Essay
LINE・神奈川県療養サポートの体調報告(1)
今日から、神奈川県療養サポートで毎日一回の体調報告を行うことになる。
登録しておいたLINEで、朝7時半に体調報告のお知らせが送られてきた。
これに気づいたときが、午前09時18分。
回答を開始すると。
(1)息が苦しいですか。という質問。(答え)いいえ。と答えると
(2)現在の体温を選択してください。という指示。体温を測って、36.3 を選択する。
(3)パルスオキシメーターはありますか。 (答え)いいえ。 保健所の人からは私のところにパルスオキシメーターが届くまで2-3日かかると言われている。
質問は以上です。 かなり、簡単な質問事項である。
何か問題があれば、コロナ119番という表示をタップしてくださいとのこと。
9時半前に回答したのだが、結局、電話があった。同じように「体調確認」される。しかし、これも途中で突然音声が途絶えてしまった。そのあと、下記のような指示がLINEであったので、再度「体調報告」と入れたら、もう一度、朝と同じ質問がでてきた。同じように答えて、終了。
この体調報告を、今日を含めて8月16日まで3日間続ければ、自宅療養が明けて、自由人となる…のだろうか。





コロナで咳やのどの痛みがあるときの薬
8月12日にリモート診察を受けて、その日の夕方に薬局から送られた薬パックは翌日の昼時に着きました。そのパッケージを紹介しておきます。症状に応じて、服用することになりますが、今のところ、葛根湯、カルボシステイン、デキストロメトルファンとブデホル吸入を服用しています。効用については、下に添付した説明書を参照してください。
ペルーの友人から、生姜湯にハチミツを入れて飲めとアドバイスされたので、生姜を吸って、ハチミツと混ぜて飲んでいます。
インドで夫婦でコロナ陽性となった友人は、ネプライザー(口や鼻に当てる薬入りの蒸気)を日に何度か使っていたといってました。私は知識がなくて、下の写真を送ってきてくれましたが、これはブデホルと同じような効果があるのでしょうね。

コロナ自宅療養の決定(self-quarantine at home)
8月13日
朝9時、ついに保健所から電話があった。昨晩6時と6時15分に電話したけど不通だったとこと。しかし、私の電話には着信記録はなかった。?? 本人確認、職業、国籍、家族構成を訊かれる。家族との接触の程度、状態などの説明。
コロナのワクチン接種について、7月27日に一回目終了。8月24日に二回目の予定。
検査に至った経緯についての説明。7月27日のワクチン接種のあとで発熱があった。その後は収まって、体調はベストではなかったが、運動は普通にできた。先週から喉が詰まる感じで咳が出始めた。検査をしようと思った理由としては、喉の奥に苦味があったり咳が定着してきたため。それは先週の金曜日(8月6日)あたり。
長いやり取りの末。8月6日を発症日とするのが適切だろうということで合意。「そうすると、療養期間は10日間なので、8月16日までを療養期間とさせていただきますが、大丈夫ですか。」「まあ症状があまり変わらないし(私)」
「変わらないですよね。あの。咳は、残っちゃうんです。一ヶ月とか2ヶ月とか。どれくらいかは人によるんですけれども。」
「あの、喉の奥に、胃が悪くなったときのような違和感があるじゃないですか。(私)」
「イガイガした感じですよね。わかります。それはたぶん残るんじゃないかと思います。」
「えっ?残っちゃうの?(私)」
「咳とか、口の中の変な感じ、あと味覚・嗅覚障がいのある方は、コロナの場合だと、戻るのに長くかかるみたいです。」
「重症化する可能性はあるんですか。(私)」
「熱とか体温は正常なんですね。そういう場合は、療養があければ、外出可能となってくると思います。症状は多少残っていても、人に感染(うつ)す可能性は低いという判断になるので。」「最終判断は県が行うんですけど。このあとで、LINEとかで登録してもらうことになります」
「PCR検査とかはしなくても?(私)」
「検査をしても、体の中には、コロナの残骸や死骸などが残っている状況なんです。それで陽性と出ることがあるんですね。ですので、急性期の症状がないと、人に感染す可能性がないという判断を国が出しています。」
「最後の3日間で、発熱やひどい頭痛、筋肉痛、倦怠感とかなければ、療養が終わるということになります。その判断は県が行うので、この電話が終わったらLINEで登録していただくことになります。」
あとの質問は、既往症、使用している薬、身長・体重など。自宅で不自由していること。そして保険証の番号。
県から無料で食事が届けられるサービスがあるとのこと。魅力的なオファーだが、3日後ぐらいから開始するということだったので、療養明けとなってからでは税金の無駄遣いになるやもしれず、遠慮することにした。
最後に、この親切な相談員の方は、保健所からの連絡が遅れたことを、侘びてくれた。私がPCR検査したセンターのクリニックからの報告も、基本的には、検査の翌日の夕方ぐらいになるとのこと。昨日午後6時に電話しようと努めたわけだから、報告受領後24時間で連絡を試みたことになる。特にこちらから相談できる担当がいるわけではなく、いろんな部署の応援者で対応しているとのこと。行政崩壊というよりも、行政逼迫という状況かな。
神奈川県療養サポートのLINE登録のむずかしさ
神奈川県療養サポートのLINE登録 では、四苦八苦した。まずスマホでは見れる指示が、コンピューターで見るLINEでは見ることができないことがわかった。おかげで最初の登録に失敗した。
再度スマホで挑戦したらうまくいった。
しかし、生年月日の提出で、カレンダーが出るのだが、2021年8月13日の表示から始まっている。ここから一ヶ月ずつ ”<” のマークを押して自分の生年月日までカレンダーをめくっていく。61年x12ヶ月+2ヶ月=734。734回押して、やっと1960年6月のカレンダーに到達して、提出ボタンを押したのだが、すでに時間切れだった。目の前が真っ暗になった。
コンピュータのLINEを見ると、自分でも数字を入れられることがわかった。こちらは、コンピュータを使って記入したら、やっとうまくいった。これって、高齢者にはとても無理なシステムじゃないか!?
コロナ陽性人間 二日目 保健所からの連絡待ち
調子は変わらない。これまで2週間以内に会った人たちには全員連絡して、みんな何の症状もでていないことを確かめた。PCR検査をしている人、二回目のワクチン接種を済ませた人もいる。濃厚接触者の基準に合う人もいないようだ。
保健所からの連絡はない。
喉の調子は変わらない。久しぶりに音楽を聴いて、歌を口ずさんでみた。かなり咳が出る。
のど用のドロップをなめたり、のどスプレーを何度も喉の奥にかけているが、状態に変化はない。
テレビを見ると、重症化したケースの話が頻繁に出て、医療崩壊を叫んでいる。
自宅療養といっても、薬さえないのでは、単に自宅待機と同じ。療養とはいえない。
12時30分、知人の医者に家族が連絡してくれて、保険証を送信する。
親切な女医さんが、電話でリモート診断をしてくれ、薬を送ってくれるという。これほどありがたいことがあろうか。「リモートの薬」は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のようにお釈迦さまの差し出した救いのようだ。でも、この救いの糸は、おそらく何百何千のCorona患者の重みには耐えきれないものなのだろう。医療逼迫…
午後5時56分。薬局から電話があった。住所の確認と、ドアの前に薬を置くが、その時に、配達人と顔を合わせることもできないという説明。明日の何時になるかはわからないとのこと。
保健所からの連絡は今日もなかった。医療崩壊の前に、行政の方に崩壊のサインが出ているようだ。
Corona Positive Man コロナ陽性人間になる
8月11日、6時半。目が覚めて、まだ喉の調子が良くないことを確認。
スマホには、ショートメールは来ていない。自分で結果確認サイトにアクセス。結果が出ていた。陰性でありますように!
『陽性』『Positive』
もう一度、見る。 『陽性』『Positive』
名前を確認する。私の名前と生年月日。確かに私だ。

そうか。Positiveか。Negativeであることを求められるこの世界で、ついにPositive側の人間になったようだ。
ミャンマーで、社会から疎外されていた、HIV-Positiveグループを結成して、彼ら・彼女らのパーフォーマンスに飛び入り参加して「乾杯」を熱唱したことや、自宅の庭でBBQパーティを開いて一緒に踊ったことを思い出す。
Corona Positiveって、どんな世界だろう。最近、当時一緒に仕事したミャンマーの国連の同僚が二人Coronaで亡くなったばかりだ。パキスタンの国連の同僚は家族でコロナに罹って、無事に完治したとFacebookで報告していた。
上のアパートにいる妻にLINEで「陽性」だったと報告。「すまない。面倒をかける。」「なにか食べたい物がある?」「お粥と味噌汁が食べたい」
9時半、説明書にあった、藤沢コロナ受診相談センターに電話。陽性だったことを伝え、今後の対応を尋ねる。若い娘さんの声はやさしく、親切だった。どの医療機関でもみられなかった、初めての温かい対応。私のように咳とかの症状があるという場合は、担当の医療機関から電話の聞き取りがあって、保健所に通知するとのこと。そのあと、保健所がその日のうちに本人に連絡してくるのだそうだ。最近は遅れることもあるとのこと。家族は住む所が違えば、本人だけが自宅療養することになる。発症あるいは検査してから10日間の自宅療養が求められ、症状がなければ、それからは普通の人になるという。「えっ?それだけでいいの?」「陰性証明とかなくてもいいんですか?」「コロナで陰性になるには、一ヶ月とか時間がかかります。」「発症してから、10日間で感染力はなくなる」という国の基準があって、それに準じた対応とのこと。確かに、紹介された、「新型コロナウイルス感染症 自宅宿泊療養のしおり」にはそのように説明されている。

9時59分、川崎検査クリニックから電話。医療従事者と思われる男性が「田中さんですか。陽性という結果が出ております」「はい、知っています」
コロナの症状について問われる。2週間前の第一回ワクチン接種のあとで発熱があったこと。先週から喉が詰まり、咳の症状が続いていることなどを説明。「この結果については、これから保健所に報告します。保健所から連絡がありますのでそれをお待ちください」
それから、ずっと、保健所の電話連絡を待っていた。が、何も連絡は来ないまま、日が暮れて、真夜中になった。
コロナ、PCR検査を受ける
8月10日、オリンピックが終わって二日目の火曜日の朝、喉の奥が詰まった感触と、時折出る咳。先週から続いている状態が変わる気配が今朝もない。
PCR検査キットを購入しようとネットで調べたが、コロナの症状がある人は購入出来ないと説明書きがついている。本末転倒じゃないか。
藤沢市のコロナ相談センターに電話する。湘南台で、コロナ関係を扱っている医療機関はある。そこはもうすぐ盆休みに入るから、予約できるかどうかはわからないとのこと。その紹介のあった湘南藤沢心臓血管クリニックに電話する。一週間ほど喉が詰まり咳が出る状態が続いていることを説明して診断を依頼。すると「一番早くて、盆休み開けの8月16日になります」「発熱がないと、医師がPCR検査を指示するかどうかわかりません。自費のPCR検査は当院では2万4千X百円となります」
家から一番近いのは、藤沢駅前PCR検査センターだ。通常5千円、当日検査だと1万円。小田急線で家から17分の距離。公共交通機関を使うのは気が引けるが。車もないし。午前10時過ぎにセンターに行き、予約できた時間は、17:15から17:30。遅れたら予約は取り消される。
17:10にセンター着。スマホで登録。コロナが疑われる症状があるかないか、という質問に「ある」と答える。名前を呼ばれて、中に入る。体温は「36.5度」。当日検査一万円と陰性証明書5千円を購入。
手渡されたコロナ検査用のキットにストローで唾液を流し込んでいく。思ったより難しい。唾液は簡単に出てこないし、ストローの中を通すより外から滴るほうが多い気がする。10分ぐらいがんばって、やっと必要量を確保。窓口に出して、PCR検査の結果の確認方法を示す説明書をもらう。
夜11時になった。連絡メールは来ない。
12時になった。連絡メールは来ない。
オンラインで直接システムにアクセスしたが、結果がまだ出ていない。
午前2時、結果はまだ出ていない。何度もアクセスしすぎて、システムから拒否される。

Taj Mahal
A visit to the world most famous heritage of love. It is a massive beautifully curbed white marble tomb. It is built with perfect symmetry including the decorations on the walls except the tomb of Mughar Emperor Shah Jahan himself lying next to his wife, Mumtaz Mahal. She died at the age of 37 during the delivery of her 14th child. She died in 1631 and then after 22 years of construction, Taj Mahal was completed in 1653. Shah Jahan died in 1666 after 8 years of imprisoned life in Agra Fort by their son, Aurangzeb. Taj Mahal was built on tremendous sacrifice of people (220,000 laborers and 32 million rupees) and 1000 elephants of that time, but it is certainly giving sustained and growing returns to generations after generations of human civilization.
(A lesson learned: Family planning is important to safeguard the life and the love)
10月26日 湘南台祭り、沖縄太鼓と腰ふりサンバ
湘南台祭り、毎年この時期なのか、以前見たときとだいたい同じグループが、行進に参加している。沖縄太鼓の一団は統率がとれて見ていて気持ちがいい。沖縄という風土は独特の文化を育てていて、一つの独立した文化圏を形成しているようだ。琉球国という日本本土と物理的にも精神的にも一定の距離をおく自負と海へ開けた自由な気風がなせる業であろうか。
サンバチームの際どいビキニダンサーらが初老のカメラマンたちの期待に応えて腰をリズミカルに振動させる。熟年の女性たちは、全身を覆うサーカス的ないでたちで、迷うほどの魅惑を振り撒いている。
3年前だったか、その時に見たダンサーとはまた顔(腰)ぶれが相当変わっているようだ。日本の街並みをほとんど裸と言っていいあられもない格好の若い女性が練り歩くのは、時代の変化というだけでは説明できない凄みを感じさせる。
日本の精神風土は、特異なものに対して憧憬と拒絶の両極端の反応を見せてきた。
これが、個人レベルでも社会レベルでも、同時にも交互にも起きる。今は女性が推進力になって、古いしがらみを拒絶して、より開放的な海外諸国の習慣、文化を取り込んで、日本社会における日常生活の冒険として売り出しているようにも見える。外国の女性にできて、日本の女性にできないことはないとでも言いたげである。ブラジルの女性のように積極的参加型でサンバを楽しめる才能と魅力を自分たちも持っているんだと主張している。確かに、見る方も見せる方も楽しんでいる。社会から日陰に追いやられていたヌードショーの文化から、サンバの超露出オンパレード文化への昇華は、現代女性に主導された一つの解放、ルネッサンス的な運動なのかもしれない。
スポーツや音楽・芸術の世界では、新しいものが国境を越えて広がるのが早い。ジャズやレゲエが世界中に広まるのは一瞬で足りた。ちょうちんブルマーからタイトなパンティ型に変わったり、女性アスリートがほぼみんなビキニ姿になったのもルールが同じで結果勝負のスポーツ界ならではの現象だろう。
祭りは固有の文化をその土地の住民が一体になって体現するもの。土地社会、町の景観や風物詩的なものと切り離しては考えられない。かといって、他の地域で根付かないわけでもなさそうで、分根や接ぎ木した場合でも、異なる風土・社会でまた違った味を見せてくれるものなのかもしれない。
10月24日 Edge of Tomorrow ゲーム的人生劇場
NYからついに旅立つ。
飛行機の中で映画を見る。Edge of Tomorrow (Tom Cruise主演)は桜塚ひろし氏の小説・漫画を題材にしたもの。Alienとの戦いで、死んだらまた時間が前に戻って同じ状況を何度でも繰り返し体験できるという設定だ。何百回も死んで、同じストーリーに何百回も繰り返し挑戦を続けることで、このゲームをついにクリアーするのだ。こうして書くうちに、ははあー、著者はコンピューターゲームの中に住む登場人物たちのストーリーを描いたのだと考えると合点がゆく。映画ではタマゴッチのように主人公がゲームを繰り返しながら確実に成長していく過程が描写される。何度も挑戦を重ねるにつれて相手の動きを覚え、自分の操縦技術も高度になって、最初の時とは格段に成長、進化していくのだ。ゲームの規則で、死んでも蘇られなくなる非常事態も想定されている。これは、ある登場人物をゲームから完全に消し去るということが可能なゲームになっているのか。輸血されるとゲームを二度とできなくなるという設定は、(コンピューター)ウイルスに侵されることがあるということなのだろうか。主人公がalienをついに倒したときに、そのパワーを再投入されて生き返る力を回復する。このステージをついに征服したためか、再開時のステージが変わる。主人公は次元の違う場所から始めることとなる。
ただこのゲームの繰り返しが人生そのものという状態は精神的には耐えられないものだ。痛みも常にある。殺される時の恐怖、体を引き裂かれる激痛、これを何百回も繰り返そうなどとだれが思うがろうか。常に戦って死と向き合っていくのはつらい。
以前に毎日寝ると自分の記憶をすべて失う女性が主人公の映画を見た。朝起きるとまず、フィルムを見るようにという説明書きを読まされる。そこで自分が誰なのか。これから会う人が誰であるか、自分との関係を知らされる。そして、そのフィルムの記録を自分の記憶として認識してから、新たな一日を始めるのだ。
この映画は、それとは逆のパターンである。自分以外のすべての人間が自分の経験した彼らの未來の記憶を知らないのだ。だから、主人公が必要な人にその記憶を毎回説明しなければならない。これを何百回も繰り返し行う。その中で自分だけは実戦体験を反復して経験し、修正とステップアップを繰り返し、自分がそのステージで生き残れる実力と知恵を身につけてゆく。ステージの中での自らの死が、Game OffとGame Onのスウィッチとなる。その間は記憶がない。少なくとも自分の記憶の中では、スウィッチはOffとOnが同時にくる。
こんな設定はあり得ないことだと、最初は思っていた。しかし、それは思い違いだった。世界中の大半の人が、とくに子供たちがこの状況を毎日疑似体験している。コンピューター、スマホ、ゲーム機を通じて、ゲームと言う形で。もし、同じ状況と状態で、何度でも同じシナリオにチャレンジすることが許されるなら、誰であろうとも、初めての時よりもずっとより良い結果を出せるようになるものだ。実際に、私の子供らも私よりもずっと楽に、実に見事に各ゲームのステージを主人公とともにクリアしていくようになっている。朝から晩まで、何百回も同じゲームをやり続けた成果である。
学習効果というものが、人生にあるとすれば、如何なる結果をもたらすのだろうか。このEdge of Tomorrowが一つの答えを提示してくれているようだ。仏教界で提唱される輪廻転生も、記憶はなくなっても、その業(カルマ)を受け継いでゆく、一つの魂の物語なのだろう。ダライラマのように生まれ変わりながら、一貫した目的を持って同じ魂のそれぞれの人生を全うしてゆく。この現世にもEdge of Tomorrowの発想の原点がちりばめられているようだ。
If we can do it all again、tell me, could we? would we? (The Way We Wereの歌詞)
Are there anything that you think, you could have done differently? (Interviewによくある質問)
It is obvious that anyone can improve and do better than the first time, if given one more chance, and again and again with the same condition including your age.

