ヒトの脳と人間の精神的世界

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以前のブログ(オリンピズムと人間の進歩 « Happiness via Ping Pong (happy-development.com))で英国の歴史家トインビーの考えについて以下のような話をした。

「人間は非人間的自然を処理すること」は得意であるが、自分自身を含む「人間の内部にある人間的自然を処理する」ことには不得意だという。そのため、人類誕生以来現代にいたるまで「非人間的世界」における顕著な進歩と、人間の内部の「精神的世界」における未成長または非進歩という、トインビーのいうところの著しい不釣り合いによる「この地上における人間生活の一大悲劇」が進行中である。地球温暖化や紛争や貧困は、その人間の業ともいうべき「悲劇」の産物と考えられる。

今回は、ヒトの脳と人間の精神的世界との関係について考えてみた。

人間内部の精神的世界をつかさどるのが、類人猿を始めとする他の動物よりも極度に発達した人間の「脳」であることに疑いはないだろう。人間という生物が持つ「脳」という器官の中でそれぞれの人の精神的世界が生まれて、成長して、いろんな展開をして、消えていくものなのだろう。これを「魂」と呼んで、DNAのように脳を入れ物または乗り物として「前世」から「現世」そして「来世」へと転生していくものとする解釈も、(私自身を含めて)一般的に信じられている。身体を離れた魂が存在するとしても、その魂は、生きていたときの記憶をよりどころとし、そのときの所業に伴う因果を背負うものと考えられている。

脳=精神的世界における思考活動には決まった限界が存在しないという思いを抱くのは、私だけではないだろう。しかしながら、脳は生物学的に有限な存在であり、肉体とともに死に至る存在である。人間の精神的世界が肉体の檻から開放されず、その進歩も生物学的進歩に準じているのは、魂という存在が人間の脳と切り離せないものであることの証明(あかし)なのだろう。

さて、人類誕生以来、脳は発達を続け、その大きさも2百万年前の4倍程になっているそうだ。しかし、この人間の脳が3千年前からは縮小に転じているらしいのだ。この原因について、蟻の脳の進化と比較した研究報告(デシルバら, 2021) がある。その報告によると、人間社会の拡大に伴い、個人の知性に基づく判断よりも(専門家などの)集団的知性への信頼と分業が進んだことで、人間の脳が効率化して、縮小に転じたということらしい[i]

「人間はポリス(社会)的動物である」と言ったのはアリストテレスである。蟻や蜂は社会性昆虫と言われ、女王を頂点として階層化された集団社会を形成することで知られている。その蟻の脳の進化と人の脳の進化と比較できるということ自体、想像し難いことであり、不可思議そのものである。脳の生物学的な発展の長い過程に比べてみれば、魂の記憶はあまりにも短いようだ。おそらく同じ人間として転生できたとしても、前世一代の記憶があることすら稀有という話が、転生モノの多いアニメの世界ですら常識となっている。魂は一人の人間の精神的世界(あるいは人格)を宿すものとして考えられている。しかしながら、その精神的世界は次の世に引き継がれることすら稀有であり、三世とはもたないようだ。個々の人間の魂という名の精神的世界にも寿命があるということなのかもしれない。


[i] 大きくなりすぎた人間の脳を維持するためのエネルギーコストは馬鹿にならないので、脳を効率化(ダイエット)する必要があったという説がある。

Toyinbee, Arnold J. (1948). Civilization on Trial. (アーノルド. J. トインビー. 深瀬基寛(訳) (1966). 「試練に立つ文明」 社会思想社)

DeSilva, J. M., Traniello, J. F. A., Claxton, A. G., & Fannin, L. D. (2021). When and Why Did Human Brains Decrease in Size? A New Change-Point Analysis and Insights From Brain Evolution in Ants. Frontiers in Ecology and Evolution, 9. doi:10.3389/fevo.2021.742639

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