村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」

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これまでの小説家のイメージとはかなり違うようだが(と村上氏も回想する)村上春樹はランナーである。

小説家になってしばらくしてから、運動もせずブクブク太りだした自分を見て、長く小説家として生きていくには、体力と健康が重要であることに気づいたとのこと。千葉の田舎に住んでいたとき、近くにはジムもスポーツ施設もないことから、近くにあったどこかの大学のグランドで毎朝走ることにしたのがランナーになるきっかけらしい。毎日1時間、約10-15kmを走るというのだから、中高の陸上部の部員なみである。一日60本ほど吸っていたタバコもやめたという。毎年マラソンも走っている。これは、小説家としての成功を問わず、人生でいちばんの快挙と言ってもよさそうだ。毎日、4-5時間集中して小説を書き続けるという作業は、じつは、相当に体力を消費する行為なのである。(私が思うに、おそらく執筆という活動は、将棋や囲碁の棋士たちが盤面に向かい次の指し手を求めて苦闘しているときと同じような体力、気力、労力、脳力を使う行為なのだろう。)

それでも、瀬古監督に、走るのが嫌になったことはないですか、と質問して、何度もありますよ、との答えを聞いて納得したというわけで、走ること自体は決して楽なことではない。ただ、学校では運動が嫌いだった自分が、走ることを好きになった真因は、それがやらされているわけではなく、自分の自由意志でやっていることだからだという。

北海道のウルトラマラソンに参加して、100キロを完走したときのことの追想が書かれている。75キロまでの道のりで、すべての身体の筋肉や臓器が走るという行為を拒絶して、走ることをやめさせようと反乱や革命を起こそうと躍起になる話がある。しかし、そこを抜けると、急に反乱が鎮まる。身体が走ることを目的とするマシーンのようになって、走ることを苦にしなくなったというのである。それから200人ぐらいを追い越してゴールしたときは、達成感はあっても強い疲労感はなかった。無論、そのあと数日はまともに歩けなかったそうだが。問題の核心と思われるのは、このウルトラマラソン完走のあとで、村上春樹氏の走ることへの情熱というかやる気みたいなものが減退したと思われる記述があることだ。再びランナーとしての日常に戻るまでに時間がかかったという。体力の衰えを感じ、自分の年齢に合わせた走り方を考えることとなる。ウルトラマラソンという通常の身体コンディションを遥かに超える高負荷のイベントに参加したことで、身体が悲鳴をあげたのだろう。(私も2-3年かなり無理な練習をして、右肘の軟骨がすり減り、変形性関節症になった。そしてこの変形した右関節は決して元には戻らないと医者に言われた。)その話を聴いたときに、心理的・人間的な側面からは深い学びがあったのだと理解できたが、身体的な側面からはウルトラマラソンに参加したことはマイナスに働いたのではないかと思われた。とはいえ、村上春樹氏自身は、今はトライアスロンにも参加して、水泳や自転車レースをマスターしようというのだから、それは、不撓不屈の前向き精神と称えてもいいものではなかろうか。

以上、そんなことを思ったことを語ってみました。

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