月別: 2月 2022

スポーツと人権・環境・開発

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【スポーツする権利】

スポーツと国連や国家の開発政策との結びつきは比較的新しい。国連ではユネスコが、1952年からスポーツをそのプログラムに取り入れるようになり、国家としてはドイツが1960年に「スポーツフォーオール」を推進する国家プランを立てている。これが基になって、1975年のヨーロッパスポーツ・体育担当大臣等会議において「スポーツフォーオール・ヨーロッパ憲章」が採択され、1978年の第20回ユネスコ総会において、「(第1条) 体育・スポーツの実践はすべての人にとって基本的権利である。」ことを宣言する「体育・身体活動・スポーツに関する国際憲章」が採択されている。この国際憲章の前文の中で「 体育・身体活動・スポーツは、自然環境において責任をもって行われることで豊かになること、ひいてはそれが地球の資源を尊重し、人類のより良い利益のための資源保護と利用への関心を呼び起こす」[i]と述べrられており、この体育・身体活動・スポーツに関する国際憲章が持続可能な開発(SDGsや地球憲章)と共通する理念を持つものであることが理解できる。

【スポーツと地球環境】

しかるに、肥大化・商業化を続けてきたオリンピックの現実は、1990年までは環境保護団体などからの非難を受け、開催地の選択にも滞る状況だったのである。リオで地球環境サミットが開催された1992年のバルセロナ・オリンピックにおいて、全参加国のオリンピック委員会が「地球への誓い(The Earth Pledge)に署名し、世界のスポーツ界も積極的に環境に取り組む意志を示す。そして、1994年のIOC創立100周年を記念するオリンピックコングレスにおいて、オリンピック憲章に初めて「環境」についての項目が加えられ、“スポーツ”、“文化”、“環境”は、オリンピック・ムーブメントの三本柱とされた。1995年にIOCは「スポーツと環境委員会」を設置し、以後、「IOCスポーツと環境世界会議」を定期的に開催している。20世紀初頭に、クーベルタンらによって復興した近代オリンピックは、第一次・第二次世界大戦による中断に見舞われながらも、国際社会の平和を促進するメッセンジャー的な役割を担い、1999年には「オリンピックムーブメント アジェンダ21(持続可能な開発のためのスポーツ)」[ii]を採択し、スポーツの地球環境保全に向けての行動指針を明らかにしている。

【MDGs・SDGsの手段としてのスポーツ】

21世紀に入ると、スポーツを主要な目的として、平和教育や環境保護といった目的との協調をはかるIOCに代表される従来のアプローチに加えて、開発や平和という目的を達成するための手段としてスポーツに期待する国連に代表されるアプローチが顕著になってくる。2001年にコフィ・アナン国連事務総長が、スイスのアドルフ・オギ前大統領を「開発と平和のためのスポーツ」特別アドバイザーに任命し、2002年には、国連組織間で開発と平和のためのスポーツ・タスクフォースが結成された。当タスク・フォースは、翌2003年に「開発と平和のためのスポーツ:ミレニアム開発目標(MDGs)達成に向けて」と題する報告書を作成し、その中でスポーツを、MDGsを実現する上で「コストが安く、効果も大きく、強力な手段である」と規定している(内海, 2016)。また、同年、国連総会は、「教育,健康,開発そして平和を促進する手段としてのスポーツ」と題する決議を採択し、2005年を「スポーツと体育の国際年」と定めて、その啓蒙と実践に努めることを提唱する。2009年にIOCは国連総会のオブザーバーとしての地位を承認され、国連とIOCの協力関係が更に強化される。MDGsを引き継いだSDGs(2030アジェンダ)の中でも、SDGsを達成する上で、スポーツは以下のような貢献を期待されている。

37.(スポーツ)スポーツもまた、持続可能な開発における重要な鍵となるものである。 我々は、スポーツが寛容性と尊厳を促進することによる、開発及び平和への寄与、また、 健康、教育、社会包摂的目標への貢献と同様、女性や若者、個人やコミュニティの能力強化に寄与することを認識する。[iii]


[i] 文部科学省(https://www.mext.go.jp/unesco/009/1386494.htm)アクセス2022年1月10

[ii] 日本オリンピック委員会 (https://www.joc.or.jp/eco/pdf/agenda21.pdf) アクセス 2022年1月20日

[iii] 国連広報センター https://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/

sustainable_development/2030agenda/ アクセス 2022年1月10日

オリンピックは世界の平和に貢献できるのか。

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【オリンピック休戦】オリンピックとは、4年に一度、古代ギリシャのエーリス地方のオリンピアで開催されていたオリュンピア祭典競技を指し、今から2800年前の紀元前8世紀から紀元後4世紀までおよそ千二百年もの歴史を持つ。この大会の開催中の1ヶ月間(のちに大会前後を含む3ヶ月間)は、紛争の絶えなかった全ギリシャ諸国間において「エケケイリア」と呼ばれる休戦義務が課されていた。違反国には罰則規定も設けられていたこの休戦協約の効力は強く、古代オリンピックの定期的かつミレニアム(千年)にわたる開催を可能にした。オリンピックが「平和の祭典」と呼ばれる由縁でもある。

しかるに、近代オリンピックの比較的短い歴史の中では、第一次世界大戦および第二次世界大戦が起こり、休戦どころではなく、すでに夏季・冬季合わせて5回にわたって、オリンピックの方が中止されている。この古代オリンピックの休戦協定をモデルとして始められたのが、1993年の国連総会における「オリンピック休戦の遵守(Observance of the Olympic Truce)」の決議である。この「オリンピック休戦宣言」は、1993年以後、毎回の夏季・冬季オリンピック大会の前年に国連総会において決議されている。罰則や強制力のないオリンピック休戦の効力については、残念ながら、肯定的な評価は少ないようだ(谷釜, 2020)。しかしながら、紛争の絶えることのない世界であるがゆえに、「オリンピック休戦」に象徴されるようなスポーツによる平和への貢献の意義や期待は決して減るものではなく、一層増しているとも言えるのである(谷釜, 2020. 桝本, 2020)。

【難民とオリ・パラ】東京オリンピックをテレビ観戦していた私に、とまどいと感動を与えたシーンがあった。それは男子マラソンのゴール直前の出来事だった。2位集団から抜け出したナゲーエ選手(オランダ)が、何度も後ろを向いて手招きする素振りをみせたのだ。通常ならば、後ろを見て追いつかれないように走る場面なのだが、彼は、違う国を代表するアブディ選手(ベルギー)に、一緒にゴールを目指そうと手を振っていたのである。アブディ選手は懸命に追いかけて、ナゲーエ選手と二人で2位と3位でフィニッシュして、表彰台に並び立った。彼らは、同じソマリアを祖国とし子供の頃に内戦から逃れてヨーロッパに移住した難民であり、親友だったのだ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報告[i]によると、祖国にも帰れず、移住もできずに、無国籍状態となっている難民が、世界には2千6百万人(2019年末時点)いる。ソマリア難民だったナゲーエ選手やアブディ選手は、移住先のオランダとベルギーで国籍を取得して、それぞれ移住した国の代表としてオリンピックに参加することができた。しかしながら、数千万人もの無国籍状態にある難民たちには、そもそも所属するスポーツ組織もなければスポーツできる環境もないのである。2015年、IOCはこの難民という境遇にある人々に対して、オリンピックの扉を開き、2016年のリオ・オリンピックに難民選手団が初めて参加するというドラマが生まれた。2021年の東京大会においても、オリンピックとパラリンピック双方に難民選手団が結成され、メンバーに選ばれた難民選手たちは、様々なホスト国で東京大会に向け練習を積み、東京大会で活躍し、注目を集めた。IOCは、オリンピックやパラリンピックに難民であるアスリートが参加できる道を開いたばかりではなく、難民選手団のメンバーとなるアスリートの選考や育成まで積極的にサポートする体制を構築した。難民選手団のオリンピック・パラリンピック参加は、難民問題に対する人々の認識を深め、オリンピック・パラリンピックが平和の祭典であることを知らしめ、国連ともコラボするIOCのベスト・プラクティスの一つとなっている。


[i] UNHCR, Global Trends -Forced Displacement in 2019

舛本直文. (2020). オリンピックの平和運動:その理想と現実 オリンピックスポーツ文化研究, No. 5(23─ 36).

谷釜了正. (2020). スポーツと平和 ─オリンピックは平和の使者たりえたかー. オリンピックスポーツ文化研究, No. 5 1 ─ 9.

古代オリンピックから近代オリンピックへ:人間の精神的進歩

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さて、英国の歴史家であるトインビーの言うように、人類はその誕生以来、自己の内部の「精神的世界」においての進歩が殆ど見られない、というのは、果たして真実(まこと)なのであろうか。さすがに、百万年前の人類の精神を紐解くことはできないが、有史以来、少なくとも数千年前の人々の精神的世界については、想像するに難くはない。たとえば、現在の人間社会の精神的な支柱となっている宗教や哲学が、ほぼ2・3千年前の宗教者や思想家たちによって創始されたことに鑑みれば、この数千年あまりの期間で、人間内部の精神的世界に顕著な進歩がみられたとは考えにくいだろう。クーベルタンの言うように、「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め」るものであるとすれば、世界・オリンピック記録の更新が続くなかで、それに伴う人間の精神的世界における進歩がなければ、「バランスよく結合させる生き方の哲学」として成功しているとはいい難いだろう。それでは、精神的世界の進歩の程度は、どうやって測ればいいのだろうか。世界記録みたいにわかりやすい指標がないため、ここではオリンピズムで謳われるフェアープレーの精神や倫理的規範といった概念を使って、人間の内なる精神的世界の進歩の度合いについて、古代オリンピックの時代と比較して、考えてみたい。

【古代オリンピックと不正行為】古代オリンピックにおいては、ギリシャの自由市民である成人男性全員にオリンピックへの参加資格があった。古代オリンピックの優勝者は英雄として最大の讃辞が与えられ、優勝した自国の市民に多大な賞与を与える国家もあった。「カロス・カガトス(高潔で、高貴な)」というオリンピックの理念のもとで、「美にして、善なること」を求められた (長田, 2020)。不正を働いた選手には罰金が課され、当時の聖地オリンピアの入場門前の台座には、その罰金で建立されたゼウス像が立ち並んでいたという。台座には不正の顛末と「オリンピックでは金の力ではなく、己の足の速さで勝ち、己の肉体で勝て」という銘文が刻まれ、オリンピック参加者にフェアープレーを促す警告となっていた。およそ1,200年間続いた古代オリンピックにおいて、最終的には16体の不正戒めのゼウス像が建てられたそうだ (佐野, 2016)。暴君として悪名高いネロ皇帝は、オリンピックの開催年を変更させ、自分の好きな競技を加え、八百長で自らも優勝者となった(ペロテット, 2004)。この大会は皇帝の死後、記録から除外されている。

【近代オリンピックの問題】さて、近代オリンピックも不正事件に事欠かない。金銭的なものでは、開催都市をめぐる選挙における買収行為が東京への招致運動においても問題となった。アスリートを巻き込んだ不正行為の最大のものがドーピングである。1960年ローマ大会で自転車競技の選手が競技中に死亡する事故が起きた。その原因がアンフェタミンの大量摂取によりものと判明し、IOCはドーピング禁止を明確に打ち出すようになる。「ドーピングの非人間性は死に至る可能性にある」という(関根, 2019)。ドーピング禁止の主な理由は、選手の健康そして生命への危険を伴う行為であるためだが、生物学的自然性から逸脱し、生物学的限界を超えてしまうことの「非人間性」が倫理的に問題であるという考え方には賛同できる。ドーピングには多様な方法があり、いまだに違反者側と取締側とのいたちごっこが続いている。ロシア連邦の組織的かつ常習的なドーピング違反とその隠蔽行為に対して、東京オリ・パラにおいても、ロシアの国旗や国歌は用いず、個人資格での選手参加という対応となった。レンク(1985)は、近年変容し続けるスポーツの姿をオリンピアードにかけて「テレアード(放映料依存)」「ドーピアード(薬物依存)」「コマーシアード(営利主義)」と批判している。近代になって煩悩は増えるばかりではないのか。

古代オリンピックの時代から二千数百年、近代オリンピックとして復興して一世紀を経た今も、アスリートやスポーツを支える人々の精神的世界に何らかの進歩があったという確証は見当たらないように思われる。

Toyinbee, Arnold J. (1948). Civilization on Trial. (アーノルド. J. トインビー. 深瀬基寛(訳) (1966). 「試練に立つ文明」 社会思想社)
長田亨一. (2020). 「古代オリンピックへの旅」. 悠光堂
Lenk, Hans. (1985). Die achte Kunst Leistungssport-Breitensport. (ハンスレンク. 畑孝幸, 関根正美(訳) (2017) 「スポーツと教養の臨界」不昧堂出版) 
佐野慎輔. (2016.1.26).「新オリンピアード始まる(4)健全性維持の仕組みを作れ」. 産経新聞  https://www.sankei.com/article/20160126-DX7IX3F2YJLVFF3B4PA42XESYA/
Perrottet, Tonney. (2004). The Naked Olympics. (矢羽野薫(訳)(2020)「古代オリンピック 全裸の祭典」河出文庫)
関根正美. (2019). オリンピックの哲学的人間学 : より速く、より高く、より強く、より人間的に. オリンピックスポーツ文化研究  No. 4, 91─ 100.