「誰か Somebody」 宮部みゆき著 (親子や姉妹というSomebody)

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杉村三郎シリーズ①

編集のおすすめ、というリストにあったこの本を聴いてみた。これは推理小説なのだろうか。複雑な心理状態を心の底にしまいこんだ家族ストーリーのようだ。

ストーリーA:

誘拐されトイレに閉じ込められた姉の4歳の記憶は、じつは、若い女性社員の悲運な父親殺しと両親の遺体遺棄幇助という法を犯す行為と結びついていたこと。これは電話による告白という調査とか推理とかとは別な次元で解明したことである。すでに亡くなった両親とともにお墓行きにするのが妥当という判断。

B:自転車によるひき逃げ及び過失致死事件。中学生の男子が、学校カウンセラーと親に付き添われて、自首することによって解決をみる。未成年の少年に対するカウンセラーや警察官の思いやりと父親を殺された姉妹のとくに妹の焦燥の対比が、この自転車事故多発という社会問題に対する取り組みの現状を推測させる。杉村三郎本人も自転車事故に遭遇する。ひたすら謝り続ける自転車のドライバーと軽いけがで手当てを受ける被害者の自分というこの社会で頻繁に起こっている日常的なシーンを、ひき逃げ殺人に至った行為との対比として著者は提示しているようだ。


自分の給与を盗み、暴力をふるう父親を過失致死させてしまった非力な娘と、自転車でぶつかった相手が打ち所が悪くて死んでしまった少年とでは、かなり共通した部分があるように感じられる。

C: この小説のほんとうに怖いところは、これからの未来のある姉妹の人間関係である。

もっとも両親に愛され、明るく、美しく、家族のしあわせの象徴として育ってきたはずの10歳下の妹が、姉の婚約者を寝取ることを性癖とする猟奇的な高校1年生の少女と化していたこと。そして、その性癖は成人になっても、おそらくこれからも彼女の自我の深部に根を張りつづけているだろうということ。

この妹のサイコパス的な成長の過程については、両親に頼りにされている姉を妬む気持ちがあったことは認められるにせよ、小説ではほとんど説明されてはいない。それはミステリーではない事実として扱われ、その唐突のなさと救いのなさが、いささかの澱となって心に残った。

うわべだけではなく、まともでほんとうにしあわせな家族があるとすれば、そこには推理小説とかミステリーは生まれてこないのかもしれない。事実だとすればあまり愉快ではないことだなあ。

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