Essay
10月18日 Jazz
New York勤務になって最後の週末になるかもしれない。土曜日はJazzの歌のレッスン。天野先生との個人レッスンも今年はこれが最後になる。約一ヶ月ほど、短いが相当に密度の濃いトレーニングだった。自分の地声を発掘する作業。呼吸法で腹の底を深く堀りさげる。丹田を耕して、自分のオーガニックな生の声を収穫するという有気農業のようだ。Jazzというのは至高の自己表現のなのだろう。自己表現するには自分を知らなくてはならない。先生には自分の地声が相当に低い太い声だということを教えてもらった。野太い低音をあたりにしみ渡るように発声できると歌のクオリティが格段にあがる。それだけでJazzって感じがでてくる。
もっと凄いことは、会話をする自分の声をこれまでよりも低音の声域に変えられたことだ。天野先生からは、低い声で話すようにと勧められた。低い声の方が、聴く方もわかりやすく、より説得力がでるという。しかも、女性にとっても男性の低い声により魅せられるというのだからいいこと尽くめではないか。
そこで、これからの日常生活で守るべきことは、次の三点:
- 背筋を伸ばし、姿勢をまっすぐにして座る。歩く。
- お腹で呼吸する。
- 低い声域を使って話す。落ち着いて、感情の起伏を声に出さないこと。
土曜日に、Something JAZZというEast 52ndのお店で天野昇子先生の歌を聴きに行く。ピアノは奈良はる子さん、BassがMurry. ドラムは飛び入りのビジネスマン。ジャズクラスの先輩の吉田氏が、一曲歌った。ジャズのバンドというのは、個性の集まりで自由度が高いだけに、感性や息が合うことが重要らしい。慣れないメンバーとうまくかみ合わないと相当に疲れて苦心するようだ。天野先生は、Autumn Leavesを斬新なアレンジで歌った。私の最初の持ち歌で、スローな歌い方を習ったが、アップテンポな感じで、まったく違った曲感になっていた。ジャズだねー。
RIKI(East45th, 3rd AveとLexの間)というレストランで打ち上げ。鹿児島の焼酎をボトルで2本空けた。RIKIはNo Tipポリシーのお店で、私がニューヨークで一番気に入って行きつけているお店だ。店長は昔卓球をやっていたことがある。6人で思いっきり食べて、US$305だった。お勧めです。
10月16日 林住期
ブログで日記を綴る。そんな時代の雰囲気。昔書いた日記は、みんな段ボール箱に入って、マニラの倉庫で眠っている。ブログならどんなに昔でもそのサイトで待っていて、どこからでもアクセスすることができる。写真も一緒に置いておける。空気よりも軽く、気軽にインターネットに無料で置けるのですこぶる便利だ。
あまり秘密は書けないかも。しかし、折角山のように書き溜めた日記を誰の目にも触れさせずに燃やしてしまう海辺のカフカのような話もあるし。公開されると後悔するようなことは、書かなくていいのです。忘れようとしても忘れなれないことは、自分の胸に刻まれていればそれで十分以上でしょう。
林住期は、人生を4つのステージに分ける古代インドの概念で、人生の第3ステージにあたる。最初は学生期、師についてヴェーダを学ぶことが人生の中心目的。次が家住期。家庭を持ち、自分の回りの人々のために働いて、子育てをやり遂げる。孫ができるようになったら、林住期の始まりだ。家を出て、山にこもる。自然の中で、自分が生きるための自然な生活を営む。五木寛之は、この林住期、現在で50-75歳の年齢層の人々が社会の束縛を離れ、自分のために生きる時期だという。同感である。私の林住期は、幸せを開発することを道楽としたい。孤児の幼子たちが学生期を過ごせる学び舎、学園をつくりたい。この学園は、基本的に公教育以外の時間をすべて使っての課外授業を行うことを目的とする。スポーツ、芸術、音楽、舞踊、映画、IT, 文学、料理、等々、少なくとも一つか二つの分野で練習及び学習三昧させて、殊技能を持たせる。その分野で、ナショナルチャンピオンになれるように育てたい。この学園を卒業すると、子供たちも若者となり、自分の家住期に入っていく。彼ら、彼女たちは、孤児の後輩たちの親代わりとなり、自分の収入の一定比率を学園に仕送りする責任を負う。同時に卒業生は、学園の株を持つオーナーとなり、その運営を徐々に任されることになる。順調にいけば、第2、第3、第百の孤児の学園をいろんな国でチェーン展開できるはずだ。
70代も後半になると、最後の遊行期にいたる。すべてを捨て去って天涯孤独な人生を送ることがその本質らしい。すべての強欲、煩悩が消えて、天命を待つのみである。
私は、人生の始めに天涯孤独になった子供たちに、学習三昧できる学生期と与えることを遊行としたい。そんなことを50歳になってから考え続け、いまや54歳となった。
その思いは変わらない。早期退職か、あるいは仕事をなんとか見つけて、資金をもうしばらく稼ぎながら、同志を見つけてプロジェクトを始めたいと思う。
私は、ミャンマーでこの孤児学園を始めようと考えている。30年前に青年海外協力隊員としてコーチしていたペルーでも、卓球仲間と一緒にスポーツを中心に幸せ開発を始めたい。ブータン王国は幸せ開発の原点の国。近いうちに再訪して、幸せエネルギーの源流を探ってみたい。