人間の夢「より速く、より高く、より強く」と技術の進歩  (スーパーマンは人か、人でなしか?)

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人間は、技術の進歩によって、より速く移動でき、より高く空を飛び、より強い破壊力を持つようになった。しかしながら、人間のホントの夢は、人工の機械を使ってこれらを達成するのではなく、スーパーマンになることなのだろう。スーパーマンが人間であるかどうかは、おそらく、その問いすら無意味なことだろう。人間の夢には続きがあって、スーパーマンがパーフェクトな人間(ヒューマニティ)の精神を持つことである。スーパーマン映画は、このパーフェクトな人間の精神を持つことの難しさを伝えることにより力を注いでいるように思われる。

「より速く(Citius)、より高く(Altius)、より強く(Fortius)」というオリンピックのモットーは、オリンピック・ムーブメントに所属するすべての者へのIOCからのメッセージであり、オリンピック精神に基いて研鑽することを呼びかけたものである(日本オリンピック委員会)[i]

【人力の夢】人間は空を飛ぶ翼があればと願い、飛行機を発明した。しかるに、スポーツの世界では、今でも人々は走り高跳びや走り幅跳びで世界記録を数センチ伸ばすために、たゆまぬ努力を重ねている。100メートル競争で10秒を切り、0.01秒を縮めることに一喜一憂している。夏季オリンピックには、身につけるものや用具の少ない水泳競技から、走力、跳躍力または砲丸や槍などの投擲力を競う陸上競技や重量挙げ、対人で行う格闘技やゲーム性の高い球技、そして用具を使った速さを競う自転車および正確さを競う射撃やアーチェリーなど、多様な競技が存在する。冬季オリンピックのスケートやスキーを含め、そこに共通する基本原則は(射撃と馬術を除き)すべて競技が人力を動力として行うことをルール・原則としていることである。

【人力と技術力】100m競争の最も古い公認世界記録は1912年の10秒6である。現在の世界記録は2009年にウサイン・ボルト選手が記録した9秒58であり、およそ100年で1秒(約10%)縮めたことになる。他方、1903年のライト兄弟の初飛行は時速約11 kmだった。これは人間の最速速度の36 km(100mを10秒)より遅い。しかし、飛行機は驚異的な発達を遂げ、1960 年代において、すでに時速3千kmを超える戦闘機が出現している。スポーツの記録更新に貢献する技術といえば、例えば、1970年代まで車いすマラソン競技においては生活用の車いすを使用しており、当然のことながら、オリンピックのマラソン選手よりも遅かった。しかし、車いす製造の技術の進歩によって、1980年のボストンマラソンで1時間55分00秒という記録が出て、健常者の世界記録を一気に抜いてしまう。2021年には大分国際で1時間17分47秒という車いすマラソンの世界記録が生まれている。義足の走り幅跳びジャンパーとして話題になったドイツのラザフォード選手は、義足を使っての跳躍が公平性に疑問があるとされて、金メダルの可能性があった東京オリンピックへの道を閉ざされた。国際パラリンピック委員会はスポーツ用具ポリシーとして、環境や人体への安全性の確認、多数のアスリートが容易に入手できること、そしてスポーツパーフォーマンスが身体能力によるものでありテクノロジーや用具によるものではないこと等を挙げている。とはいえ、人間の筋力の有限性にとらわれない補助具を使ったパラリンピック選手の記録は、たとえ動力が人力であるにしても、オリンピック選手に比べると、まだまだ伸びしろがありそうだ。それでも、そのもたらす結果は、弓やラケットやアイアンを使った程度の違いにとどまるのだろう。ロケット燃料を使った飛行機や核兵器の競争とは全く異なるもの。人間が内部に宿す自然の法則に基づいた、人間としての限度を超えない有限なもの。

【より人間的に】オリンピックやパラリンピックは人間社会の最大関心事の一つである。それは、たとえそれが数センチ、コンマ数秒の微微とした進歩であろうとも、人間が人力に固執し、人間の身体能力と精神力をもって到達しえる生物学的能力の限界に挑戦し続けていく意志を強く持っていることの現れでもある。人間の身体の成長や発達は、人間という生物の有限性から逃れることはできない、そしてそれゆえに、地球の有限性を脅かすものともなり得ない。スポーツは人間の内部にある人間的自然を愛し、鍛錬し、成長させることを手段かつ目的とするものである。オリンピックの金メダリストでもあるドイツの哲学者ハンス・レンク(1985)によると、クーベルタンを始め著名な哲学者たちが「スポーツの記録には自然法則的意味がある」と考えていたという。そして、レンクは「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのモットーも、限界なき上昇と記録崇拝を意味するものならば、「人を非人道的なことへと導き、誘惑する危険に陥る」と警告し、オリンピックのモットーには「より人間的に」という目標が加えられるべきだと主張している(関根, 2019)。非人道的な手段によって生まれた記録は、もはや人間の限界を広げるものではなく、人間の境界を超えた非人間によるものにすぎないということなのだろう。

スーパーマンが、オリンピックに出られないことは、考えなくてもわかることだが。精神的なところで非人間的になったスーパーマンは、もはや「ひと(人)でなし」と呼ばれる存在となって、スーパーマンに滅ぼされる悪役として映画に登場することになるようだ。


[i] JOC – オリンピズム | オリンピック憲章https://www.joc.or.jp/olympism/charter)アクセス2022年 1月 20

Lenk, Hans. (1985). Die achte Kunst Leistungssport-Breitensport. (ハンスレンク. 畑孝幸, 関根正美(訳) (2017) 「スポーツと教養の臨界」不昧堂出版) 

関根正美. (2019). オリンピックの哲学的人間学 : より速く、より高く、より強く、より人間的に. オリンピックスポーツ文化研究  No. 4, 91─ 100.

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