知的パラ卓球
知的障がい者と卓球 ~親子で拓いたパラリンピックの道~
全国障害者総合福祉センター編集、日本障害者リハビリテーション協会発行の『戸山サンライズ』という季刊誌に、表題の拙稿が掲載されました。
2020東京パラリンピックの卓球競技において、日本で唯一の、そして知的障がいクラスでは初めてのメダル(銅)を獲得した、伊藤慎紀選手のお母さんのお話をもとに、親子で辿ってきた九十九折りの長きパラリンピック・メダルへの道をつづったものです。
10のクラスに分かれる肢体障がい部門と比べ、クラスが一つしかない知的障がい部門では、障がいが比較的重い選手が活躍することは難しい状況があります。その傾向はパラリンピック競技となってさらに強まっているといえるでしょう。障がいが軽い方ではない伊藤選手は、これまで日本国内のチャンピオンシップ大会で、10回も優勝を遂げている知的障がい者卓球のパイオニアであり、レジェンド的な存在といえるでしょう。ベテランになった今、パラリンピックで銅メダルという偉業を達成した伊藤選手の栄光を支えてきたのが、家族であり、お母さんの伊藤享子さんです。”障がいがあっても、がんばれる。その障がいの程度が重くても、あきらめることはない、ということを伝えたい”。そう語ってくれた伊藤享子さんと伊藤慎紀選手の親子のストーリーを少しでも知ってもらえたら幸甚です。
日本知的障がい者卓球連盟に対する裁判
私、元日本知的障がい者卓球連盟コーチの田中敏裕と知的障がい卓球代表選手の帯同コーチで同連盟の正会員でもある岸本昇子氏は、東京地方裁判所において、名誉毀損、性的マイノリティ(LGBT)に対するジェンダーハラスメント、パワーハラスメント、業務妨害等の事由による損害賠償請求の訴訟を日本知的障がい者卓球連盟の複数の理事および連盟に対して起こしました。
これまでの主な経緯は、
日本スポーツ仲裁機構の仲裁判断について « Happiness via Ping Pong (happy-development.com)
これまでの経緯について « Happiness via Ping Pong (happy-development.com)
で説明したとおりです。
最終判断とされる日本スポーツ仲裁機構の仲裁判断は以下のとおりです。
主 文
本件 スポーツ仲裁パネルは次のとおり判断する。
1 被申立人が 2020年 7月 29日に行った、申立人を一般社団法本知的障がい者卓球連盟賞罰規程第 7条 1項(4)にいう指導の処分とするした決定を取り消す。
2 被申立人が 2020年 8月 23日に行った、申立人を被申立人における 2020年度のコ ーチとして任命しないとの決定を取り消す 。
3 仲裁申立料金 55,000円は、 被申立人 の負担と する。
このように全面的に私の申し立ての正しいことが認められました。にも関わらず、その3日後に、日本知的障がい者卓球連盟理事会は、私を連盟コーチとして非継続とする決定をくだし、私は正式に連盟より排除されることとなりました。その後に行われた社員総会においても、本件に関するメディア等への公開説明や私に対する謝罪を問う社員に対して、「必要はない」と回答し、私のコーチとしての資質に疑義を呈する発言もありました。当理事会は数年前の私の社員申請を却下しており、私には、総会に参加して弁明するすべもありません。日本スポーツ振興センターや再度スポーツ仲裁に訴える権利もなく、今回、東京地裁における訴訟にいたりました。
岸本昇子コーチは、当理事会の承認を受けた、一般社団法人日本知的障がい者卓球連盟の女性正会員(社員)です。国際大会への参加登録の際にも、当連盟事務局を通じて女性として登録されています。にもかかわらず、連盟内の会議において”男性”であると見做され、”おかま”等と揶揄するなどの言動が理事にみられることに、深く心を痛めておられました。このような、性的マイノリティに対するハラスメントにあたる行為が許されるものではないことは、近年、日本社会にも浸透しており、スポーツ界においても基本原則であり、常識であるべきことでしょう。
知的障がい者卓球に夢を抱いて、ピンポンにいそしむ子供たちや家族が、差別や不利益を受けず、平等に公正で適切なケアやサポートを受けられる体制をつくることは、知的障がい者スポーツ関係者の真の願いであり、ノーマライゼーションに向けた日本社会の目標でもあります。そういうパラスポーツの世界へと小さくとも正しい一歩を踏み出すきっかけとなれば、ありがたい、と思います。
4月25日、東京地方裁判所8階803号法廷において、第一回口頭弁論が開かれました。
裁判長:成田晋司 裁判官:萩原孝基 裁判官:吉田怜美
原告訴訟代理人:大沼宗範
被告連盟訴訟代理人:安藤尚徳 長谷川佳英
被告 A, B, C, 訴訟代理人: 斉藤真代
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2021年を振り返って
2021年一月。東京パラリンピックが目前となってくる中、ある選手の親からの手紙を理由に、知的障がい者卓球連盟のコーチ業務からはずされる。コンプライアンス委員会による調査が開始される。
コロナ禍にあって、卓球の練習の中心が、湘南台の家の近くにある岸田卓球クラブに完全に移行する。早朝のサーブを中心に一人でする多球練習を組合せて、プラスチックのボールの飛び方の感覚を身につけるように努める。練習する人も場所も減る中で、MD相模の橘川さんが練習に誘ってくれるようになり、週に2回ほど、主に午前中に練習するようになった。
2月5日。ペルー体育庁とペルー卓球連盟との共催で、Zoomを使った「障がい者のためのスポーツ」セミナーの講義を行う(スペイン語を使用)。地球の裏側のペルー国の、スポーツ関係者ら多数の参加者と直接、意見交換を行う。
2月16日と17日。ミャンマー日本人学校の生徒たちに、Zoomでゲスト講師として課外授業を実施する。小学生向けには「パラリンピック:障がい者卓球の世界。ミャンマーの障がいを持つ子供たちと卓球しよう」。中学生に対しては、「自分探し、人生探し:初心忘るべからず」という内容で話す。ヤンゴンと日本に分散して、いつ教室で会えるかもわからない子供たちと先生たち。それぞれが真剣にミャンマーの状況と向かい合っている。不思議な心と心の出会い。
3月2日。東京選手権大会がキャンセルになった代りに、東京卓球連盟が、東京優勝大会という年代別大会を東京所属の選手を対象に開催する。50代に参加した私は、準々決勝でカットの斎藤選手に3-1で逆転勝利、準決勝で(前回大会で逆転負けした)森園選手に3-0で雪辱できた。決勝は、右ペン表の名手、野中選手との対戦となる。以前0-3で敗れたことがある。サーブの回転やタイミングに合わせることができなかった記憶があり、今回はバックプッシュでレシーブから攻めていく。逆に私のサーブが効いて3-1の逆転勝利。この大会全体を見渡すと、勝敗を分けたのは、Covid-19の時期にどのように過ごしたかの違い。練習できていた人が、その成果をみせ、練習できなかった人が、その対価を払った。
4月23日。日本スポーツ仲裁機構のパネルが、最終的な仲裁判断を下す。私の申立てが全面的に認められる画期的なものとなる。

5月9日。SDGsとパラリンピックについて、友人の新井和雄ガバナーより招聘を受け、茨城ロータリークラブで講演。貧困削減や人道支援ではなく、なぜスポーツ支援なのか、という質問または疑問が出される。スポーツや文化は人間の権利であり、幸福の種なのだ。
5月18日。国連時代の環境及びNGO関連プロジェクトの現場経験から、外務省国際協力局気候変動課の担当する「脱炭素技術海外展開イニシアティブ」の外部審査委員会の委員に任じられ、その第一回会合に参加する。
5月23日。藤沢卓球選手権大会。チーム戦で優勝。
6月6日。クラブ選手権大会、東京予選。ダブルスが不調で苦戦。決定戦は、卓楓会。前回も敗れている強豪。今回は、八城選手が加わって、更に戦力増強している。1-2で、最後は椋ー八城戦と私と飯田選手。椋君がジュース・ジュースの大接戦で勝ち、私がなんとか勝利して代表権獲得。チーム戦ならではの総力戦の感動的な試合だった。
7月18日。全日本マスターズ東京予選会。順調に勝ち上がり、全勝で予選通過。
8月11日。PCR検査を10日に藤沢駅前で受ける。その結果が早朝に出る、結果は陽性であった。
8月17日。コロナ自宅療養が解除され、通常の生活に戻る。
8月28日。東京パラリンピックで卓球の知的障がいクラスにおいて、神奈川県鎌倉市在住の伊藤慎紀選手が銅メダルを獲得する。
9月11日。全日本卓球選手権大会の東京予選に出場。実業団や大学選手のプレーに接して、いい体験勉強になった。早稲田大学およびシチズン時計の後輩の応援。
10月8-10日。全日本卓球選手権大会マスターズの部(60歳以上)に参加。準々決勝で坂本選手に生まれて初めて勝利。準決勝でいつも練習している橘川さんに3-2の接戦で勝利。決勝は江浜選手。1ゲーム目を15-17、4ゲーム目を10-12で落とすも、3-2でど根性の勝利。全日本で初優勝を遂げる。
11月28日。初めて大阪マスターズ卓球大会に参加。50代の部で、第一シードにされる。50代の選手に勝ち抜き、決勝では、またも60代で年上である坂本選手との対戦。全日本の雪辱をかけてきた坂本選手に対して1-3の逆転負け。フォア前への鋭角なサーブ、回り込んでバックストレートのスマッシュ。どれをとっても精度が高く、かなりの練習量を感じる。東京選手権大会での対戦が楽しみ。
12月5日。中野卓球選手権大会、一般の部に参加。決勝まで進むことができた。準優勝。若い世代の卓球への適応力がついてきた。
12月19日。ブータン祭り。「ブータンのスポーツの未来」というZoom座談会で、「ハピネス・ファースト」のスポーツを目指すことを提案する。そして、「ハピネス(幸福量)を増やすためには、最も置き去りにされている障がいを持つ子供たちにスポーツを届けることが、一番効果的な方法である」という信念をもとに、これからもパラ卓球の支援活動を続けることを伝える。


伊藤まき選手(お母さん、お父さん、小野千代さん)東京パラリンピック出場権獲得おめでとう!
昨日、招待枠(バイパルタイト/bipartite slots)による東京パラリンピック卓球競技の最後の出場者が確定し、その発表があった。 クラス11(知的障がい者部門)の女子の最後の1枠に選出されたのが、日本の伊藤まき選手である。当該クラスは東京パラリンピックにおいて許された参加者数が全部で8人という狭き門になっており、日本からは世界ランク5位の古川佳奈美選手がすでに参加を確定していた。世界ランク8位で惜しくも選外となっていた伊藤まき選手は、先にスロベニアで行われた東京パラ世界予選会で、第一シードとして参加したが、優勝したフランスの選手と準優勝したトルコの選手に接戦で敗れて、招待枠の最後の1枠にのぞみをつないでいた。世界ランク7位のインドネシアの選手はクラス分けが確定していないため、世界ランク8位の伊藤まき選手が、もっとも招待枠に近い選手と目されてはいたが、二人目の日本人選手を招待枠に選出するかどうかは予断を許さない状況だった。伊藤まき選手は、日本で知的障がい者卓球の全国大会が始まった1998年から2020年までの23回、毎回参加を成し遂げ、1999年に初優勝して以来、2019年に実に11回目の優勝を果たしている。日本知的障がい者卓球界のレジェンド的な存在である。他の選手に比べても障がいの軽くない伊藤選手の編み出した卓球スタイルは、彼女独自のものであり、ユニークでクリエイティブなものである。彼女の20年もの長期にわたる国際的な活躍は、特にお母さんの献身的なマネージングと家族・コーチの支えがあってこそのたまものである。現在は、このブログでも紹介した、小野千代コーチの指導を受けており、これから東京パラリンピックに向けて、みんなでチームまきちゃんとなって、全力ダッシュして、念願のメダルを獲得するに違いないと信じている。
今回の招待枠では、肢体不自由のクラス7の井上選手とクラス2の南選手も出場権を獲得しており、活躍を祈念したい。おめでとうございます。

加藤耕也くん、東京パラリンピック世界予選大会優勝・浅野俊くん、東京パラ出場確定おめでとう!!
今回、スロベニアのラスコ市で開催されていた東京パラリンピックに向けた世界予選大会で、クラス11(知的パラ)の加藤耕也選手が見事優勝して、優勝者だけに与えられる東京パラリンピックへの出場権を獲得した(写真は卓球王国に掲載)。このクラスでは世界ランク8位につけて、世界ランク7位までが出場権をすでに得ている中、次点となっていた加藤選手は、精神的にも相当なプレッシャーを感じてこれまで練習してきていたことだろう。今回出場選手の中で、加藤選手の強敵は、世界ランク10位で、伸び盛りの若手のKim Chang Gi(韓国)選手である。以前、オランダの大会で苦杯をなめ、チャイナ・オープンでは大接戦で勝っているとはいえ、実力は伯仲しており、メンタルの勝負と思われた。2-0から3・4ゲームをジュースで落とし、2-2とされる精神的には追い詰められた状況のラストゲームでしっかり勝ちきったのは加藤選手の東京パラに向ける気持ちの勝利としかいいようがない。LINEで加藤選手より優勝のメッセージをもらい、これまで2年間、彼と一緒に世界選手権や多くの国際大会で過ごした日々が蘇ってきた。悔しい思いをしたときが多かったかもしれない。東京パラでの彼の活躍を見れることが、本当に嬉しくてならない。加藤くん、そしてベンチコーチをなさっていたお父さん、家族の皆さん、おめでとうございます。


この大会では、クラス分けが実施されており、現在レビューという仮の資格を持っている選手たちのクラスを確定する作業が行われた。障がいの程度と障がいが卓球競技に与える影響を判断する試験である。今回は、アジア選手権大会で優勝して東京パラリンピックの出場権を獲得した浅野俊(たかし)選手がこのクラス分けを受けていた。クラス11(知的)は、他のクラスとは違って、判定には確定と確定しない、YesとNo、しかなく。確定されることが、東京パラリンピックに出場するための絶対条件である。私もアジア大会でこのクラス分けに同伴したが、実技テストやコンピューターを使った認識力テストなど、英語の通訳も含めてかなり緊張するものである。結果は、確定(Confirmed)! これで、日本は世界で12名しか出場権のないパラ卓球男子のクラス11において、一国に許される最大数である3名の選手(加藤、浅野、竹守各選手)が代表権を獲得するという快挙を果たしたのである。パラリンピックでクラス11初のメダルも見えてきた!

今回、クラス11の女子で、優勝候補だった世界ランク8位の伊藤槇紀さんは、今回の大会の優勝と準優勝の選手にフルゲームで敗れ、残念ながら予選通過はならなかった。
女子車椅子クラスでは、茶田ゆきみ選手が大健闘し、本当に惜しくも決勝で涙を呑んでいる。マダムバラフライとして世界に知られている別所きみえ選手も本大会に出場して、その勇姿を見せてくれた。残念ながら優勝して東京パラへの出場権を手にすることはできなかったが、73歳で世界ランク8位を維持する別所さんの東京パラリンピックを目指す気迫は、生きるレジェンドにふさわしい。
男子車椅子クラスでは、南選手が予選を一位通過して、準決勝進出。斎藤選手も同じく準決勝に進出している。期待のベテラン、吉田選手は、残念ながら予選通過ならずという悔しい結果だった。
女子立位クラスでは、進境著しい友野ゆり選手が3勝1敗の三つ巴となって、勝率でいま一歩及ばず。
男子立位クラスでは、クラス6の七野かずき選手が、決勝まで進出している。いつも笑顔の優しい好青年の彼の試合は、杖で動かない足を支え、手の届く範囲でラケットの角度を駆使して返球するマジック卓球である。井上まさちか選手も準決勝進出。優勝したポーランドの選手に惜しくも敗れている。ジャパンオープンで優勝した垣田斉明選手は今回は決勝トーナメントの準々決勝で敗れている。
みんなパラ卓球大会の常連で、東京パラリンピックを目指して、本当に汗と涙を流し続けてきた選手たちである。そのガンバリは誰でも絶対応援したくなる。まだ、開催国日本には、4つの推薦枠が残されている。おそらく上記の中の4名の選手が、東京パラリンピックへの出場資格を得るのではないかと思われる。パラリンピックへの出場はパラアスリートの夢だろう。すでに次のフランスパラリンピックに照準を当てて、練習に励んでいる選手もいる。応援しよう、パラアスリート!
日本知的障がい者卓球連盟からの回答はコーチ罷免の再通知
日本知的障がい者卓球連盟の山口会長名で以下の通知書が、5月21日に、我が家に届いた。
仲裁判断(JSAA-AP-2020-003/下記参照)にもかかわらず、仲裁判断の2「コーチとして任命しないという決定を取り消す」という決定をまったく無視した通知である。「指導」の処分を取り消して、そのかわり連盟のコーチとして2020年も2021年も任命しない、という理事会による私への処置となった。仲裁判断が下されたのが4月23日金曜日であるから、当連盟は土日をはさんだ3日後の4月26日月曜日という電撃の速さで、理事会を招集して、私に対する処分を決定したということになる。これは仲裁判断が日本スポーツ仲裁機構のウェブサイトに掲載された4月27日火曜日の前日である。この短い時間に、全理事に20ページに及ぶ仲裁判断が配布され、全理事がその内容を熟知する機会が実際に与えられたのだろうか?この通知書は5月20日付けとなっており、肝心の私に対して1ヶ月後に通知するような悠長なことをするのであれば、4月26日というこの仲裁判断が公開されるよりも先に理事会を開いた理由を知りたいと思うのは当然のことだろう。5月21日に届けられた下記の通知書には、まったく何の理由も説明も示されていない。あまりに一方的で重い罰的な内容である。スポーツ仲裁の判断はいったい何のためにあるのだろう。コンプライアンス委員会、日本スポーツ振興センターの第三者委員会で、暴行行為と言われ、日本スポーツ仲裁機構の最終判断でやっと全面勝訴して潔白を証明した、この苦悩の1年半は何だったのだろうか。



A Judgement of the Japan Sports Arbitration Agency (JSAA)(スポーツ仲裁で全面勝訴できました)
Finally got an Arbitration Judgement from the Panel of The Japan Sports Arbitration Agency (JSAA) that declares “Perfect Victory” of my case submitted for the arbitration on August 17 2020. http://www.jsaa.jp/award/AP-2020-003.pdf (all in Japanese)
In fact, the process has started since Nov. 2019 when rootless allegations from two of the relatives of para-TT players were made. As soon as the allegations were received, the Japan Table Tennis Federation for Intellectual Disability (FID) was quick to take me out of the coaching even a month before the first (and last) hearing held by the Federation’s Compliance Committee with helpless coach (me) in Feb., 2020. Thereafter, the ranking race for Tokyo Paralympic was completed by the end March, 2020. The Compliance committee sent me an investigation result which denied five of six allegations but one, sexual harassment, was admitted. In reality, it was the case that “I told” at the hearing, not the player, as an example of successful coaching during the practice session at Slovenian Open, May 2018. On a request from the female team, I provided a half hour coaching, during which I briefly touched her right hand and elbow, right foot and knee to show the direction. Thereafter, she won against higher-rank players and our female team reached the final. Nearly two years has past, as the player now said, she did not like it according to the committee, it was now considered as sexual harassment. My submission to prove innocence to the Compliance committee with the testimony of three witness was not considered at all and the Federation gave me a punishment of “Guidance”??. In fact, instead of giving me a guidance, a notice reached me on 23 August 2020 informing that ‘you are no longer federation’s coach”. So, I was obliged to fight at the JSAA for my innocence and to recover my dignity that was thrown into a dustbin. We know that the sportsmanship (predominantly man) and fair-play is hard to realize. But, it is good governance that is most needed for the world of sports. I am committed to continue taking steps to move toward a fair, just and happier world.
日本語の詳細については、本ブログのHappiness via Ping Pong (happy-development.com)を見てください。
日経新聞にも掲載されています。
スポーツ仲裁機構 セクハラ事案で初判断
Tokyoオリパラ2021年4月27日 19:43
22回 チャンピオンシップ大会
6月8-9日、恒例の知的パラ卓球の日本チャンピオンを決める大会が横浜市の平沼体育館で開催された。私にとっては三度目のボランティアサポート兼観戦。日本の頂上を目指して毎年ドラマが生まれる。今年は男子131名、女子43名が参加。年々参加者や参加都道府県が増えている。障害者の大会では3-4人のグループでリーグ予選を戦って、上位2人が決勝トーナメントに進出するという方式をとる。予選下位となった二人にもフレンドリーマッチという呼び名で二次トーナメントに参加してもらう。全日本におけるランキングを明確にするために、男子は3位決定戦から5~16位までのランキング戦、女子は3位決定戦から5~8位のランキング戦も行っている。男子の場合は、1~12位の選手、女子の場合は1~8位の選手に12月に実施されるチャンピオンズリーグの上位リーグ戦に参加する権利が与えられる。チャンピオンシップ大会とチャンピオンズリーグの結果をもとに国内ランキングが決定する。この国内ランキングポイントと世界ランキングポイントを合計して上位者からナショナルチーム・メンバーが選考されるため、今大会は選手やコーチにとってもとても重要な意味を持つ大会である。
今大会のハイライトは、女子シングルスの決勝。第一回大会から今回の22回大会まで連続出場しているFIDの代表選手、伊藤槙紀さんが一昨年に優勝し昨年も準優勝した美遠さゆりさんに2ゲームダウンから3ゲームを連取して大逆転勝ちした試合だろう。2013年を最後に優勝から遠ざかっていた伊藤選手は、回転とスピードのある美遠選手の巻き込みサーブからの攻撃に第1、第2ゲームは圧倒される。しかしここから驚異的な粘りとフォアとバックへのコースをついたバックボレー攻撃の連打を見せた伊藤選手がじわじわと追い上げた。どちらが勝ってもおかしくない緊迫したラリーの応酬が続き見ごたえのある試合。第3、第4ゲームを伊藤選手がとり返して、勝負は最終ゲームにもつれ込んだ。攻撃力に勝る美遠選手がしっかりと安定したフォアドライブとバックボレーで終始リードを保つ展開。しかし勝負をあきらめずにバックのナックルカウンターを打ち続けた伊藤選手が挽回して10-8とする。美遠選手はサーブ3球目で一点を返し10-9。次のボールもサーブ3球目で決まるかと思われたが、これをブロックした伊藤選手がバックハンドで反撃、11-9で大逆転勝利。二階で応援していたお母さんたちが抱き合って喜ぶ姿が印象的だった。
男子の方は、長崎瓊浦高校の浅野俊選手が初優勝。若手の有望選手として注目されていたが、昨年敗れた同じく若手の木川田選手に3-2の接戦で勝って勢いにのる。3年連続優勝で世界ランク7位の加藤選手と世界ランク8位の竹守選手を連破しての優勝は立派。もち前のパワーとスピードに、バックチキータの安定性とバックのブロック力を加えて、ついに手にした栄冠。2017年にアジアユースで優勝した木川田選手や今回ランキングで8位にくいこんだ山本選手らとともに期待のヤングジェネレーションである。日本の知的パラ卓球界は着実に成長している。東京パラを目指す世界ランク上位選手らに続き、これからも日本が世界の知的パラ卓球とインクルーシブスポーツに向けたリーダーシップをとるべく頑張って欲しいものである。
東京パラリンピックもまじかとあって、報道関係者も多く、ライブの生中継もあった。好試合の連続で知的パラ卓球の醍醐味を少しでも多くの人に知ってもらうことができたのではなかろうか。30人もの審判員ボランティアや選手の家族、友人などのサポーターに支えられて、本当にアットホームでかつスリリングな大会である。それぞれが様々な能力や個性の違いをもつことを理解したうえで、心技体の総合力を競うスポーツを楽しみ、社会のノーマライゼーションを促進していく、そんな縮図を見せてもらっているようだ。ありがとうございます。


