月別: 2月 2022
敗戦は苦いもの、仲間はありがたいもの
東卓3部リーグの試合が、田無市の西東京体育館で開催される。
シニアリーグとは違って、年齢制限のない世代を超えた自由な組み合わせで試合ができる。
古い卓球と新しい卓球がぶつかるとどうなるか。バック技術の差が大きくて、古いものがあれよあれよと淘汰される時代です。そのため、バックハンド技術を毎日のように鍛えてきました。
それでも、台上で先にバックドライブやチキータをされるとアップアップする。それでもやっと返球するとコースを変えて、逆回転で伸びて逃げるボールを送られる。合わせるだけで返すと、回り込まれて思い切りフォアの強ドライブを食らって飛ばされる。
わかっちゃいるけど、止められない!!
若い選手でバックハンド技術が優れていても、それだけに、あまりフットワークを使わない選手の場合は、なんとか返球すると、連打に慣れていなくて、ミスがでることもある。こういう場合は、頑張れば勝てる可能性が生まれる。
サーブが効く場合は、ポイントを挽回して、最後の9本、10本で強気でいけるのだが。サーブが効かないと、勝敗は相手まかせ、運まかせになることも多い。
初田選手との試合は、似たようなペンドライブの戦型だったので、どちらが最後の一本までしっかり打てるかの勝負となった。バックで負けない自信があったのだが、相手がかなり丁寧で安定した両ハンドを振るので面食らう。卓球の試合では、想定外なボールやパターンに会うと、極端にミスが多くなってしまう。相手の動きのほうがよく、ボール扱いも上手、しかも私のボールをサーブから苦にせずに返球してくる。真っ向からの勝負となった。1-2で敗北。
今回の試合は、相手の戦い方を見ることもせず、ただ当たったときに、出たとこ勝負で試合する形となった。自分が練習しているパターンや球質の違うボールにミスが出る。足が動いていないのも、ミスの主要な原因だ。気持ちも負けたくないと焦るだけで、勝つために必要な気力や胆力が出てこない。なぜなのだろう。この大会に合わせて練習や調整をしてこなかったのは確か。昨夜は腰と腎臓あたりに痛みがあった。今朝は痛みはひいていた。足は疲れてはいなかったが、動きが鈍かった。手や腕の感覚は、ラケットを小さく感じてやや心許ないというのか、強打するための鋭い振りがうまくできていなかった。
いろいろと感じ、考える反省点は多い。一つだけやるべきことを選ぶとすれば、体力を鍛えることに尽きる。ボールに向かって走らないといけない。レシーブの構えを、台の近くでやや身体を起こした体勢に変えて、最初の試合だった。台上のカバーがよくできるようになったが、その分、研ぎ澄まされた集中力とボールの鋭さが削がれることとなったようだ。目線をネットまで落としてまたやり直してみよう。
全国大会が遠のき、コロナが周りで出てきて、少し、心と身体がなまってきているようだ。また、ミスが出て自分のプレーに自信がなくなると、待ち時間が長くなり、相手をじらすことにもなったようだ。誰にとっても気持ちのよいことではない。
自分でも不甲斐ないとおもう試合をするぐらいなら、座禅でも組んだほうがいいだろう。
最後の試合では、私は、ダブルスもシングルスも負けてしまったのだが。あとの仲間の3人が3勝してくれたおかげで、チームは勝ち、最下位を免れた。こんな経験は、生まれて初めてのことだ。仲間と飲むビールはほろ苦かったが、チームメートがいることはアリガタキことだ、と久々にヒシヒシと感じる日となった。
高木美帆のギンギラギン(銀銀銀)の金メダル:限界を超えた神の領域
高木美帆は前回の平昌オリンピックで、金、銀、銅メダルを獲得し、一躍、誰もが知る、スケート界のスター選手となった。しかも平昌大会では、姉の高木菜那も金メダルを2つ獲得し、スケート界のトップ・ライバル姉妹としても、有名になった。
4年に一度のオリンピックにおいて、一つの大会で大活躍できれば、それがアスリートとしての自分の頂点と位置づけられ、次の大会では、その栄光を少しでも維持できれば幸運と考える。連覇できれば、最高の出来といえるだろう。しかし、高木美帆は前の大会の栄光を今一度という目標にとどまらず、5種目に出場するという前例のない攻めに出た。
最初の3000mは6位。得意とする種目ではなく、長距離で最初の競技とあって、自分の体調や氷の具合を確かめるという意味もあったのだろう。あまり無理をしなかったのではないか。次の1500mが、世界記録保持者として金メダルの大本命であり、前回の銀を金に変えるマジの勝負だった。しかし、再び銀メダル。
500mは自己ベストを出して、最終滑走の組まで一位を維持。金メダルを願って見ていたが、アメリカ初の黒人選手であるエリン・ジャクソンがわずかに上回って金メダルを獲得し、高木美帆が銀メダルとなった。
【試合後の一問一答】
ー今の気持ちは
「苦しい時期が続くなか自己ベストを出せたこと、こん身のレースができたことがうれしかった。今は正直、驚いている気持ちでいっぱい」
ー滑り終わってから結果が出るまで長かった
「パシュートも近いので、まずは自分の体をリカバリーさせなきゃなというのと、時間が今日だけはナイトレースということで、どうやってリズムを戻そうかということも考えてはいたんですけれど、組を重ねるごとにメダルの可能性が出てきたので後半になってくるとちょっとそわそわしはじめた」
ー自身5個目のメダル。これまでとは違う意味があるか
「正直なところ、500メートルに出るかどうか本気で考えたこともあったが、最後まで挑戦してよかった。500メートルに関してはチャレンジした証しだと思っているので、すごく誇りに感じる」
ー次は団体パシュート
「団体パシュートは個人種目とは全く違った重みがある。ひと言で表せるものではないが、何が起こるか分からない種目。ひとつひとつを大事にしつつも上をみてチーム全員で挑戦していきたい」
パシュートは前大会で金メダルを獲得して、常に一位を堅持し、今大会でも金メダルの筆頭候補の種目である。最後のカーブまでリードして金メダルは確実と思われたそのときに姉である高木菜那が転倒するという悪夢のようなアクシデントが起きて、またも、よもやの銀メダル。泣きじゃくる姉を支える胸中が思われた。
日本女子団体パシュート、転倒と「その後」 「スッキリ」が伝えた妹・高木美帆の行動
1000mでオリンピック記録を達成して、金メダルを獲得!!
高木選手は「オリンピックの出だしはつらいことがあって、自分の調子も上げきれないときがあったが、最後に自分のすべてを出し切り、金メダルを取れなくても悔いはないと思えるようなレースができたのが本当にうれしい。そして、金メダルをとれたことは、形となって残ったと思う」と喜びを語りました。
また、今大会7回のレースを終えたことについて「正直に言って、体は限界でギリギリだった。無事に走ることができてよかった」と振り返りました。
そして「たくさんのエールをもらったことで、ひるまずに攻めることができた。最後、このレースが終わって、やっとみんなにありがとうを言える」と感謝のことばを述べました。
平昌大会のときに23歳、北京大会では27歳という年齢をどのように見るか。2010年のバンクーバー大会に15歳で初出場していることから鑑みれば、高木美帆がすでにかなりのベテラン選手であることはたしかだ。しかし、平昌大会では500mで金、1000mで銀メダルを獲得した大スター選手である小平奈緒が当時31歳だったことを思えば、次回の2026年のイタリア(ミラノ&コルティナ・ダンペッツォ)大会で、高木美帆は頂点を迎えるという考えも成り立つ。27歳で迎えた北京大会は、高木美帆にとっては、強欲に出来得る限りすべてのチャンスに挑戦するという無茶のできる大会だったということなのだろう。小平奈緒や岡崎朋美といったスピードスケート界のリーダーたちが35歳でオリンピックに出場していることを鑑みても、高木美帆はあと2回のオリンピックに出場する可能性があり、彼女は現時点において世界のトップアスリートとしての人生の中間点にあるのかもしれない。高木美帆の活躍がまだまだ見れる私たちは幸せ者である。今大会における高木美帆の5つの挑戦は、いくつもの人生ドラマが凝縮された名場面に彩られていた。選手も観衆も喜怒哀楽をともにし、感動が広がった。高木美帆と高木菜那というアスリート姉妹の存在に感謝したい。
高木美帆 今大会全レース結果
今大会5つの種目に出場して金メダルを含む4つのメダルを獲得した高木選手のすべてのレースの結果です。
《個人種目》
2月5日 女子3000m 4分1秒77 6位入賞
2月7日 女子1500m 1分53秒72 銀メダル
2月13日 女子500m 37秒12(自己ベスト)銀メダル
2月17日 女子1000m 1分13秒19(五輪新)金メダル
《女子団体パシュート》
2月12日
準々決勝 2分53秒61(五輪新=当時)8チーム中1位 準決勝進出
2月15日
準決勝 2分58秒93 ROC=ロシアオリンピック委員会に勝利、決勝進出
決勝 3分4秒47 カナダに敗れ銀メダル

北京オリンピック/高梨沙羅の悲劇:あまりにも愚かな人間の審判・判定との闘い
以前のブログ「審判は神であるべきか?」で、人間は技術革新(AI)にスポーツの審判の座を明け渡すべきだと説いた。あろうことか、北京オリンピックというスポーツ界の最高の舞台で、人間の審判や判定による劣悪な悲劇を、私たちは見せつけられている。目の覚めるような大ジャンプをみせた高梨沙羅が、着ていたスーツが緩かったという理由で失格となったことを伝えられた大半の人々は、何が起こったのかもわからず、ただただ呆然とし、唖然とし、あるいは憮然としていたにちがいない。泣き崩れる沙羅の姿を見て、その判定に憤りを覚えた人も多くいただろう。競技を見ている私たちにはまったくわけのわからない所で、わけのわからない理由で、しかも参加選手全員ではなく、恣意的に選ばれた選手だけに対して、突然そうした検査が行われ、対象とされた選手が失格という見せしめの刑罰に処される。スポーツにおける審判は絶対神であり、審判がそういえばそうなるのである。
オリンピックという選手にとっても家族や応援するファンにとっても、もっとも晴れやかな4年に一度の舞台が、こうした違反摘発の見せしめの場として使われることを誰一人望んではいない。そのようなオリンピックに何の意味があるというのだ。こうした一般常識ではわからない規則の徹底やその取締りに関することは、オリンピックの直前の世界選手権やさまざまな国際大会や会議において、徹底して周知させ、実施させ、浸透させて、かつ情報公開をして、オリンピックという晴れの舞台で起こらぬように、努力し、汗をかくのが、組織委員会や審判団、すべての関係者の務めというものだろう。これでは、スポーツがアンフェアで、汚ないものであることを喧伝しようという、アンチ・スポーツ組織の陰謀としか思えないではないか。全参加選手団の納得と承諾を得ない、しかも公正・平等ではない、審査や判定は、決して行われるべきではない。審判が人間である以上、審判の行動を監視し、コントロールするシステムがなくてはならない。そもそも人間には、他の人間(生き物)に対する審判をくだす能力はなく、そのような一方的な権限を持たせるべきではないのだ。
カミラ・ワリエナのドーピング問題と冷戦の復活
女子フィギュアスケートのスター選手であるロシア・オリンピック委員会(ROC)のカミラ・ワリエワ(15)が、昨年12月のロシアの大会でのドーピング検査で陽性反応を示したことが発表された。しかるに、ロシア反ドーピング機関(RUSADA)は、ワリエワ側の異議申し立てを受け入れて、すぐに処分を解除して、活動継続を認めたという。これに対し、国際オリンピック委員会(IOC)が、処分解除の決定を不服として、スポーツ仲裁裁判所に上訴するのだそうだ。ロシアの国家組織をあげたドーピング問題はあまりに長期的で、広範囲で、確信犯的で、相当に根が深い。このような国家・組織体制においては、選手は使い捨ての道具であり、犠牲者でもある。一部のスターの背後には、累々とした屍が築かれることになろう。
ウクライナ危機といい、北京オリンピックは、イデオロギー的な冷戦の復活の気配に満ちている。
平野歩夢「ようやく小さい頃の夢が一つかなったな」
いまでも男の子と言ったほうがしっくりとくる雰囲気の平野歩夢は、実は、2014年(ソチ)と2018年(平昌)冬季オリンピックで、2回連続銀メダルを獲得しているスノーボードのトップを走り続けるスーパー・ベテラン選手である。平野歩夢には、憧れのレジェンド・スター選手がいる。アメリカのショーン・ホワイトである。ショーンは13歳のときからプロスノーボーダー兼プロスケートボーダーとして活躍し、スノーボードでもスケートボードでも国際大会で金メダルを獲得している。スノーボードでは2006年(トリノ)と2010年(バンクーバー)でオリンピック連覇。2018年(平昌)には平野歩夢に逆転で3度目のオリンピック金メダリストとなった。今回の2022年(北京)で引退を表明しており、4位の見事なパフォーマンスを見せた。
初めてスケートボードが夏のオリンピック種目として採用された東京オリンピックにおいて、すでに冬のオリンピックのスター選手である平野歩夢が、スケートボーダーとして夏のオリンピックに挑戦することを決めたのも、目標とするショーン・ホワイトの足跡をたどり、いつかレジェンドに並び、新しいフロンティアを切り拓こうという思いがあったからではないか。
今回、平野歩夢が史上初めて成功させた「トリプルコーク1440」は、2012年4月にショーン・ホワイトが練習中に大怪我をして入院したといういわくつきのもののようだ。そのほぼ10年後に、平野歩夢が、初めて成功させ、ショーンのかなえられなかった夢の技を歩夢が達成したという、スノーボードの新しいレジェンドの誕生を示す象徴的な出来事だったのではなかろうか。
それにしても、一年延期されて今年8月に開催された東京オリンピックにスケートボーダーとして参加してから、3-4ヶ月という短期間において、スノーボーダーとして世界のトップに君臨する技と身体と精神力を想定し、強化し、マスターするという到底信じ難い離れ業をやってのけた事実には、震撼するほかない。
冬季オリンピックにおいて、銀、銀、金、という3回連続のメダリストとなった平野歩夢がスノーボード界をリードする存在であり、すでにレジェンドとしての風格を持っていることに疑いはない。彼にとって、北京オリンピックの金メダルは、2014年と2018年の忘れ物をやっと取り返したような出来事だったのかもしれない。おそらく、「トリプルコーク1440」をこの世に出せたこと。完璧だったはずの2回目の演技が、91.75点という低い評価を受けた「怒り」をバネにして、3回目の演技をより高く、より美しく、完成させて、96点をたたき出し、心技体のそろった文句なしの第一人者として世界を納得させられたこと。それらすべてがひとつとなって、「小さい頃の夢」を実現している自分を見ることができたのだろう。私たち観客も、高く、遠く、長くも感じた彼の夢がかなったパーフェクトな瞬間を、平野歩夢に見せてもらったことを心から喜んだのだ。
平野歩夢は、「夢を歩む」ことを、親から与えられたのではなく、自分の運命として受け入れ、人生として体現している。夢のようなそして過酷な修行者的な存在である。スノーボードの世界、そしてスケートボードや他の世界においても、その好奇心と向上心で、まだまだフロンティアを広げてくれそうな「夢見る」そして私たちにも「夢見せる」存在として、平野歩夢を心から応援したい。


未来の時空からきた羽生結弦の闘い
地球上における羽生結弦の存在は、タイムマシーンで未来からやってきた理想の人間像を示しているようだ。現世に生きる私たちに、異次元のレベルのフィギュアの世界を魅せてくれた。4回転という途方もない身体技術のフロンティアを一人で拓き、一気に、時計の針を進めて、フィギュアスケートのあたりまえのメニューにしてしまった。羽生結弦の凄さは、実は、技術だけではなく、そのしなやかで美しいフォームにある。人間を煩悩から救おうとする観音様のような、男女の性別や世代を越えた、キリリと整った顔立ちと細身でしなやかに伸びた手足。鋼のような強さを秘めた身体は異様に柔らかく、白い氷のキャンパスの上で、人間とは思えない直線と美しい弧を描きながら回り、踊り、跳ねる。天女の舞いとはこのようなものなのにちがいない。羽生結弦は、透明な翼を持つ地上に降りたエンジェルなのだろう。なぜ、日本人の男性として生まれたのかはわからない。日本社会の世界にも遅れた貧困なる精神を救うためなのか。中国においても絶大な人気を誇る羽生結弦の存在は、特異かつ稀有なものである。世界中の誰もが、オリンピック番組のテレビの前で、思わず手を合わせて、彼の思いがかなうよう祈りを捧げてしまうのである。
前回のオリンピックでは、完璧な演技を魅せて、金メダルに輝いた羽生結弦。以後、ケガとの戦いが長く続いた。水や空気、そして精神まで汚染された現世の人間社会において、注目と期待と好奇の目を浴びながら、神聖で清浄で完全なる心身を保つことが困難なことは、M78星雲から来たウルトラマンの例をださなくてもわかることだ。
今回はネイサン・チェンという大本命がいる中で、羽生結弦は、早い時点から、クワッドアクセルの成功をオリンピックの目標としてあげていた。未来から来た伝道者として、そして己の決めた道を極める求道者としての羽生結弦の真骨頂がそこに現れている。そもそも初めから、羽生結弦は、「勝ち」ではなく「価値」を求める存在だったのだ。そして、今日、羽生結弦の4回転アクセルは、オリンピックの場で正式に認定された。
羽生結弦は、期せずして4位となり、2位の鍵山優真、3位の宇野昌磨が、銀メダルと銅メダルを獲得して日本のフィギュアスケート界にとって未来への希望をつなぐ結果となった。これは、羽生結弦にとっても、安堵できる、ベストの結果だと思う。今の羽生自身が、銀や銅メダルを得ることに、自分でなくてはならない「意味」を見出すとは思えない。歴史と万人の心にその歩みを刻み続ける羽生結弦にとって、その影を慕いて後に続く若者を鼓舞することも「価値」のあることだと思っているにちがいない。



東卓シニアリーグ、王座決定戦に勝利!!
今日は、朝から早起きして6時46分の電車で、西東京市総合体育館のある田無へ向かいました。
代々木上原駅で、同じ車両に乗ってきた佐藤(健)さんと遭遇。高田馬場駅のホームで平沢さんと遭遇。田無駅のタリーズコーヒーで、高田くん、河島さん、園田さん、鈴木(由)さんとほぼ1分以内で九十九チーム全員集合。朝8時15分できっちり揃うというのも、大学のリーグ戦なみだね。
タクシーで体育館へ移動すると、長い女子の行列ができている。今日は東卓リーグの女子3部の試合がある。男子は王座決定戦に出場する私達九十九チームと卓精会チームのみ。女性の園と思いきや、私達は地下の練習場へと追いやられる。
9時から9時半までが練習の時間。寒い中、3台並んだ卓球台に向かって6人で打ち合う。昨日調整したグリップの感じがまだつかめず、ドライブのオーバーミスが多い。汗をかいた。卓精会はなかなか現れず、もしかすると、コロナ棄権? 不戦勝? と思ったら、卓精会の全員がそろって登場!!
9時半きっかりに練習を終えて、オーダーを交換。九十九としては、ガップリ四つで、強い選手・ペア同士で勝負するつもりでオーダーを組む。その予想がそのまま当たって、まずはダブルス勝負。
私と河島さんのペアは、シングルスの実力はマスターズチャンピオン同士ということで、相当なものと思われているが、去年のクラブ選手権予選会では全敗している、実は、大穴。とにかく、私がダブルスが下手。そこで今回は、全日本のダブルスチャンピオンの戸上選手のレシーブ体勢をじっくりと研究。フォアのレシーブで(チキータではない)台の真ん中に右腕をのせて構えてから、相手がサーブモーションにはいると上半身を起こして、やや自由な形から上からショートサーブを処理する。昨日練習したばかりのフォームだが、これでレシーブが格段に良くなった。三球目・四球目でも足を動かして待ち凡ミスが減った。まだ躰が暖まっていない長谷川・金本エースペアに序盤リードして逃げ切る。二ゲーム目は打ちミスが出てシーソーゲームとなる。最後に、長谷川さんの低いドライブを河島さんがカウンタースマッシュを決めて11-8の勝利。もう一組のダブルス鈴木・佐藤ペアも勝って、2-0のリードという理想的な出足となった。
三番と四番のシングルスは、一つずつやればいいかなと思ったが。二台で同時に行うということで、高田くん対増田さん、私と金本さんが並んで対戦。金本さんは、三年ぐらい前に試合して1-3で負けたことがある。多彩なサーブを持ち、バックショートやプッシュがうまいペン表の技巧派。サーブ+三球目で攻めるも、すぐにフォアに回されて振られる。バックへのショートをカットで拾い、フォアの軽打をバックでしのぎ、相手の打ちミス。粘りの得点でリード。しかしドライブ攻撃をことごとくフォアでもバックでも止められ8-7まで追いつかれる。ロングサーブで得点。11-8で逃げ切った。2・3ゲームは、私が金本さんのナックルボールに慣れてきて、フォアドライブとバックプッシュでミスがなくなる。最後の一本を必ず返す形で、点差を広げて勝利することができた。
3番手の高田対増田の試合は2-2のファイナルゲームにもつれ込む。ペン表の増田さんのスマッシュを高田くんがよくブロックしてしのぎ、フォアでもカウンターが入る。高田くんはドライブの威力がなくなったかわりに、フォアへの動き、切り替えとブロックが良くなった。9-9から回り込んでレシーブドライブを決めて10-9。次も回り込んだが、レシーブドライブミス。この展開でサーブで取り合うジュースが続く。最後に、増田さんがバックストレートへ打ったスマッシュを高田くんがよく反応して返して15-13の勝利。高田くん、よくやった。おめでとう。
これで九十九チームは、東卓シニアリーグで三連覇。チームメンバーは、来年度の東京卓球選手権大会への出場権を獲得することとなった。
新スポ連の全国大会、全関東社会人大会そして今年度の東京卓球選手権大会と、コロナ禍にあって中止が相次ぐ中で、この王座決定戦だけでも開催されたことはありがたいことだった。開催していただいた東京卓球連盟の関係者には感謝の言葉しかない。
早く、コロナを政治的、社会的、経済的、そして医学的、心理的にも克服して、自由にスポーツと交流を楽しみたいものである。

ヒトの脳と人間の精神的世界
以前のブログ(オリンピズムと人間の進歩 « Happiness via Ping Pong (happy-development.com))で英国の歴史家トインビーの考えについて以下のような話をした。
「人間は非人間的自然を処理すること」は得意であるが、自分自身を含む「人間の内部にある人間的自然を処理する」ことには不得意だという。そのため、人類誕生以来現代にいたるまで「非人間的世界」における顕著な進歩と、人間の内部の「精神的世界」における未成長または非進歩という、トインビーのいうところの著しい不釣り合いによる「この地上における人間生活の一大悲劇」が進行中である。地球温暖化や紛争や貧困は、その人間の業ともいうべき「悲劇」の産物と考えられる。
今回は、ヒトの脳と人間の精神的世界との関係について考えてみた。
人間内部の精神的世界をつかさどるのが、類人猿を始めとする他の動物よりも極度に発達した人間の「脳」であることに疑いはないだろう。人間という生物が持つ「脳」という器官の中でそれぞれの人の精神的世界が生まれて、成長して、いろんな展開をして、消えていくものなのだろう。これを「魂」と呼んで、DNAのように脳を入れ物または乗り物として「前世」から「現世」そして「来世」へと転生していくものとする解釈も、(私自身を含めて)一般的に信じられている。身体を離れた魂が存在するとしても、その魂は、生きていたときの記憶をよりどころとし、そのときの所業に伴う因果を背負うものと考えられている。
脳=精神的世界における思考活動には決まった限界が存在しないという思いを抱くのは、私だけではないだろう。しかしながら、脳は生物学的に有限な存在であり、肉体とともに死に至る存在である。人間の精神的世界が肉体の檻から開放されず、その進歩も生物学的進歩に準じているのは、魂という存在が人間の脳と切り離せないものであることの証明(あかし)なのだろう。
さて、人類誕生以来、脳は発達を続け、その大きさも2百万年前の4倍程になっているそうだ。しかし、この人間の脳が3千年前からは縮小に転じているらしいのだ。この原因について、蟻の脳の進化と比較した研究報告(デシルバら, 2021) がある。その報告によると、人間社会の拡大に伴い、個人の知性に基づく判断よりも(専門家などの)集団的知性への信頼と分業が進んだことで、人間の脳が効率化して、縮小に転じたということらしい[i]
「人間はポリス(社会)的動物である」と言ったのはアリストテレスである。蟻や蜂は社会性昆虫と言われ、女王を頂点として階層化された集団社会を形成することで知られている。その蟻の脳の進化と人の脳の進化と比較できるということ自体、想像し難いことであり、不可思議そのものである。脳の生物学的な発展の長い過程に比べてみれば、魂の記憶はあまりにも短いようだ。おそらく同じ人間として転生できたとしても、前世一代の記憶があることすら稀有という話が、転生モノの多いアニメの世界ですら常識となっている。魂は一人の人間の精神的世界(あるいは人格)を宿すものとして考えられている。しかしながら、その精神的世界は次の世に引き継がれることすら稀有であり、三世とはもたないようだ。個々の人間の魂という名の精神的世界にも寿命があるということなのかもしれない。
[i] 大きくなりすぎた人間の脳を維持するためのエネルギーコストは馬鹿にならないので、脳を効率化(ダイエット)する必要があったという説がある。
Toyinbee, Arnold J. (1948). Civilization on Trial. (アーノルド. J. トインビー. 深瀬基寛(訳) (1966). 「試練に立つ文明」 社会思想社)
DeSilva, J. M., Traniello, J. F. A., Claxton, A. G., & Fannin, L. D. (2021). When and Why Did Human Brains Decrease in Size? A New Change-Point Analysis and Insights From Brain Evolution in Ants. Frontiers in Ecology and Evolution, 9. doi:10.3389/fevo.2021.742639