月別: 7月 2024

早田・張本ペアの一回戦敗退に見る新たなダブルスの世界への潮流

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あまり情報は多くないが、今回、混合ダブルスにおいて、早田・張本ペアが、北朝鮮のペアに敗れた試合は、前回の釜山で開催された世界選手権大会で、団体戦で中国がインドに2敗した試合と重なる。世界ナンバーワンの孫穎莎が、フォア表ソフト・バックアンチのA.ムケルジに敗れたのは特に衝撃的だった。王芸迪がフォア裏・バック粒高のアクラの粒高ショートに合わずに敗れ、中国をラスト勝負にまで追い込んだ。

開幕戦で、最初の試合だったことも状況が酷似している。相手はどんな卓球をするのか、予測もつかず、準備をできないままで試合に臨んだ時点で、かなりの不利な状況におかれていた。予測できていて、準備ができていれば勝てたかと言うと、おそらく、一週間もあれば、6割程度の確率で勝てたのではないか。それでも6割。世界2位のペアが敗れる確率は、まだかなり残されていたと思われる。

このような異質なラバーとの対決は、とにかく初対面では、よほどの実力差がない限り、敗れる可能性が高い。異質ラバーの選手は、攻撃力に粗さがあることが多い。異質のボールはボールが伸びず遠くまで飛ばないので、前陣でスマッシュやカウンター狙いの、ややギャンブル的な攻撃になるからである。相手の異質のボールに少しづつなれてくると、攻撃ミスを誘う粘りのプレーができるようになり、実力差があれば、接戦でも勝ち抜くことが可能になる。

自分が、カットとか守備型の選手なら、ラバーの影響を受ける確率は相当に少なくなる。下回転系のボールで返球することでミスを減らして、相手に攻撃させてからの勝負ができるからだ。そもそも守備型の選手には、異質ラバーを使う選手が多くいる。現代の卓球の潮流は、前陣攻守型の異質ラバーを使う選手が増えつつあることだ。

今後の潮流としては、ダブルスの世界が、相当に変わっていく可能性がある。前回のオリンピックで、伊藤・水谷ペアが金メダルを取ったことが、いまだに大きな話題になっている。今までは、少なくとも世界選手権では、団体とシングルスのメダルと、ダブルスのメダルでは、明らかに格差があった。世界チャンピオンといったときに、卓球ではダブルスのペアの名前を持ち出す人はいなかった。しかし、オリンピックにおいては、ダブルスの金メダルの価値が、シングルスや団体と限りなく同等、いや、おそらくまったくの同等なものとして扱われる。オリンピックを目指すことを最上位において、ダブルスに特化する選手やペアが日本や欧州でも、いや世界中で生まれてくる可能性がある。特に左の女子の異質ラバー選手は、混合ダブルスでも女子ダブルスでも、もっとも貴重な戦力になるだろう。ダブルスだと、攻撃をパートナーに任せることができるので、攻守の変化とバランスと安定感が格段に増すのである。

シングルスで強い者同士ではなく、ダブルスでもっとも相乗効果の高い、相手を翻弄できる、計算された二人の組み合わせを追求する時代に入ってきた。そういう潮流を感じさせられる試合だったと思う。

体操女子・宮田笙子への五輪辞退の強要について

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スポーツ界の異様さを示すザンネンな事例が、またオリンピックという衆目を集める舞台を使って起こってしまった。法の番人である司法制度を用いる以外に、政府の行政組織やスポーツ団体などの一般社団法人は、それぞれ内規を用いた賞罰規程などの罰則を独自に設けている。行政組織でいう行政判断や行政裁量といった行為である。さて、この行政の手続きにはいくつかの原則がある。ここで問題とすべきなのは、その中でも行政手続きの比例原則と平等原則と呼ばれるものである。その内容は以下の通り。

①比例原則

ある行政目的を達成しようとするとき、より規制の程度が軽い手段で目的を達成できるのなら、その軽い手段によるべき、という原則です。 目的と手段の均衡を要求するもの。

②平等原則

憲法14条を受ける形で、行政機関が合理的な理由なく国民を不平等に扱ってはいけないという原則。

比例原則違反:まず、当件が、比例原則に違反していることは明白だろう。未成年者の喫煙、飲酒の禁止は本人の健康を守るという目的によってつくられた法律である。この目的を果たすために「もっとも規制の程度が軽い手段」を選択しなければならないことを、比例原則は定めているのである。今回の処罰が比例原則とはまったくかけ離れている基本原則に違反する行為であることは明白である。五輪辞退というまったく本人の健康とは真逆の法の目的にも反するもっとも重い手段をとった今回のケースは、体操協会という組織のクリーンで厳格なイメージを喧伝しようというまったく見当違いの目的をもってなされたものであり、即刻、取り消されるべきものである。

平等原則違反:これまでに、スポーツ界において、喫煙・飲酒を理由に国際大会への参加を剥奪された選手がいたのであろうか。聞いたことはない。今回のケースにおいても、他のオリンピック選手の喫煙や飲酒行為に関する話ばかりで、過去に今回のような処罰を行った事例はまったくないのである。今回のケースが明らかに突出した平等原則に反する行為であることは明白である。今回の判断は、スポーツ仲裁あるいは裁判によって、覆えされるべき基本原則に反する処罰と考える。

オリンピックにはドーピングなど様々な厳しい独自の規程があると理解している。選手のオリンピックへの参加資格は、国際的な基準をもって判断すべきことがらだろう。世界人権規約においても、日本国憲法においても、選手の人権は、他の国民と平等に扱われるべきものである。日本のスポーツ界だけが突出した過度な締め付けや罰則を選手に課しているとすれば、それこそ選手にとっては封建的な、常に恐怖を感じながら生きていかなければならない世界だろう。血税を使っているとか、オリンピアンだからとか、未成年に一般市民とは異なる高いモラルを求めることは高邁な理想としてはありえることかもしれないが、それをもって平等でも公正でもない過度の罰則の理由とするのは、日本スポーツ界独自の封建的な性格の現れでしかない。今日の国民の求める公正さにも、憲法の精神にも即したものではないことは明らかである。



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