所得・生活水準) から測定する方法を確立して、政府の開発計画の審査に活用している。人間開発指標(Human Development Index)の平均余命、教育、所得の3要素よりもずっと幅広く多面的に【しあわせ】をとらえようと努力していることが伺える。2012年から国連の持続可能な開発ソルーションネットワークが発行している『World Happiness Report』が分析の対象としている6要素のうち所得と健康平均寿命以外の4要素に関わる質問が面白い。「【社会サポート】困った時に、いつでも助けてくれる人がいますか?」「【寛大・人助け】先月、慈善のために寄付をしましたか?」「【自由権】あなたは自分の人生をどうするかという選択の自由度に満足していますか?」そして「【良い統治】政府やビジネス界は汚職にまみれていると思いますか?」の4つである。
これらしあわせに関する世界の叡智と努力が教えてくれることを3つの真実にまとめると。
- すべての人間はしあわせになる能力と権利を持っている。
- 国民のしあわせを実現する環境をつくるのは政府の最も重要な責務である。
- 何がしあわせなのかを決めるのは、一人一人の人間である(しあわせは十人十色、決して政府や周囲の人々から強制されるものであってはならない)。
第II部 スポーツとSDGsと世界の幸福量
SDGs(持続可能な開発目標) [2]は2030年までに達成しようと世界中のリーダーが合意した目標である。SDGsは環境、社会、経済の三分野を横断する17の目標を抱えている。日本政府も地方自治体、財界、学界、NGO界を巻き込んで国内のSDGsの達成を推進している。国際社会は、SDGs達成の有力な助っ人としてスポーツに期待しており、アジェンダ2030 (国連文書:A/RES/70/1)の中で下記のように謳っている。
37.(スポーツ)スポーツもまた、持続可能な開発における重要な鍵となるものである。我々は、スポーツが寛容性と尊厳を促進することによる、開発及び平和への寄与、また、健康、教育、社会包摂の目標への貢献と同様、女性や若者、個人やコミュニティの能力強化に寄与することを認識する。
SDGsは、地球上から貧困を完全に無くすることを目指しており、「誰も置き去りにしない(leave no one behind)」ことを誓っている。それでは人間社会の中でそして開発において、これまで常におきざりにされてきたのはどういう人々なのか。たとえば地球上のどの社会においても底辺に置かれて隠れた生活を余儀なくされているのが、障がい者である。身体的・精神的なハンディキャプばかりか、社会的にも経済的にもインフラ的にもハンディを背負わされ「しあわせ」になるどころか、生きるための「基本的人権」すら満たされない環境におかれている。もし、女性であったり、マイノリティ(少数民族、先住民族、異教徒、移民、LGBT等 )であったりすると、さらに二重三重のハンディを背負わされ、差別や迫害の対象となる。SDGsではこうした社会的にパワーレスな人々(弱者)に対する配慮の必要性を繰り返し謳っている。
スポーツが開発目標に貢献する方法として下図の3つの形態が考えられている。最も期待されているのが「スポーツを通じた開発」である。スポーツをすることによって健康を保ち、登校拒否をなくし、コミュニティを活性化し、ストレスを減らすなど、スポーツは他の開発目標の達成のための手段とされる。「スポーツと開発」はスポーツ関連産業の発展やスキー場やゴルフ場の開発が環境や地元社会に与える影響など、スポーツをめぐる開発課題を指す。「スポーツの開発」はスポーツそのものの発展、普及や強化事業を目的としているが、SDGsなどの目標には含まれていないため、開発プログラムからは無視されやすい分野となっている。

それではスポーツは、実際に世界の幸福量を増やすことができるのだろうか。日本のスポーツ基本法(2011)は「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であり」と序文で謳っている。また「スポーツは世界共通の人類の文化である」「心身の健康の保持増進にも重要な役割を果たす」「地域の一体感や活力を醸成する」「公正さと規律を尊ぶ態度」「国民経済の発展に広く寄与する」など、ブータンのGNHの9つの分野のほとんどに貢献すると期待されている。そしてこれらは主として、スポーツを通じた開発そして幸福という形態をとっている。World Happiness Report 2019によると、米国の中学生の統計から様々なActivities(行為)とHappiness(幸福)の関係を分析したところ、睡眠の次にスポーツが幸福を最も感じる行為だという結果がでている。また当Reportは、SNSやゲーム、一人で聞く音楽などが幸福度を減少させる影響があるとスマホ世代への警鐘を鳴らしている。人間同士の直接的な交流やふれあいには幸福度を増やす効果があるのだ。SDGs(持続可能な開発目標)はスポーツの間接的な効果に期待をよせているが、幸福度にはスポーツの直接的な効果が期待できそうである。
第III部 障がい者とスポーツ:東京2020のもたらすもの
『障がい』の定義をめぐっては、従来の医学モデルに対抗して、社会モデルの重要性が認識されるようになり、現在はそれらの統合モデルが浸透している。伝統的に、障がい者にスポーツをさせるということは医学モデルのリハビリテーション(機能の回復)が目的だった。社会モデルにおいても、障がい者スポーツの目的を参加すること、社会的な自立を助けることに重点がおかれ、競技性を高め、大会などで競い合うことが目的ではなかった。心身の健康の回復や維持、自立や社会参加を目的としている障がい者を取り囲む環境(統合モデル)においても、障がい者スポーツは健常者のスポーツとは異なる性格のものと認識されている。障がい者スポーツの振興や障がい者アスリートへの支援が厚生労働省から文部科学省に移管されて健常者のスポーツ振興と一体化されたのは2014年のことである。

障がい者スポーツは、障がいの種類と程度によって様々な組織が独自のシステムを用いて運営・振興を行っている。競技性の高い大会としては、身体障害を中心に発展してきたパラリンピック以外にも、ろうあ者を対象とするデフリンピック、知的障害を対象とするスペシャル・オリンピックなどが知られている。選手が公正で平等な条件で競争できるように考えられたのが、身体機能・構造の障がいの程度によって行う【クラス分け】である。例えば卓球では、車椅子で5クラス、立位で5クラスに分かれている。これに対して、選手の年齢・性別そして競技能力のレベルで分けて競争させるのが【区分分け】である。区分分けはスペシャル・オリンピックで用いられている。健常者におけるマスターズや一部二部などに別れて競うのも区分分けの一種といえよう。ろうあ者のスポーツ組織はパラリンピックとは決別して、独自の道を歩んでいる。知的障がい者の場合は、クラス分けの問題があり、陸上、水泳、卓球の三種目だけがパラリンピックに参加が許されている状況である。

注目度の高いパラリンピックの参加種目であるかないかで、政府の支援や企業の対応、メディアの関心に大きな格差が生まれていることも指摘されている。東京2020を目指して私がコーチ監督している知的障がい部門の卓球アスリートたちは、地方自治体からの支援や表彰、企業の雇用、メディアへの登場機会など、周囲の関心が高まっている。
東京2020において、日本はオリンピックとパラリンピックを平等に扱うことを決め、メダル獲得に向けたパラスリートへの支援も厚くなっている。メディアの関心も高まっており、パラリンピックは社会面ではなくスポーツ面で扱われるようになった。東京2020が世界に誇れるレガシーを残せるか否かは、パラリンピックの成功にかかっている。インフラのバリアフリー化ばかりではなく、日本人の心のバリアフリー化、そして障がい者を取り巻く日本社会のユニバーサル化につながる契機となれるのかどうか。東京2020へ向けての多大な出費よりも2020年以降の行動にその成否が問われている。
第IV部 途上国における活動事例: 恵まれない子供にスポーツをとどける
「スポーツを通じて世界の幸福量を増やす」貢献ができないだろうか。大学卒業後、青年海外協力隊でペルーのナショナルチームを教えていた時、南米ジュニアチャンピオンになった女子選手が、今『Impacting Lives』というペルー国中の小中学校で卓球を普及する活動を行っている。すでに120校2万人あまりの恵まれない子どもたちに卓球をとどけている。私も国連時代に、ノーベル平和賞を最年少で受賞したマララさんが生まれ育ち銃撃されたパキスタンのスワット地域で、女性や障がい者も参加するスポーツ祭「2011 Spirit of Swat」を企画し日本からの資金援助で開催できた。紛争からの復興を願い2万5千人もの人々が集った。現在は、ブータンとミャンマーで障がい児を含めた卓球の振興を支援している。ミャンマーの障がい児センターを訪問した時に、大半の子供が卓球のラケットを持つこともできない現実に突き当たった。これでは障がい児の中に差別を持ち込んでしまう。「Leave no one behind (誰もおきざりにしない)」は、一人一人の幸福量そしてコミュニティ全体の幸福量を増やすためにも最も大切な原則である。私は”卓球バレー“という盲人卓球用のボールを使い座ってプレーできる6人制の球技を導入することにした。私の活動に賛同してくれる方々から、たくさんの使わなくなったユニフォーム、ラバー、ラケット、シューズなどを寄付していただき、ペルーの教え子や障がい児施設や卓球協会などで再活用していただいている。

第V部 まとめ
“Sport for all(みんなにスポーツを)”という概念は1960年代に西ドイツの「ゴールドプラン」に始まり、1975年には“ヨーロッパSport for All憲章” が採択されている。今では国際オリンピック委員会(IOC)がSport for Allの振興をその目的に掲げて世界のリーダー的役割を担いつつある。国際パラリンピック委員会(IPC)はInclusive Society for All(みんなのための共生社会)の実現に向けて活動している。私は、“障がい”スポーツと“生涯”スポーツはスポーツ界の横軸と縦軸、幅と長さ、であり、基本的には同質なものだと考えている。年代別という高齢者スポーツのための区分けは、機能別という障がい者スポーツのクラス分けと同じ性格のものであり、将来的にはこの双方を合わせて総合スポーツとして発展するべきものである。そのそれぞれのカテゴリーの中で競争し、頂点(高さ)を追求するのがアスリートたちである。

現実の世界や社会は、実はスポーツをする機会もない子どもたちであふれている。難民キャンプでも孤児院や障がい児施設でもスポーツは人権ではなく、贅沢なものと考えられている。私は、【恵まれない子供+スポーツ=幸福量の増加】という方程式が世界の幸福量を増やすために有効な手段であることを証明することは、私やボランティアの方々の幸福量を増やすことにもつながるはずである。
幸福量を増やすために、明日からでもできること。
1.おきざりにされている人を見つける
2.必要なことを尋ねる
3.できることを実行する
4.自分を受け入れてくれる相手に感謝
5.行動できる自分と周囲に感謝
[1] 1990年にMahbub ul Haq博士やのちにノーベル経済学賞を受賞するAmartya Sen博士らにより、国連開発計画より最初の人間開発報告書(Human Development Report)が出版されている。
[2] Sustainable Development Goalsの略称。