オリンピックは世界の平和に貢献できるのか。

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【オリンピック休戦】オリンピックとは、4年に一度、古代ギリシャのエーリス地方のオリンピアで開催されていたオリュンピア祭典競技を指し、今から2800年前の紀元前8世紀から紀元後4世紀までおよそ千二百年もの歴史を持つ。この大会の開催中の1ヶ月間(のちに大会前後を含む3ヶ月間)は、紛争の絶えなかった全ギリシャ諸国間において「エケケイリア」と呼ばれる休戦義務が課されていた。違反国には罰則規定も設けられていたこの休戦協約の効力は強く、古代オリンピックの定期的かつミレニアム(千年)にわたる開催を可能にした。オリンピックが「平和の祭典」と呼ばれる由縁でもある。

しかるに、近代オリンピックの比較的短い歴史の中では、第一次世界大戦および第二次世界大戦が起こり、休戦どころではなく、すでに夏季・冬季合わせて5回にわたって、オリンピックの方が中止されている。この古代オリンピックの休戦協定をモデルとして始められたのが、1993年の国連総会における「オリンピック休戦の遵守(Observance of the Olympic Truce)」の決議である。この「オリンピック休戦宣言」は、1993年以後、毎回の夏季・冬季オリンピック大会の前年に国連総会において決議されている。罰則や強制力のないオリンピック休戦の効力については、残念ながら、肯定的な評価は少ないようだ(谷釜, 2020)。しかしながら、紛争の絶えることのない世界であるがゆえに、「オリンピック休戦」に象徴されるようなスポーツによる平和への貢献の意義や期待は決して減るものではなく、一層増しているとも言えるのである(谷釜, 2020. 桝本, 2020)。

【難民とオリ・パラ】東京オリンピックをテレビ観戦していた私に、とまどいと感動を与えたシーンがあった。それは男子マラソンのゴール直前の出来事だった。2位集団から抜け出したナゲーエ選手(オランダ)が、何度も後ろを向いて手招きする素振りをみせたのだ。通常ならば、後ろを見て追いつかれないように走る場面なのだが、彼は、違う国を代表するアブディ選手(ベルギー)に、一緒にゴールを目指そうと手を振っていたのである。アブディ選手は懸命に追いかけて、ナゲーエ選手と二人で2位と3位でフィニッシュして、表彰台に並び立った。彼らは、同じソマリアを祖国とし子供の頃に内戦から逃れてヨーロッパに移住した難民であり、親友だったのだ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報告[i]によると、祖国にも帰れず、移住もできずに、無国籍状態となっている難民が、世界には2千6百万人(2019年末時点)いる。ソマリア難民だったナゲーエ選手やアブディ選手は、移住先のオランダとベルギーで国籍を取得して、それぞれ移住した国の代表としてオリンピックに参加することができた。しかしながら、数千万人もの無国籍状態にある難民たちには、そもそも所属するスポーツ組織もなければスポーツできる環境もないのである。2015年、IOCはこの難民という境遇にある人々に対して、オリンピックの扉を開き、2016年のリオ・オリンピックに難民選手団が初めて参加するというドラマが生まれた。2021年の東京大会においても、オリンピックとパラリンピック双方に難民選手団が結成され、メンバーに選ばれた難民選手たちは、様々なホスト国で東京大会に向け練習を積み、東京大会で活躍し、注目を集めた。IOCは、オリンピックやパラリンピックに難民であるアスリートが参加できる道を開いたばかりではなく、難民選手団のメンバーとなるアスリートの選考や育成まで積極的にサポートする体制を構築した。難民選手団のオリンピック・パラリンピック参加は、難民問題に対する人々の認識を深め、オリンピック・パラリンピックが平和の祭典であることを知らしめ、国連ともコラボするIOCのベスト・プラクティスの一つとなっている。


[i] UNHCR, Global Trends -Forced Displacement in 2019

舛本直文. (2020). オリンピックの平和運動:その理想と現実 オリンピックスポーツ文化研究, No. 5(23─ 36).

谷釜了正. (2020). スポーツと平和 ─オリンピックは平和の使者たりえたかー. オリンピックスポーツ文化研究, No. 5 1 ─ 9.

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