月別: 5月 2021
ブータンのオリンピック・パラリンピック参加
ブータン卓球連盟のダラ・コーチからブータンのオリンピック参加についての便りがあった。
ブータンの伝統スポーツはダツェと称する弓術である。オリンピック競技でも、アーチェリーに力を入れており、東京オリンピックにおいても、ブータンはこのアーチェリー競技において参加資格を獲得している。また東京オリンピックには、初めてブータンから水泳の選手が参加するという。私がブータンに赴任していた2004年から2008年の4年間、水泳をしているブータン人を目にした事はなかった。首都ティンプーにはスィミングプールと呼ばれている場所が一つだけあったが、プールが実際に使用されているところを見たことはなかった。そのブータンから水泳の選手がオリンピックに参加するというのだから、これは絶対に応援しなくては。私たちがもはや忘れてしまった参加することに意義のあるオリンピックの原点を知ることになるかな。いや、そこでは必ずやブータン新記録が生まれ、そこからブータン競泳の新しい歴史が始まるに違いない。ブータンだけではなく、世界の幸福量を増やせるといいな。
ブータン・スポーツ界にとって、もっとも喜ばしいことは、ブータンの障がい者が、アスリートとして初めてパラリンピックに参加することである。参加競技はアーチェリーと砲丸投げだそうだ。パラリンピックの近代史は、英国のストークマンデビル病院でリハビリを目的として行われた車いすアーチェリーから始まった。ブータン・アーチェリーのオリンピックとパラリンピックにおける活躍を期待したい。パラ陸上の砲丸投げの選手の誕生も初耳であり、喜ばしい出来事だ。ブータンは人口が少なく、経済的な余裕もないため、国内で実施するスポーツ種目の数を限定する風潮があったのは過去の話となったようだ。ブータンスポーツ界が、パラだけではなく、その競技種目も多様化していることを歓迎したい。
ブータンでパラ・スポーツを振興することが、国連時代を過ぎ、林住時代における私の目標である。そのスタートとして、2016年12月に日本卓球協会の代表団とともに、日本・ブータン国交樹立30周年記念のファイナルイベントとして卓球交流セミナー・日ブ交歓卓球大会をブータンの首都ティンプーで実施した。パラ卓球の代表として、畠山講史郎日本パラ卓球協会会長と立石アルファ裕一選手がメンバーとして参加してくださった。日本卓球協会からは、渡辺武弘参事と松下雄二(男子U-12監督)という壮壮たる方々が当代表団のリーダーとして来られた。シチズン時計監督の伊藤誠氏と元早大キャプテンの矢野敬之氏は私の後輩でもあり、当計画のサポーターでもあった。ブータンオリンピック委員会においても、パラリンピック部門を新設したばかりのときであり、卓球交流・セミナーも障がいのある子供たちをインクルーシブして行い、それ以来、パラ卓球の歩みがブータンでも始められている。
We celebrated 30th Anniversary of Bhutan-Japan Diplomatic Relations through table tennis. Japanese delegation included Mr Takehiro Watanabe (chief), Yuji Matsushita, Sei Ito, Takayuki Yano, and Koushiro Hatakeyama (President of Para-JTTA) and Alfa Tateishi. All are great well-known players/coaches. I served as a guide and fixer. The real mission is to promote Sport for GNH. We visited BOC, GNH Commission, the UN and rural schools It was fun, memorable and beginning of new relationships among sport lovers beyond generations, physical abilities and borders. Seasons Greetings to you all!
脱炭素技術海外展開イニシアティブ/Climate Solutions Technologies Initiatives
外務省の国際協力局の中に、気候変動課がある。地球温暖化の問題の解決に国際協力を通じて貢献しようということで、とても大切で自然なことだと思う。私も国連時代には、地球規模課題の審議官の方とお会いしたことがあった。今回、この脱炭素技術海外展開イニシアティブを始めるにあたって、私に声がかかったのは去年のことである。パキスタンの国連開発計画(UNDP)の事務所長を務めていた2010年に、パキスタンの国土の三分の一が浸水するという大洪水が起こった。日本の資金援助をいただいて、多数の現地の環境・人道支援NGOと協力して洪水からの復興プロジェクトを計画・実施した。そのときに、支援を担当しておられた外務省・パキスタン大使館の方々が、私のことを覚えていてくれて、このイニシアティブの外部審査委員会を立ち上げるとのことで、委員に就任してもらえないかとのオファーをいただいた。
この第一回の審査委員会が、先週Zoomミーティングで、開催された。その結果を受けて、以下の当イニシアティブの日本企業への募集が始められている。この内容について関心のある方は、下記の外務省のウェブサイトにアクセスしてください。氷河湖の決壊防止、太陽光発電、バイオマス、小規模水力発電、地熱発電、太陽光発電の街灯の設置による女性や子供の安全保護など、私も温暖化対策に関わるプロジェクトの経験はあるが、日本企業とのコラボの経験はなかった。日本企業もSDGS(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会貢献・ガバナンス)投資などと本格的に取り組み始めている今、どのようなNGOとのコラボが生まれるのか、とても楽しみにしている。
外務省: 脱炭素技術海外展開イニシアティブ(日本企業の脱炭素製品の募集開始)
国連パキスタンの環境プログラム
2009~12年にかけて、国連パキスタンの環境・防災・貧困削減プログラムなどの共同議長を務めた。環境に関しては、1.ガバナンス、2.水と保健・衛生、3.自然環境の保護、4.持続可能な都市化、5.ごみ処理・グリーン産業の促進、という5分野で様々なプロジェクトを実施している。当時は、SDGsの前のMDGsの達成が国際的な目標となっていた。パキスタンは生物の多様性豊かな国である。北部のギルギット・バルチスタンを訪ねたときに見た、ナンガーパルバット(8,125m)は, Killer Mountainと呼ばれ、最も多くの登山家の命が消えた山である。威風堂々とした雪に覆われた神聖かつ荘厳な姿。この名前の由来はサンスクリット語で「裸の山」という意味である。自然環境・森林の保護と水力発電・観光との共存が課題の一つだった。南部のシンド州のインダス河の下流ではマングローブ植林、洪水対策などのプロジェクトを実施している。
藤沢卓球選手権大会 優勝
初めて、私の住んでいる藤沢市の卓球大会に参加しました。
場所は秩父宮記念体育館 メインアリーナ。由緒ある体育館のようですね。入り口にあった紹介によると、秩父宮は昭和天皇の一歳下の弟でスポーツマンだったとのこと。当時のしきたりで軍隊でも従軍されていたそうですね。
試合は、50歳以上の部、団体戦。1-4番までシングルス戦で、2-2の場合には、両チームの代表選手同士で1ゲームの試合を行って勝敗を決着するという、Tリーグに似たやり方である。
私のチームは、私(九十九)、渡部さん(MD相模)、金田さん(AJ)、脇田さん(夢想塾)という全員違うクラブの人が集まった、練習友だち同士の雑多集団である。みんな、かなりの実力者で、予選一位通過して、決勝トーナメントの一回戦も苦戦しながらも3-0で準決勝へ。

藤クラブは、60代以上が集まったベテランチーム。楽勝かと思いきや、思わぬ粘り腰と勝負に賭ける執念の強さで2-0から挽回されて2-2に持ち込まれた。ここで代表戦で1ゲームで勝敗を決することとなる。私の相手は、なんと斎藤龍二さん、早大卓球部の大先輩である。s49卒で、私はS58 卒だから、11も年長であられる、雲の上とまではいかなくても、霞の上ぐらいの存在の方である。対戦するのは無論初めて。斎藤さんは、3番手の試合で、我がチームのエース級である渡部さんにフルゲームの4-8の劣勢から大逆転して粘りのあるプレーと強い精神力を見せていた。2-2のラストでの1ゲーム決着は初めての経験で、緊張する。試合は5-5まで接戦。それから、私がサーブから3球目を打ちまくり、若い?分だけの差を利用して逃げ切れた。技術的には全くの互角。
決勝は、常勝チームの日産追浜が出てくるかと予想された。しかし、50代の多い鶴間公園倶楽部が3-1で日産追浜に勝ち、決勝で予選に続き2度目の対戦となる。山田さんという若手?の選手と対戦し、1-2ゲーム目は接戦となり、辛くもサーブ力で逃げ切り、3ゲーム目はそのまま押し切った。結果は3-1の勝利。目標の優勝を果たせた。
クラブが違う者同士で、団体戦を戦うのも新しい発見があって、楽しい。
賞品はニッタクのシャツ。JTTAAはついていないので練習着に使おう。
コロナの影響で、こうしたスポーツ大会を運営するのも気苦労の多いところ。
運営関係者には感謝しかありませんね。

日本知的障がい者卓球連盟からの回答はコーチ罷免の再通知
日本知的障がい者卓球連盟の山口会長名で以下の通知書が、5月21日に、我が家に届いた。
仲裁判断(JSAA-AP-2020-003/下記参照)にもかかわらず、仲裁判断の2「コーチとして任命しないという決定を取り消す」という決定をまったく無視した通知である。「指導」の処分を取り消して、そのかわり連盟のコーチとして2020年も2021年も任命しない、という理事会による私への処置となった。仲裁判断が下されたのが4月23日金曜日であるから、当連盟は土日をはさんだ3日後の4月26日月曜日という電撃の速さで、理事会を招集して、私に対する処分を決定したということになる。これは仲裁判断が日本スポーツ仲裁機構のウェブサイトに掲載された4月27日火曜日の前日である。この短い時間に、全理事に20ページに及ぶ仲裁判断が配布され、全理事がその内容を熟知する機会が実際に与えられたのだろうか?この通知書は5月20日付けとなっており、肝心の私に対して1ヶ月後に通知するような悠長なことをするのであれば、4月26日というこの仲裁判断が公開されるよりも先に理事会を開いた理由を知りたいと思うのは当然のことだろう。5月21日に届けられた下記の通知書には、まったく何の理由も説明も示されていない。あまりに一方的で重い罰的な内容である。スポーツ仲裁の判断はいったい何のためにあるのだろう。コンプライアンス委員会、日本スポーツ振興センターの第三者委員会で、暴行行為と言われ、日本スポーツ仲裁機構の最終判断でやっと全面勝訴して潔白を証明した、この苦悩の1年半は何だったのだろうか。



Ping Pong for children in Myanmar/ミャンマーの子供たちにピンポン
2月1日の軍部のクーデターにより、アウン・サン・スー・チーさんや国政選挙で大勝したNLD(国民民主連盟)幹部は囚われの身となり、政権をミャンマー国軍に奪われている。ミャンマー市民は歴史を逆行する悪夢のような国軍の暴挙に憤り、生命を賭けて、自由と民主主義にもとづく政治と暮らしを取り戻そうと立ち上がっている。ガンジーのように平和的な運動を続けていた市民らに対して、ミャンマー国軍は銃を向け、毎日のように犠牲者が増えている事態となっている。市民の中からも、国軍と戦うための自衛組織をつくる動きがあり、長い間、最大民族であるビルマ族の支配に対抗してミャンマー国軍と闘ってきた少数民族の組織とも協力関係が生まれている。
コロナ禍に見舞われて、巣ごもり状態にあった市民がデモ行進に参加して街に出る。市民の多くは、国軍の弾圧から逃れるために、要所にバリケードを築き、家に引きこもっている。コロナどころではない状況とあって、コロナ対策も滞っている。
私が活動を続けていたAye Myittar障がい児センターは、どんな状況だろうと心配していた。センター長のHtay Lwinさんから連絡をもらい、みんな無事だということがわかった。思いがけないことに、Htay Lwinさんから、「卓球をつづけているよ」というお話があり、二人の身体障がいのある男の子が卓球を楽しんでいる動画を送ってきてくれた。軍事クーデターやコロナ禍の中で、少しでも運動を楽しんでもらえていることが、嬉しい。日常の何気ない自由で平和な運動。そんな過ごし方を大事にする気持ちが、国家のあるべき姿を問い、良い方向に向かうようなエネルギーになるといいな。
市民の願いがかなえられ、いっときも早く平和が戻ることを信じて。ピンポン。
A Judgement of the Japan Sports Arbitration Agency (JSAA)(スポーツ仲裁で全面勝訴できました)
Finally got an Arbitration Judgement from the Panel of The Japan Sports Arbitration Agency (JSAA) that declares “Perfect Victory” of my case submitted for the arbitration on August 17 2020. http://www.jsaa.jp/award/AP-2020-003.pdf (all in Japanese)
In fact, the process has started since Nov. 2019 when rootless allegations from two of the relatives of para-TT players were made. As soon as the allegations were received, the Japan Table Tennis Federation for Intellectual Disability (FID) was quick to take me out of the coaching even a month before the first (and last) hearing held by the Federation’s Compliance Committee with helpless coach (me) in Feb., 2020. Thereafter, the ranking race for Tokyo Paralympic was completed by the end March, 2020. The Compliance committee sent me an investigation result which denied five of six allegations but one, sexual harassment, was admitted. In reality, it was the case that “I told” at the hearing, not the player, as an example of successful coaching during the practice session at Slovenian Open, May 2018. On a request from the female team, I provided a half hour coaching, during which I briefly touched her right hand and elbow, right foot and knee to show the direction. Thereafter, she won against higher-rank players and our female team reached the final. Nearly two years has past, as the player now said, she did not like it according to the committee, it was now considered as sexual harassment. My submission to prove innocence to the Compliance committee with the testimony of three witness was not considered at all and the Federation gave me a punishment of “Guidance”??. In fact, instead of giving me a guidance, a notice reached me on 23 August 2020 informing that ‘you are no longer federation’s coach”. So, I was obliged to fight at the JSAA for my innocence and to recover my dignity that was thrown into a dustbin. We know that the sportsmanship (predominantly man) and fair-play is hard to realize. But, it is good governance that is most needed for the world of sports. I am committed to continue taking steps to move toward a fair, just and happier world.
日本語の詳細については、本ブログのHappiness via Ping Pong (happy-development.com)を見てください。
日経新聞にも掲載されています。
スポーツ仲裁機構 セクハラ事案で初判断
Tokyoオリパラ2021年4月27日 19:43











