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さて、英国の歴史家であるトインビーの言うように、人類はその誕生以来、自己の内部の「精神的世界」においての進歩が殆ど見られない、というのは、果たして真実(まこと)なのであろうか。さすがに、百万年前の人類の精神を紐解くことはできないが、有史以来、少なくとも数千年前の人々の精神的世界については、想像するに難くはない。たとえば、現在の人間社会の精神的な支柱となっている宗教や哲学が、ほぼ2・3千年前の宗教者や思想家たちによって創始されたことに鑑みれば、この数千年あまりの期間で、人間内部の精神的世界に顕著な進歩がみられたとは考えにくいだろう。クーベルタンの言うように、「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め」るものであるとすれば、世界・オリンピック記録の更新が続くなかで、それに伴う人間の精神的世界における進歩がなければ、「バランスよく結合させる生き方の哲学」として成功しているとはいい難いだろう。それでは、精神的世界の進歩の程度は、どうやって測ればいいのだろうか。世界記録みたいにわかりやすい指標がないため、ここではオリンピズムで謳われるフェアープレーの精神や倫理的規範といった概念を使って、人間の内なる精神的世界の進歩の度合いについて、古代オリンピックの時代と比較して、考えてみたい。
【古代オリンピックと不正行為】古代オリンピックにおいては、ギリシャの自由市民である成人男性全員にオリンピックへの参加資格があった。古代オリンピックの優勝者は英雄として最大の讃辞が与えられ、優勝した自国の市民に多大な賞与を与える国家もあった。「カロス・カガトス(高潔で、高貴な)」というオリンピックの理念のもとで、「美にして、善なること」を求められた (長田, 2020)。不正を働いた選手には罰金が課され、当時の聖地オリンピアの入場門前の台座には、その罰金で建立されたゼウス像が立ち並んでいたという。台座には不正の顛末と「オリンピックでは金の力ではなく、己の足の速さで勝ち、己の肉体で勝て」という銘文が刻まれ、オリンピック参加者にフェアープレーを促す警告となっていた。およそ1,200年間続いた古代オリンピックにおいて、最終的には16体の不正戒めのゼウス像が建てられたそうだ (佐野, 2016)。暴君として悪名高いネロ皇帝は、オリンピックの開催年を変更させ、自分の好きな競技を加え、八百長で自らも優勝者となった(ペロテット, 2004)。この大会は皇帝の死後、記録から除外されている。
【近代オリンピックの問題】さて、近代オリンピックも不正事件に事欠かない。金銭的なものでは、開催都市をめぐる選挙における買収行為が東京への招致運動においても問題となった。アスリートを巻き込んだ不正行為の最大のものがドーピングである。1960年ローマ大会で自転車競技の選手が競技中に死亡する事故が起きた。その原因がアンフェタミンの大量摂取によりものと判明し、IOCはドーピング禁止を明確に打ち出すようになる。「ドーピングの非人間性は死に至る可能性にある」という(関根, 2019)。ドーピング禁止の主な理由は、選手の健康そして生命への危険を伴う行為であるためだが、生物学的自然性から逸脱し、生物学的限界を超えてしまうことの「非人間性」が倫理的に問題であるという考え方には賛同できる。ドーピングには多様な方法があり、いまだに違反者側と取締側とのいたちごっこが続いている。ロシア連邦の組織的かつ常習的なドーピング違反とその隠蔽行為に対して、東京オリ・パラにおいても、ロシアの国旗や国歌は用いず、個人資格での選手参加という対応となった。レンク(1985)は、近年変容し続けるスポーツの姿をオリンピアードにかけて「テレアード(放映料依存)」「ドーピアード(薬物依存)」「コマーシアード(営利主義)」と批判している。近代になって煩悩は増えるばかりではないのか。
古代オリンピックの時代から二千数百年、近代オリンピックとして復興して一世紀を経た今も、アスリートやスポーツを支える人々の精神的世界に何らかの進歩があったという確証は見当たらないように思われる。
Toyinbee, Arnold J. (1948). Civilization on Trial. (アーノルド. J. トインビー. 深瀬基寛(訳) (1966). 「試練に立つ文明」 社会思想社)
長田亨一. (2020). 「古代オリンピックへの旅」. 悠光堂
Lenk, Hans. (1985). Die achte Kunst Leistungssport-Breitensport. (ハンスレンク. 畑孝幸, 関根正美(訳) (2017) 「スポーツと教養の臨界」不昧堂出版)
Perrottet, Tonney. (2004). The Naked Olympics. (矢羽野薫(訳)(2020)「古代オリンピック 全裸の祭典」河出文庫)
関根正美. (2019). オリンピックの哲学的人間学 : より速く、より高く、より強く、より人間的に. オリンピックスポーツ文化研究 No. 4, 91─ 100.