月別: 10月 2021

全日本マスターズで、初優勝しました!

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10月8-10日に、福島県郡山市で開催された2021年全日本卓球選手権大会マスターズの部で、優勝という人生最高の栄誉をいただきました。コロナ禍にあって、素晴らしい大会を開催していただいた福島県と郡山市のみなさんに感謝。今回の大会では、早稲田大学同期の高田君が帯同者ということでベンチコーチを引き受けてくれて、すべての勝利の陰には、高田ベンチコーチのお叱りと時機を得たガイダンスあり。

試合の日の早朝に、安積国造神社など3つの神社にしあわせの祈りを捧げて、ご神木にエネルギーをもらいました。試合会場では、コロナで厳しい検問を受けるかと思ったのですが、健康チェックだけで係の方々に笑顔で迎えられました。1日目は2回戦から、相手の加藤選手は以前は東京にいた方で今回は北海道代表。右ペン表の異質に近い打ち方をするやりづらい戦型。サーブとプッシュで撹乱してスマッシュ一発で決めるタイプ。私のバックが固いおかげで、1ゲーム目の接戦を取り、そのまま逃げ切った。3回戦は鳥取の浅井選手。右シェークフォア表のブロックがとにかくうまい守備主戦の前陣攻守型。フォア側へドライブを打つと全部カウンターされる。バックはうまいが強打は来ない。バックへの勝負とサーブが効いた。これで1日目勝ち残り。九十九の仲間である石塚さんは第一シードに3回戦で敗れる。前々回優勝、前回も3位の大御所の河島先輩は初戦の相手に棄権されて、練習もないまま、3回戦でぶっつけ本番。私と同期の川口選手と対戦。技巧派の川口選手のサーブと攻撃に苦しみ2-3でまさかの敗退を喫する。

2日目はランク決定戦からである。朝9時開始と早いので、8時には会場入りしてウォームアップ。対戦相手の岡部選手は前回、強打の江浜選手を破ってベスト8入りした愛知県のエース。右ペン表でバッククロスへのロングサーブとフォア前に上手に落とすサーブからのスマッシュ攻撃が得意のパターン。私のサーブからの攻撃と、レシーブプッシュが功を奏して、相手のパターンにはまらずに勝ち切ることができた。これで、最低限の目標だったランキング入り。

準々決勝は、マスターズのレジェンド、常に日本のトップ選手として活躍されてきた坂本憲一選手との対戦である。坂本さんとは30年ほど前、荻村氏が主導するナショナルチーム強化対策で考案された戦型別合宿で対戦したことがある(私は当時中ペン表の前陣速攻型だった)。無論、負け。2016年に長い海外生活から日本に戻った私は、マスターズに出るようになり、これまでも3回ほど坂本さんとも対戦していただいた。無論、全敗である。それでも少しずつ試合内容はよくなってきており、あと一歩という感触はあった。対策の要として、大学同期の高田君と、私の最大の欠点であるフォア前のレシーブを徹底的に練習した。1ゲーム目5-9とリードされていたのをジュースにして、12-10で勝ったのが最大の山場。3ゲーム目もバックバックの打ち合いで私が粘って劣勢を挽回。11-9で逃げ切った。夢にまで見た、初勝利だった。

準決勝は、いつも週に3回は一緒に練習している橘川選手が、早大の大先輩である本橋選手にゲームオール8-10の劣勢から挽回勝ち、準々決勝でも西家選手に0-2からの逆転勝ちを収めて、私との対戦となった。お互いに手の内を知り合っている相手であり、これまで私が勝っているだけに、坂本選手との対戦とは逆に、私の方が受け身になってしまう。私のボールは打ち慣れている橘川選手のスマッシュやカウンターがよく入って、1ゲーム目をジュースで落とす苦しい展開。結局フルセットを戦い3-2でおそらく今大会で最も長い試合を勝ち抜けた。

決勝はマスターズの常連で、二度の優勝経験のある江浜選手。去年のチャンピオンの花木選手を破って決勝に残った。何度も同じ大会に参加したことがあるのだが、なぜか、一度も対戦したことがない。右ペン裏の典型的なドライブ主戦型。しかし、プレーしてみるとバックハンドの威力と安定性が半端ないことがすぐにわかった。とにかくドライブのラリー戦になると3発4発打ち続けても必ず盛り返されて負ける。かなり勝ち目のあった1ゲーム目を15-17で落として、もの凄く苦しい展開となる。ドライブのラリー戦では勝てない。スマッシュに切り替えろ、という高田ベンチコーチの指示。ドライブを打っても台から離れず、バックブロックとフォアハンド・スマッシュ狙い。大学時代の中ペン表のときのスタイルである。じつは、この戦術は、裏ソフトに変えて以来、試合では使ったことがなかった。この戦術の切り替えが功を奏して、ラリー戦で有利となる。しかし、スマッシュですら連打しないとポイントにつながらない。とにかく、足を止めず、常に動き続けることで、スマッシュの精度を高め、打ちミスをなくすことに努めた。ゲームの合間でも一度もベンチに座らず、足踏みを続けながら、アドバイスを受けた。フルゲーム11-8で勝利する鍵はこれまでの練習量と高田ベンチコーチとの二人三脚がうまく機能したこと。レジェンドで尊敬する坂本選手や驚異的な脚力とラリーの強さが群を抜いている江浜選手と戦って、優勝という栄誉をいただくことができたのは、ホントにありがたいことだった。

この勝利を真っ先に捧げたいのは、8月18日に天に迎えられた岸田クラブの岸田晃先生である。岸田道場は私の第二の家ともいえる場所であり、朝練や夜練で、岸田先生とは毎日のように顔を合わせ、卓球談義していた。コロナ禍にあって練習が続けられたのも、岸田先生のおかげだった。私が、常日頃、目標にしていた全日本マスターズでの優勝を、岸田先生が一番喜んでくれているに違いない。合掌。 

今回の全日本マスターズでは、多くの大学時代からの友人らと出会い、語らい、そして戦った。みんなプレーは真剣そのもの。互いの卓球技術の戦いもあるが、じつは意地と意地の戦いであり、この歳になると体力と体力の戦いである。今回は、最後まで足がよく動いてくれて、優勝までの道のりを走りきってくれた。九十九クラブのみなさんにも多大な支援、ご声援をいただいた。ホントにありがたいことで、優勝という成果をあげられたことが何より嬉しい。明日からも卓球と人生を楽しみましょう。

https://world-tt.com/blog/news/archives/12933

https://jtta.or.jp/news/3441

全日本卓球選手権大会(マスターズの部)に向けて

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いよいよ全日本マスターズが明日から福島県郡山市で開催される。私は、ローシックスティ(60歳以上)の部で東京代表として参加する。一昨年は50代で参加したが、無念の敗退。この2年間はコロナ禍にあって、体力増強に努め、よく一人でサーブ練習することが多かった。そのかいあってか、3月の東京優勝大会では50代で優勝する栄誉をいただいた。8月にはコロナに感染し、自宅療養を経験。そのころ常日頃お世話になっていた、岸田クラブの岸田先生がお亡くなりになられた。大きな悲しみの中、子供らや家族の方々は、ピンポンの音を響かせ続けて、岸田先生への鎮魂歌(レクイエム)としたのだった。パラリンピックの卓球では、私も指導したことのある伊藤まき選手が、栄えある銅メダルに輝き、心底うれしかった。

日本に帰って5年目、還暦を迎えて2年目、全日本と名の付く大会に出場できることは栄誉なことである。このような大会には、家族の支え、九十九クラブの全メンバーの支援、海外の友人たちの声援、岸田先生への恩返し、いろいろな周囲の思いが行き交い、私自身の思いと重なってゆく。

今回は、週の半分はMD相模の橘川さんと練習をしていただいた。岸田クラブの中学生たちとは、ほぼ毎日のように練習の相手になってもらった。40年来の親友で早稲田大学同期の高田くんは、私のベンチコーチとして明日から一緒に郡山入りする。マスターズ本選に向けて、土日を返上して私を特訓してくれた。還暦を過ぎてから、大学のリーグ戦モードになるのも一興。かけがえのない仲間だ。

全中にもインターハイにも出れず、インカレ団体ではベスト8が最高。そろそろ全日本という名の付く大会で、頂上を経験していい時期に来ている、と思う。そういう目標を持って、残りが短くなっていく人生を燃やすのも、還暦すぎれば自由にやればいいでしょう、という声がする。練習期間は長いが、大会における試合は短い。自分のすべてと周囲の思いを一息に詰め込んで、スゲー濃厚な深い香りと華のある試合をしよう。がんばろう!