月別: 10月 2014
10月26日 湘南台祭り、沖縄太鼓と腰ふりサンバ
湘南台祭り、毎年この時期なのか、以前見たときとだいたい同じグループが、行進に参加している。沖縄太鼓の一団は統率がとれて見ていて気持ちがいい。沖縄という風土は独特の文化を育てていて、一つの独立した文化圏を形成しているようだ。琉球国という日本本土と物理的にも精神的にも一定の距離をおく自負と海へ開けた自由な気風がなせる業であろうか。
サンバチームの際どいビキニダンサーらが初老のカメラマンたちの期待に応えて腰をリズミカルに振動させる。熟年の女性たちは、全身を覆うサーカス的ないでたちで、迷うほどの魅惑を振り撒いている。
3年前だったか、その時に見たダンサーとはまた顔(腰)ぶれが相当変わっているようだ。日本の街並みをほとんど裸と言っていいあられもない格好の若い女性が練り歩くのは、時代の変化というだけでは説明できない凄みを感じさせる。
日本の精神風土は、特異なものに対して憧憬と拒絶の両極端の反応を見せてきた。
これが、個人レベルでも社会レベルでも、同時にも交互にも起きる。今は女性が推進力になって、古いしがらみを拒絶して、より開放的な海外諸国の習慣、文化を取り込んで、日本社会における日常生活の冒険として売り出しているようにも見える。外国の女性にできて、日本の女性にできないことはないとでも言いたげである。ブラジルの女性のように積極的参加型でサンバを楽しめる才能と魅力を自分たちも持っているんだと主張している。確かに、見る方も見せる方も楽しんでいる。社会から日陰に追いやられていたヌードショーの文化から、サンバの超露出オンパレード文化への昇華は、現代女性に主導された一つの解放、ルネッサンス的な運動なのかもしれない。
スポーツや音楽・芸術の世界では、新しいものが国境を越えて広がるのが早い。ジャズやレゲエが世界中に広まるのは一瞬で足りた。ちょうちんブルマーからタイトなパンティ型に変わったり、女性アスリートがほぼみんなビキニ姿になったのもルールが同じで結果勝負のスポーツ界ならではの現象だろう。
祭りは固有の文化をその土地の住民が一体になって体現するもの。土地社会、町の景観や風物詩的なものと切り離しては考えられない。かといって、他の地域で根付かないわけでもなさそうで、分根や接ぎ木した場合でも、異なる風土・社会でまた違った味を見せてくれるものなのかもしれない。
10月24日 Edge of Tomorrow ゲーム的人生劇場
NYからついに旅立つ。
飛行機の中で映画を見る。Edge of Tomorrow (Tom Cruise主演)は桜塚ひろし氏の小説・漫画を題材にしたもの。Alienとの戦いで、死んだらまた時間が前に戻って同じ状況を何度でも繰り返し体験できるという設定だ。何百回も死んで、同じストーリーに何百回も繰り返し挑戦を続けることで、このゲームをついにクリアーするのだ。こうして書くうちに、ははあー、著者はコンピューターゲームの中に住む登場人物たちのストーリーを描いたのだと考えると合点がゆく。映画ではタマゴッチのように主人公がゲームを繰り返しながら確実に成長していく過程が描写される。何度も挑戦を重ねるにつれて相手の動きを覚え、自分の操縦技術も高度になって、最初の時とは格段に成長、進化していくのだ。ゲームの規則で、死んでも蘇られなくなる非常事態も想定されている。これは、ある登場人物をゲームから完全に消し去るということが可能なゲームになっているのか。輸血されるとゲームを二度とできなくなるという設定は、(コンピューター)ウイルスに侵されることがあるということなのだろうか。主人公がalienをついに倒したときに、そのパワーを再投入されて生き返る力を回復する。このステージをついに征服したためか、再開時のステージが変わる。主人公は次元の違う場所から始めることとなる。
ただこのゲームの繰り返しが人生そのものという状態は精神的には耐えられないものだ。痛みも常にある。殺される時の恐怖、体を引き裂かれる激痛、これを何百回も繰り返そうなどとだれが思うがろうか。常に戦って死と向き合っていくのはつらい。
以前に毎日寝ると自分の記憶をすべて失う女性が主人公の映画を見た。朝起きるとまず、フィルムを見るようにという説明書きを読まされる。そこで自分が誰なのか。これから会う人が誰であるか、自分との関係を知らされる。そして、そのフィルムの記録を自分の記憶として認識してから、新たな一日を始めるのだ。
この映画は、それとは逆のパターンである。自分以外のすべての人間が自分の経験した彼らの未來の記憶を知らないのだ。だから、主人公が必要な人にその記憶を毎回説明しなければならない。これを何百回も繰り返し行う。その中で自分だけは実戦体験を反復して経験し、修正とステップアップを繰り返し、自分がそのステージで生き残れる実力と知恵を身につけてゆく。ステージの中での自らの死が、Game OffとGame Onのスウィッチとなる。その間は記憶がない。少なくとも自分の記憶の中では、スウィッチはOffとOnが同時にくる。
こんな設定はあり得ないことだと、最初は思っていた。しかし、それは思い違いだった。世界中の大半の人が、とくに子供たちがこの状況を毎日疑似体験している。コンピューター、スマホ、ゲーム機を通じて、ゲームと言う形で。もし、同じ状況と状態で、何度でも同じシナリオにチャレンジすることが許されるなら、誰であろうとも、初めての時よりもずっとより良い結果を出せるようになるものだ。実際に、私の子供らも私よりもずっと楽に、実に見事に各ゲームのステージを主人公とともにクリアしていくようになっている。朝から晩まで、何百回も同じゲームをやり続けた成果である。
学習効果というものが、人生にあるとすれば、如何なる結果をもたらすのだろうか。このEdge of Tomorrowが一つの答えを提示してくれているようだ。仏教界で提唱される輪廻転生も、記憶はなくなっても、その業(カルマ)を受け継いでゆく、一つの魂の物語なのだろう。ダライラマのように生まれ変わりながら、一貫した目的を持って同じ魂のそれぞれの人生を全うしてゆく。この現世にもEdge of Tomorrowの発想の原点がちりばめられているようだ。
If we can do it all again、tell me, could we? would we? (The Way We Wereの歌詞)
Are there anything that you think, you could have done differently? (Interviewによくある質問)
It is obvious that anyone can improve and do better than the first time, if given one more chance, and again and again with the same condition including your age.
10月18日 Jazz
New York勤務になって最後の週末になるかもしれない。土曜日はJazzの歌のレッスン。天野先生との個人レッスンも今年はこれが最後になる。約一ヶ月ほど、短いが相当に密度の濃いトレーニングだった。自分の地声を発掘する作業。呼吸法で腹の底を深く堀りさげる。丹田を耕して、自分のオーガニックな生の声を収穫するという有気農業のようだ。Jazzというのは至高の自己表現のなのだろう。自己表現するには自分を知らなくてはならない。先生には自分の地声が相当に低い太い声だということを教えてもらった。野太い低音をあたりにしみ渡るように発声できると歌のクオリティが格段にあがる。それだけでJazzって感じがでてくる。
もっと凄いことは、会話をする自分の声をこれまでよりも低音の声域に変えられたことだ。天野先生からは、低い声で話すようにと勧められた。低い声の方が、聴く方もわかりやすく、より説得力がでるという。しかも、女性にとっても男性の低い声により魅せられるというのだからいいこと尽くめではないか。
そこで、これからの日常生活で守るべきことは、次の三点:
- 背筋を伸ばし、姿勢をまっすぐにして座る。歩く。
- お腹で呼吸する。
- 低い声域を使って話す。落ち着いて、感情の起伏を声に出さないこと。
土曜日に、Something JAZZというEast 52ndのお店で天野昇子先生の歌を聴きに行く。ピアノは奈良はる子さん、BassがMurry. ドラムは飛び入りのビジネスマン。ジャズクラスの先輩の吉田氏が、一曲歌った。ジャズのバンドというのは、個性の集まりで自由度が高いだけに、感性や息が合うことが重要らしい。慣れないメンバーとうまくかみ合わないと相当に疲れて苦心するようだ。天野先生は、Autumn Leavesを斬新なアレンジで歌った。私の最初の持ち歌で、スローな歌い方を習ったが、アップテンポな感じで、まったく違った曲感になっていた。ジャズだねー。
RIKI(East45th, 3rd AveとLexの間)というレストランで打ち上げ。鹿児島の焼酎をボトルで2本空けた。RIKIはNo Tipポリシーのお店で、私がニューヨークで一番気に入って行きつけているお店だ。店長は昔卓球をやっていたことがある。6人で思いっきり食べて、US$305だった。お勧めです。
10月16日 林住期
ブログで日記を綴る。そんな時代の雰囲気。昔書いた日記は、みんな段ボール箱に入って、マニラの倉庫で眠っている。ブログならどんなに昔でもそのサイトで待っていて、どこからでもアクセスすることができる。写真も一緒に置いておける。空気よりも軽く、気軽にインターネットに無料で置けるのですこぶる便利だ。
あまり秘密は書けないかも。しかし、折角山のように書き溜めた日記を誰の目にも触れさせずに燃やしてしまう海辺のカフカのような話もあるし。公開されると後悔するようなことは、書かなくていいのです。忘れようとしても忘れなれないことは、自分の胸に刻まれていればそれで十分以上でしょう。
林住期は、人生を4つのステージに分ける古代インドの概念で、人生の第3ステージにあたる。最初は学生期、師についてヴェーダを学ぶことが人生の中心目的。次が家住期。家庭を持ち、自分の回りの人々のために働いて、子育てをやり遂げる。孫ができるようになったら、林住期の始まりだ。家を出て、山にこもる。自然の中で、自分が生きるための自然な生活を営む。五木寛之は、この林住期、現在で50-75歳の年齢層の人々が社会の束縛を離れ、自分のために生きる時期だという。同感である。私の林住期は、幸せを開発することを道楽としたい。孤児の幼子たちが学生期を過ごせる学び舎、学園をつくりたい。この学園は、基本的に公教育以外の時間をすべて使っての課外授業を行うことを目的とする。スポーツ、芸術、音楽、舞踊、映画、IT, 文学、料理、等々、少なくとも一つか二つの分野で練習及び学習三昧させて、殊技能を持たせる。その分野で、ナショナルチャンピオンになれるように育てたい。この学園を卒業すると、子供たちも若者となり、自分の家住期に入っていく。彼ら、彼女たちは、孤児の後輩たちの親代わりとなり、自分の収入の一定比率を学園に仕送りする責任を負う。同時に卒業生は、学園の株を持つオーナーとなり、その運営を徐々に任されることになる。順調にいけば、第2、第3、第百の孤児の学園をいろんな国でチェーン展開できるはずだ。
70代も後半になると、最後の遊行期にいたる。すべてを捨て去って天涯孤独な人生を送ることがその本質らしい。すべての強欲、煩悩が消えて、天命を待つのみである。
私は、人生の始めに天涯孤独になった子供たちに、学習三昧できる学生期と与えることを遊行としたい。そんなことを50歳になってから考え続け、いまや54歳となった。
その思いは変わらない。早期退職か、あるいは仕事をなんとか見つけて、資金をもうしばらく稼ぎながら、同志を見つけてプロジェクトを始めたいと思う。
私は、ミャンマーでこの孤児学園を始めようと考えている。30年前に青年海外協力隊員としてコーチしていたペルーでも、卓球仲間と一緒にスポーツを中心に幸せ開発を始めたい。ブータン王国は幸せ開発の原点の国。近いうちに再訪して、幸せエネルギーの源流を探ってみたい。