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コロナ自宅療養の決定(self-quarantine at home)

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8月13日

朝9時、ついに保健所から電話があった。昨晩6時と6時15分に電話したけど不通だったとこと。しかし、私の電話には着信記録はなかった。?? 本人確認、職業、国籍、家族構成を訊かれる。家族との接触の程度、状態などの説明。

コロナのワクチン接種について、7月27日に一回目終了。8月24日に二回目の予定。

検査に至った経緯についての説明。7月27日のワクチン接種のあとで発熱があった。その後は収まって、体調はベストではなかったが、運動は普通にできた。先週から喉が詰まる感じで咳が出始めた。検査をしようと思った理由としては、喉の奥に苦味があったり咳が定着してきたため。それは先週の金曜日(8月6日)あたり。

長いやり取りの末。8月6日を発症日とするのが適切だろうということで合意。「そうすると、療養期間は10日間なので、8月16日までを療養期間とさせていただきますが、大丈夫ですか。」「まあ症状があまり変わらないし(私)」

「変わらないですよね。あの。咳は、残っちゃうんです。一ヶ月とか2ヶ月とか。どれくらいかは人によるんですけれども。」

「あの、喉の奥に、胃が悪くなったときのような違和感があるじゃないですか。(私)」

「イガイガした感じですよね。わかります。それはたぶん残るんじゃないかと思います。」

「えっ?残っちゃうの?(私)」

「咳とか、口の中の変な感じ、あと味覚・嗅覚障がいのある方は、コロナの場合だと、戻るのに長くかかるみたいです。」

「重症化する可能性はあるんですか。(私)」

「熱とか体温は正常なんですね。そういう場合は、療養があければ、外出可能となってくると思います。症状は多少残っていても、人に感染(うつ)す可能性は低いという判断になるので。」「最終判断は県が行うんですけど。このあとで、LINEとかで登録してもらうことになります」

「PCR検査とかはしなくても?(私)」

「検査をしても、体の中には、コロナの残骸や死骸などが残っている状況なんです。それで陽性と出ることがあるんですね。ですので、急性期の症状がないと、人に感染す可能性がないという判断を国が出しています。」

「最後の3日間で、発熱やひどい頭痛、筋肉痛、倦怠感とかなければ、療養が終わるということになります。その判断は県が行うので、この電話が終わったらLINEで登録していただくことになります。」

あとの質問は、既往症、使用している薬、身長・体重など。自宅で不自由していること。そして保険証の番号。

県から無料で食事が届けられるサービスがあるとのこと。魅力的なオファーだが、3日後ぐらいから開始するということだったので、療養明けとなってからでは税金の無駄遣いになるやもしれず、遠慮することにした。

最後に、この親切な相談員の方は、保健所からの連絡が遅れたことを、侘びてくれた。私がPCR検査したセンターのクリニックからの報告も、基本的には、検査の翌日の夕方ぐらいになるとのこと。昨日午後6時に電話しようと努めたわけだから、報告受領後24時間で連絡を試みたことになる。特にこちらから相談できる担当がいるわけではなく、いろんな部署の応援者で対応しているとのこと。行政崩壊というよりも、行政逼迫という状況かな。

神奈川県療養サポートのLINE登録のむずかしさ

神奈川県療養サポートのLINE登録 では、四苦八苦した。まずスマホでは見れる指示が、コンピューターで見るLINEでは見ることができないことがわかった。おかげで最初の登録に失敗した。

再度スマホで挑戦したらうまくいった。

しかし、生年月日の提出で、カレンダーが出るのだが、2021年8月13日の表示から始まっている。ここから一ヶ月ずつ ”<” のマークを押して自分の生年月日までカレンダーをめくっていく。61年x12ヶ月+2ヶ月=734。734回押して、やっと1960年6月のカレンダーに到達して、提出ボタンを押したのだが、すでに時間切れだった。目の前が真っ暗になった。

コンピュータのLINEを見ると、自分でも数字を入れられることがわかった。こちらは、コンピュータを使って記入したら、やっとうまくいった。これって、高齢者にはとても無理なシステムじゃないか!?

Corona Positive Man コロナ陽性人間になる

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8月11日、6時半。目が覚めて、まだ喉の調子が良くないことを確認。

スマホには、ショートメールは来ていない。自分で結果確認サイトにアクセス。結果が出ていた。陰性でありますように!

『陽性』『Positive』

もう一度、見る。 『陽性』『Positive』

名前を確認する。私の名前と生年月日。確かに私だ。

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そうか。Positiveか。Negativeであることを求められるこの世界で、ついにPositive側の人間になったようだ。

ミャンマーで、社会から疎外されていた、HIV-Positiveグループを結成して、彼ら・彼女らのパーフォーマンスに飛び入り参加して「乾杯」を熱唱したことや、自宅の庭でBBQパーティを開いて一緒に踊ったことを思い出す。

Corona Positiveって、どんな世界だろう。最近、当時一緒に仕事したミャンマーの国連の同僚が二人Coronaで亡くなったばかりだ。パキスタンの国連の同僚は家族でコロナに罹って、無事に完治したとFacebookで報告していた。

上のアパートにいる妻にLINEで「陽性」だったと報告。「すまない。面倒をかける。」「なにか食べたい物がある?」「お粥と味噌汁が食べたい」

9時半、説明書にあった、藤沢コロナ受診相談センターに電話。陽性だったことを伝え、今後の対応を尋ねる。若い娘さんの声はやさしく、親切だった。どの医療機関でもみられなかった、初めての温かい対応。私のように咳とかの症状があるという場合は、担当の医療機関から電話の聞き取りがあって、保健所に通知するとのこと。そのあと、保健所がその日のうちに本人に連絡してくるのだそうだ。最近は遅れることもあるとのこと。家族は住む所が違えば、本人だけが自宅療養することになる。発症あるいは検査してから10日間の自宅療養が求められ、症状がなければ、それからは普通の人になるという。「えっ?それだけでいいの?」「陰性証明とかなくてもいいんですか?」「コロナで陰性になるには、一ヶ月とか時間がかかります。」「発症してから、10日間で感染力はなくなる」という国の基準があって、それに準じた対応とのこと。確かに、紹介された、「新型コロナウイルス感染症 自宅宿泊療養のしおり」にはそのように説明されている。

9時59分、川崎検査クリニックから電話。医療従事者と思われる男性が「田中さんですか。陽性という結果が出ております」「はい、知っています」

コロナの症状について問われる。2週間前の第一回ワクチン接種のあとで発熱があったこと。先週から喉が詰まり、咳の症状が続いていることなどを説明。「この結果については、これから保健所に報告します。保健所から連絡がありますのでそれをお待ちください」

それから、ずっと、保健所の電話連絡を待っていた。が、何も連絡は来ないまま、日が暮れて、真夜中になった。

東京卓球前期リーグ戦、2勝1敗(2位)で3部残留

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久しぶりの大会。小平市総合体育館。

3部はベテランチームと若者チームが混じり合う味のある戦いが見られる。若い女子選手のチームも男性チームに負けじと参戦していた。老いも若いも一緒のチームは少ない。シニアで50代や60代で活躍するチームが3部の若者に挑んでいる構図。私の九十九チームも平均年齢が60歳でここでは明らかに高齢者グループである。

戦績は鈴木さんと初めて組んだダブルスで、上位の若者チームに対して、痛恨の2敗を喫してしまい、東雄クラブには2-3で敗れてしまい、1位になって2部昇格の希望を絶たれてしまった。ダブルスでは私はいいサーブが出せず、レシーブも平凡なため、どうしても入れ込みになって、若者の球威に負けてしまう。ダブルス練習は全くしていないわけだから、勝ちきるだけの力をつけていないのも確か。嘆き文句を並べる資格はないのだ。これも修羅場をもっとくぐる必要がありそう。

シングルスは3番目。一点でも多く取るために相手のエースとの対戦が多くなり、どちらも絶対に負けられない戦いである。ピンピンダッシュの相手は左ペンのXu Xin選手を目指しているというスケールの大きいフォアドライブが得意な選手。一発が矢の速さと広角打法で手も出せない。ロングサーブを回りこまれて、目の覚めるドライブを決められ、戦術を変更。差先週から練習し始めた美誠ちゃんサーブ:ミドルからの縦斬りサーブをサウスポーのバック前に出す。このサーブが予想外にムチャクチャに効いて、ここからサーブで2本取り続けて逆転で1ゲームを取れた。2ゲーム目は流石に同じサーブを払われて、またも苦しい展開。相手の攻撃ミスに助けられて挽回し、その後は相手のバック側にボールを集めて逆転で勝つことができた。とにかく打ち合いではかつ見込みはなかった。チームは3-1の勝利。

東雄クラブとは私が負ければチームも負けるという試合。ダブルスの競り合いで負けた分をシングルスでせめて取戻すため必死の試合となった。1ゲーム目は予想以上に相手の百瀬選手の連続攻撃が正確で、無論私よりも威力はあるし、特にフォア側に来たボールに対しては、百発百中の感じで何でもカウンタードライブを決められた。ほんとに私のドライブ攻撃はいいカモにされている。2ゲーム目からはすべてのボールをバック側に打ち返すこととする。一進一退で9-9.ここでレシーブのときフォアドライブをバッククロスへ送り、これを相手がバックハンドプッシュしてネットに当たってオーバーミス。10-9で、フォア前へのサーブを初めてフォアクロスにフリックしたらエッジで入り、ようやく1-1のタイにもどすことができた。3ゲーム目はバックハンドでもフォアハンドでも相手のバックに集めて、レシーブはストップを多めにして、こちらが先手を取れるように戦った。エッジとネットが4本ぐらい私に出て、そのツキのおかげで先行逃げ切りでやっと勝つことができた。

結局、私のチームは2-3で敗れ、ダブルスの負けが悔やまれた。

最後の対戦相手、まじかるぱんだ、は以前に4部で対戦したことがあるチーム。ダブルスとシングルスで勝ち、楽勝かと思われたが、2-2となり、ラストの鈴木さんも1-1でハラハラもの。3-2で勝ち、チームは2位決定。東雄クラブとピンポンダッシュの試合も2-2のラストが1-1で、もしピンポンダッシュが勝てば三つ巴になって、私たちの九十九チームが勝率で1位になるチャンスがあった。これだからリーグ戦はしっかりと一本でも多く取っておくことが大切なのだ。結局、 東雄クラブ が勝ち切って、全勝で2部昇格。

私たち九十九チームは、3部の中堅チームになってきたようだ。

今日の試合で学んだことは、戦術の大切さ、サーブの引き出しが多いことで試合を変えるきっかけをつかめること。残念な再発見は、私のフォアドライブ、特にクロスへのドライブがものすごく球威にかけ、相手のカウンター攻撃に喰らわれる羊の抵抗のようなものであること。これから1週間、マスターズ予選に向けて、最後の仕上げにかかるぞ。

Messages of Children from Peru(ペルーの子供たちからのメッセージ)

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Messages of Children from PeruMensajes de los Niñas y Niños del Peru

Received wonderful messages of girls and boys from Peru. They are participants of the Impactando Vidas program run by Monica and many self-motivated staff. Those children are the beneficiaries of our donations: uniforms, rubbers and other table tennis materials. In the video, 60 children are at the inauguration of a TT class at the Capacitation Center in Ica province, with the proper precaution protocol against COVID-19. The winners of the Art competition received uniforms and rubbers. Then, the coach demonstrated how to put a rubber on the racket and conducted a variety of exercises. Children are active, joyful and thankful. They say…

  • Ana Cristina: I like this sport because it is very interesting, beautiful and enjoyable. I am very thankful.
  • Erimariela Flores: I appreciate very much Impactando Vidas program because it has given me the opportunity to practice table tennis.
  • Diego Arcos: I thank for the donation of the sport goods for us and I will continue the training of table tennis
  • Danna Mendoza: I thank the IV program and Sra. Liyau for the support to the adolescents of Peru and teaching about the value of sport.

Another video shows the way how the program staff and Monica examine and classify donated materials for boys and girls and place the donated materials into a nice bag as prizes for participating children. It is hoped that such an impactful program of disseminating the opportunity and the value of sport will grow further to reach those children, who, otherwise, are left behind.

ペルーの子供たちからのメッセージ

これまでペルーには4回ほど皆さんから頂いたユニフォームやラバーなどを寄贈しています。そのペルーの「人生にインパクト・プログラム」を運営しているモニカさんから、子どもたちのメッセージが届けられました。コロナの予防対策をとりながら、ペルーの地方(イカ県)にある訓練センターで60人の子どもたちが卓球クラスに参加しています。このプログラムでは私たちが寄贈したユニフォームやラバーを仕分けして包装し直して子どもたちに大会の賞品などとして配っています。このクラスでは卓球の絵のコンテストで入選した子どもにユニフォームやラバーが配られました。子どもたちからのメッセージ:

  • アナ・クリスティナさん:卓球はとてもおもしろくて、美しくて、楽しいスポーツです。ありがとうございます。
  • エリマリエラ・フローレスさん:卓球を習うことができてうれしい。「人生にインパクト」に感謝しています。
  • ディエゴ・アルコくん:卓球用具を寄付してくださってありがとうございます。卓球を続けたいと思います。
  • ダナ・メンドーサさん:ペルーの生徒たちにスポーツする機会を与え、その価値を教えてくれる「人生にインパクト」やモニカさんに感謝しています。

このような素敵な活動がどんどん世界中で広がって、世界の片隅で、スポーツから「取り残された子どもたち(SDGs)」に届くといいですね。

Mahatma Gandhi

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On the International Women’s Day, I visited National Gandhi Museum to pay tribute to the greatest mind of peace and freedom from fear and want. His life has been full of struggle, in jail and out of jail, through his iconic, innovative mass-movement of “non-cooperation, non-violence” with perfect determination. He says, “My Life is My Message”.

In the museum, I learned about the dream that Gandhi or Bapu had in his mind with the title of “India of my dreams” on 10 Sept. 1931. It says, “I shall work for an India, in which the poorest shall feel that it is their country in whose making they have an effective voice; an India in which there shall be no high class and low class of people; an India in which all communities shall live in perfect harmony. There can be no room in such an India for the curse of untouchability or the curse of the intoxicating drinks and drugs. Women will enjoy the same rights as men. Since we shall be at peace with all the rest of the world, neither exploiting, not being exploited, we should have the smallest army imaginable. This is the India of my dreams.” It was the time of British ruling. While struggling for independence, he was the champion of supporting women’s rights, poorest, untouchables, and communal harmony between Hindus and Muslims till his assasination on 30 Jan. 1948 (aged 78).

He said, “After I am gone, no single person will be able to completely represent me. But, a little bit of me will live in many of you. If each puts the course first and himself last, the vacuum will to a large extent, be filled”. It is my humble and sincere hope that I can have a little bit of Bapu in me and to fill small space of the vast vacuum by putting myself last. Thank you, Mohandas Karamchand Gandhi for your Message through your Life.

Ryokan = Japanese Onsen + Foods

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Onsen/Hot spring (public bath) is one of the most popular and relaxing experience in Japan.  It is natural, traditional, cultural, social and healthy gift of Japan that everyone enjoys.  After 3 decades of living abroad, I have realized the extra-ordinary goodness of the hot springs.  Japan is a classic disaster prone country located in the mDSCF2332DSCF2364iddle of the “Ring of Fire” around the Pacific Ocean.  Earthquakes, Tsunami and volcanic eruptions constitute fundamental building blocks of our living environment. The nature is so beautiful but often very harsh in Japan.  It is the natural environment that has nurtured the unique characteristics of Japanese culture including Washoku (Japanese foods) and Onsen (hotspring).  It is imperative for us to take full advantage of such rich cultural traditions of Japan as much as possible in the course of our life. Ryokan (Japanese traditional hotels) offers a combination of onsen often with

local natural views and gorgeous dinner using fresh local materials. It is a dream to experience all popular onsen spots in Japan enjoying local views and foods offered at those ryokans.   Onsen and washoku are particularly well known to be good for health. It is a must to do in Japan and particularly, as we all age, it is most recommended for elderly and ailing people to go to onsen ryokan to enjoy a longer and healthier life.  I and my wife brought our aging and ailing parents to onsen ryokan to enjoy the best of local culture and have quality family time.

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Arigatou My Father

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My father passed away on 10th November, 2014. He was 95 years old. That day, I came back from an international symposium on MenEngage in Delhi, India, and then my daughter called me to tell my father’s passing in a hospital of rural town in Japan. My father was born in Los Angeles as a son of Japanese migrant labour. From rural Japan, he migrated and worked in NorthEast China and then experienceDSCF1029d WWII there. My father was a classic man of musclinity as he maintained the absolute dominance in decision-making in family affairs. I remember, he was a man with no compromise. He always acted uniquely and differently in a small rural community almost enjoying to be standing alone or being isolated. He gave me light and thunder, warmth and heat, and yes, he was never cold till his passing. I was fortunate to be with my father just a week before his passing. As he could not move much, most of time, I spent time giving him massage. The last night before my departure, my father asked me to sit on the chair in front of hiDSCF1108m. Then, he started to massage my neck and shoulders. He knew I had problems in my neck and shoulders.   His hands were warm with proper strength. I felt the direct transmission of love and care from the father to me. The first and last massage of my father lasted almost an hour. He gave me all the strength he had. Then, when I came back to home from India after a week, he was resting with a very peaceful face in a coffin. He managed to complete a good and eventful life of a man in very dramatic time
and challenging circumstances. Thank you, Touchan (父ちゃん), father. I am proud of you.