Essay
「チームひな」が世界最大最強の「卓球中国」に劇的な勝利。卓球界に新しいフロンティアが拓けるのか?
昨夜の世界卓球選手権大会(於:ダーバン、南アフリカ)の女子シングルス準々決勝で、早田ひな選手が、世界3位の王芸迪選手(中国)を4―3で破った。カウントは、4-11/11-3/11-9/6-11/11-9/8-11/21-19。
特に、ファイナルセット、8-10から9回のマッチポイントをはねかえしての21-19の勝利は、卓球の歴史と見る者の心にのこるファンタスティックでエキサイティングなドラマだった。
早田ひな選手はインタビューに答えてこう述べている。
「中国(選手)の壁を超えるために、チームひなの皆さんに支えてもらってきたので、この大舞台で勝つことができて嬉しいです。」
個人競技であるテニス、陸上等のオリ・パラスポーツで、世界を目指す選手をサポートするボランティアも含めたチームが形成されることがある。プロスポーツで経済的にゆとりのある選手なら自分のチームを作ることもできるが、卓球のようにプロとして自立することすら大変な競技では、世界チャンピオンを目指せるようなチームを個人がつくることは、かなりの困難であり不可能に近いことだろう。ましてや、さまざまな国際大会への参加申請すら、テニスのように世界ランキング選手の自由意志で決められるわけではなく、日本(各国)の卓球協会にコントロールされているわけだから、大会へ向けた調整すら自分ではスケジュールを決められない。
卓球中国は言わずとしれた中央集権型の巨大卓球企業であり、周恩来首相のお声掛りで中国の建国期から始められたもっとも長い国家プロジェクトである。当然のことながら、卓球中国は世界最大の市場である中国国内のモノポリーを有し、世界においても裾野からトップまでの最大の卓球消費者を抱える寡占企業である。世界チャンピオンレベルの選手層において、ほぼ独占状態を数十年にわたり続けている信じ難いパフォーマンスを誇っている。現代にいたっても企業努力を怠らず、その地位も強まるばかりである。
スポーツ界においては、個人の努力と栄光を称える風潮が主流であり、国家は表面にでないことが基本となっている。「政治とスポーツは別もの」であるべきもの。ただ国家がスポーツを支援することは称賛されることであり、スポーツが国民を鼓舞することや経済効果をあげることも大切な役割であると考えられる。卓球中国はその一つの典型なのだろう。
さて「チームひな」という小さな個人グループ(企業ですらない)を母体とする早田ひな選手が、卓球中国のチャンピオン軍団のトップメンバーを世界卓球選手権大会という世界最高の花形舞台で撃破するという歴史的な快挙を成し遂げた。この意義は決して小さなものではないだろう。世界の先端技術において、個人のグループがGAFAに勝利したようなものなのか。スポーツではレベルプレイイングフィールド(level playinng field)と言って「同じ条件、同じ土俵」で戦うことが保障されている。経済の市場原理は実はそうではない。かといって、スポーツの勝負は、そもそも土俵にあがる前についていることも、実力差のある選手の試合を見れば明らかなことである。アマチュア相撲のチャンピオンを大相撲の力士と対戦させても結果は見えている。
今後、チームひな、のような個人グループが世界最大最強の卓球中国企業に勝つような現象が起こるとしたら、これは卓球界における歴史的、コペルニクス的転換と言っていいだろう。個人のチームが国家企業に優っている点があるとすれば、個人の特徴、性格、コンディションに合わせた調整ができることだろう。また、選手一人にかける費用という点では、一企業でも支えられる程度のものだろう。大谷翔平選手クラスでも、彼個人にかけられた費用はリーズナブルなレベルだと思われる。
それでも、国際大会という主戦場でプレーするには、「卓球日本」という中小企業のサポートが不可欠である。今のところ、そのサポートは「卓球中国」と比較してあまりにも貧相である印象は否めない。おそらく、選手自身が一番それを痛感しているのではないだろうか。
「チームひな」や「張本ファミリー」が、「卓球中国」という世界を牛耳る国家企業に対抗して、新しい卓球界の歴史とフロンティアを拓く契機とならんことを、祈り、むちゃくちゃ応援したいと思う。
高木美帆のギンギラギン(銀銀銀)の金メダル:限界を超えた神の領域
高木美帆は前回の平昌オリンピックで、金、銀、銅メダルを獲得し、一躍、誰もが知る、スケート界のスター選手となった。しかも平昌大会では、姉の高木菜那も金メダルを2つ獲得し、スケート界のトップ・ライバル姉妹としても、有名になった。
4年に一度のオリンピックにおいて、一つの大会で大活躍できれば、それがアスリートとしての自分の頂点と位置づけられ、次の大会では、その栄光を少しでも維持できれば幸運と考える。連覇できれば、最高の出来といえるだろう。しかし、高木美帆は前の大会の栄光を今一度という目標にとどまらず、5種目に出場するという前例のない攻めに出た。
最初の3000mは6位。得意とする種目ではなく、長距離で最初の競技とあって、自分の体調や氷の具合を確かめるという意味もあったのだろう。あまり無理をしなかったのではないか。次の1500mが、世界記録保持者として金メダルの大本命であり、前回の銀を金に変えるマジの勝負だった。しかし、再び銀メダル。
500mは自己ベストを出して、最終滑走の組まで一位を維持。金メダルを願って見ていたが、アメリカ初の黒人選手であるエリン・ジャクソンがわずかに上回って金メダルを獲得し、高木美帆が銀メダルとなった。
【試合後の一問一答】
ー今の気持ちは
「苦しい時期が続くなか自己ベストを出せたこと、こん身のレースができたことがうれしかった。今は正直、驚いている気持ちでいっぱい」
ー滑り終わってから結果が出るまで長かった
「パシュートも近いので、まずは自分の体をリカバリーさせなきゃなというのと、時間が今日だけはナイトレースということで、どうやってリズムを戻そうかということも考えてはいたんですけれど、組を重ねるごとにメダルの可能性が出てきたので後半になってくるとちょっとそわそわしはじめた」
ー自身5個目のメダル。これまでとは違う意味があるか
「正直なところ、500メートルに出るかどうか本気で考えたこともあったが、最後まで挑戦してよかった。500メートルに関してはチャレンジした証しだと思っているので、すごく誇りに感じる」
ー次は団体パシュート
「団体パシュートは個人種目とは全く違った重みがある。ひと言で表せるものではないが、何が起こるか分からない種目。ひとつひとつを大事にしつつも上をみてチーム全員で挑戦していきたい」
パシュートは前大会で金メダルを獲得して、常に一位を堅持し、今大会でも金メダルの筆頭候補の種目である。最後のカーブまでリードして金メダルは確実と思われたそのときに姉である高木菜那が転倒するという悪夢のようなアクシデントが起きて、またも、よもやの銀メダル。泣きじゃくる姉を支える胸中が思われた。
日本女子団体パシュート、転倒と「その後」 「スッキリ」が伝えた妹・高木美帆の行動
1000mでオリンピック記録を達成して、金メダルを獲得!!
高木選手は「オリンピックの出だしはつらいことがあって、自分の調子も上げきれないときがあったが、最後に自分のすべてを出し切り、金メダルを取れなくても悔いはないと思えるようなレースができたのが本当にうれしい。そして、金メダルをとれたことは、形となって残ったと思う」と喜びを語りました。
また、今大会7回のレースを終えたことについて「正直に言って、体は限界でギリギリだった。無事に走ることができてよかった」と振り返りました。
そして「たくさんのエールをもらったことで、ひるまずに攻めることができた。最後、このレースが終わって、やっとみんなにありがとうを言える」と感謝のことばを述べました。
平昌大会のときに23歳、北京大会では27歳という年齢をどのように見るか。2010年のバンクーバー大会に15歳で初出場していることから鑑みれば、高木美帆がすでにかなりのベテラン選手であることはたしかだ。しかし、平昌大会では500mで金、1000mで銀メダルを獲得した大スター選手である小平奈緒が当時31歳だったことを思えば、次回の2026年のイタリア(ミラノ&コルティナ・ダンペッツォ)大会で、高木美帆は頂点を迎えるという考えも成り立つ。27歳で迎えた北京大会は、高木美帆にとっては、強欲に出来得る限りすべてのチャンスに挑戦するという無茶のできる大会だったということなのだろう。小平奈緒や岡崎朋美といったスピードスケート界のリーダーたちが35歳でオリンピックに出場していることを鑑みても、高木美帆はあと2回のオリンピックに出場する可能性があり、彼女は現時点において世界のトップアスリートとしての人生の中間点にあるのかもしれない。高木美帆の活躍がまだまだ見れる私たちは幸せ者である。今大会における高木美帆の5つの挑戦は、いくつもの人生ドラマが凝縮された名場面に彩られていた。選手も観衆も喜怒哀楽をともにし、感動が広がった。高木美帆と高木菜那というアスリート姉妹の存在に感謝したい。
高木美帆 今大会全レース結果
今大会5つの種目に出場して金メダルを含む4つのメダルを獲得した高木選手のすべてのレースの結果です。
《個人種目》
2月5日 女子3000m 4分1秒77 6位入賞
2月7日 女子1500m 1分53秒72 銀メダル
2月13日 女子500m 37秒12(自己ベスト)銀メダル
2月17日 女子1000m 1分13秒19(五輪新)金メダル
《女子団体パシュート》
2月12日
準々決勝 2分53秒61(五輪新=当時)8チーム中1位 準決勝進出
2月15日
準決勝 2分58秒93 ROC=ロシアオリンピック委員会に勝利、決勝進出
決勝 3分4秒47 カナダに敗れ銀メダル

北京オリンピック/高梨沙羅の悲劇:あまりにも愚かな人間の審判・判定との闘い
以前のブログ「審判は神であるべきか?」で、人間は技術革新(AI)にスポーツの審判の座を明け渡すべきだと説いた。あろうことか、北京オリンピックというスポーツ界の最高の舞台で、人間の審判や判定による劣悪な悲劇を、私たちは見せつけられている。目の覚めるような大ジャンプをみせた高梨沙羅が、着ていたスーツが緩かったという理由で失格となったことを伝えられた大半の人々は、何が起こったのかもわからず、ただただ呆然とし、唖然とし、あるいは憮然としていたにちがいない。泣き崩れる沙羅の姿を見て、その判定に憤りを覚えた人も多くいただろう。競技を見ている私たちにはまったくわけのわからない所で、わけのわからない理由で、しかも参加選手全員ではなく、恣意的に選ばれた選手だけに対して、突然そうした検査が行われ、対象とされた選手が失格という見せしめの刑罰に処される。スポーツにおける審判は絶対神であり、審判がそういえばそうなるのである。
オリンピックという選手にとっても家族や応援するファンにとっても、もっとも晴れやかな4年に一度の舞台が、こうした違反摘発の見せしめの場として使われることを誰一人望んではいない。そのようなオリンピックに何の意味があるというのだ。こうした一般常識ではわからない規則の徹底やその取締りに関することは、オリンピックの直前の世界選手権やさまざまな国際大会や会議において、徹底して周知させ、実施させ、浸透させて、かつ情報公開をして、オリンピックという晴れの舞台で起こらぬように、努力し、汗をかくのが、組織委員会や審判団、すべての関係者の務めというものだろう。これでは、スポーツがアンフェアで、汚ないものであることを喧伝しようという、アンチ・スポーツ組織の陰謀としか思えないではないか。全参加選手団の納得と承諾を得ない、しかも公正・平等ではない、審査や判定は、決して行われるべきではない。審判が人間である以上、審判の行動を監視し、コントロールするシステムがなくてはならない。そもそも人間には、他の人間(生き物)に対する審判をくだす能力はなく、そのような一方的な権限を持たせるべきではないのだ。
カミラ・ワリエナのドーピング問題と冷戦の復活
女子フィギュアスケートのスター選手であるロシア・オリンピック委員会(ROC)のカミラ・ワリエワ(15)が、昨年12月のロシアの大会でのドーピング検査で陽性反応を示したことが発表された。しかるに、ロシア反ドーピング機関(RUSADA)は、ワリエワ側の異議申し立てを受け入れて、すぐに処分を解除して、活動継続を認めたという。これに対し、国際オリンピック委員会(IOC)が、処分解除の決定を不服として、スポーツ仲裁裁判所に上訴するのだそうだ。ロシアの国家組織をあげたドーピング問題はあまりに長期的で、広範囲で、確信犯的で、相当に根が深い。このような国家・組織体制においては、選手は使い捨ての道具であり、犠牲者でもある。一部のスターの背後には、累々とした屍が築かれることになろう。
ウクライナ危機といい、北京オリンピックは、イデオロギー的な冷戦の復活の気配に満ちている。
平野歩夢「ようやく小さい頃の夢が一つかなったな」
いまでも男の子と言ったほうがしっくりとくる雰囲気の平野歩夢は、実は、2014年(ソチ)と2018年(平昌)冬季オリンピックで、2回連続銀メダルを獲得しているスノーボードのトップを走り続けるスーパー・ベテラン選手である。平野歩夢には、憧れのレジェンド・スター選手がいる。アメリカのショーン・ホワイトである。ショーンは13歳のときからプロスノーボーダー兼プロスケートボーダーとして活躍し、スノーボードでもスケートボードでも国際大会で金メダルを獲得している。スノーボードでは2006年(トリノ)と2010年(バンクーバー)でオリンピック連覇。2018年(平昌)には平野歩夢に逆転で3度目のオリンピック金メダリストとなった。今回の2022年(北京)で引退を表明しており、4位の見事なパフォーマンスを見せた。
初めてスケートボードが夏のオリンピック種目として採用された東京オリンピックにおいて、すでに冬のオリンピックのスター選手である平野歩夢が、スケートボーダーとして夏のオリンピックに挑戦することを決めたのも、目標とするショーン・ホワイトの足跡をたどり、いつかレジェンドに並び、新しいフロンティアを切り拓こうという思いがあったからではないか。
今回、平野歩夢が史上初めて成功させた「トリプルコーク1440」は、2012年4月にショーン・ホワイトが練習中に大怪我をして入院したといういわくつきのもののようだ。そのほぼ10年後に、平野歩夢が、初めて成功させ、ショーンのかなえられなかった夢の技を歩夢が達成したという、スノーボードの新しいレジェンドの誕生を示す象徴的な出来事だったのではなかろうか。
それにしても、一年延期されて今年8月に開催された東京オリンピックにスケートボーダーとして参加してから、3-4ヶ月という短期間において、スノーボーダーとして世界のトップに君臨する技と身体と精神力を想定し、強化し、マスターするという到底信じ難い離れ業をやってのけた事実には、震撼するほかない。
冬季オリンピックにおいて、銀、銀、金、という3回連続のメダリストとなった平野歩夢がスノーボード界をリードする存在であり、すでにレジェンドとしての風格を持っていることに疑いはない。彼にとって、北京オリンピックの金メダルは、2014年と2018年の忘れ物をやっと取り返したような出来事だったのかもしれない。おそらく、「トリプルコーク1440」をこの世に出せたこと。完璧だったはずの2回目の演技が、91.75点という低い評価を受けた「怒り」をバネにして、3回目の演技をより高く、より美しく、完成させて、96点をたたき出し、心技体のそろった文句なしの第一人者として世界を納得させられたこと。それらすべてがひとつとなって、「小さい頃の夢」を実現している自分を見ることができたのだろう。私たち観客も、高く、遠く、長くも感じた彼の夢がかなったパーフェクトな瞬間を、平野歩夢に見せてもらったことを心から喜んだのだ。
平野歩夢は、「夢を歩む」ことを、親から与えられたのではなく、自分の運命として受け入れ、人生として体現している。夢のようなそして過酷な修行者的な存在である。スノーボードの世界、そしてスケートボードや他の世界においても、その好奇心と向上心で、まだまだフロンティアを広げてくれそうな「夢見る」そして私たちにも「夢見せる」存在として、平野歩夢を心から応援したい。


未来の時空からきた羽生結弦の闘い
地球上における羽生結弦の存在は、タイムマシーンで未来からやってきた理想の人間像を示しているようだ。現世に生きる私たちに、異次元のレベルのフィギュアの世界を魅せてくれた。4回転という途方もない身体技術のフロンティアを一人で拓き、一気に、時計の針を進めて、フィギュアスケートのあたりまえのメニューにしてしまった。羽生結弦の凄さは、実は、技術だけではなく、そのしなやかで美しいフォームにある。人間を煩悩から救おうとする観音様のような、男女の性別や世代を越えた、キリリと整った顔立ちと細身でしなやかに伸びた手足。鋼のような強さを秘めた身体は異様に柔らかく、白い氷のキャンパスの上で、人間とは思えない直線と美しい弧を描きながら回り、踊り、跳ねる。天女の舞いとはこのようなものなのにちがいない。羽生結弦は、透明な翼を持つ地上に降りたエンジェルなのだろう。なぜ、日本人の男性として生まれたのかはわからない。日本社会の世界にも遅れた貧困なる精神を救うためなのか。中国においても絶大な人気を誇る羽生結弦の存在は、特異かつ稀有なものである。世界中の誰もが、オリンピック番組のテレビの前で、思わず手を合わせて、彼の思いがかなうよう祈りを捧げてしまうのである。
前回のオリンピックでは、完璧な演技を魅せて、金メダルに輝いた羽生結弦。以後、ケガとの戦いが長く続いた。水や空気、そして精神まで汚染された現世の人間社会において、注目と期待と好奇の目を浴びながら、神聖で清浄で完全なる心身を保つことが困難なことは、M78星雲から来たウルトラマンの例をださなくてもわかることだ。
今回はネイサン・チェンという大本命がいる中で、羽生結弦は、早い時点から、クワッドアクセルの成功をオリンピックの目標としてあげていた。未来から来た伝道者として、そして己の決めた道を極める求道者としての羽生結弦の真骨頂がそこに現れている。そもそも初めから、羽生結弦は、「勝ち」ではなく「価値」を求める存在だったのだ。そして、今日、羽生結弦の4回転アクセルは、オリンピックの場で正式に認定された。
羽生結弦は、期せずして4位となり、2位の鍵山優真、3位の宇野昌磨が、銀メダルと銅メダルを獲得して日本のフィギュアスケート界にとって未来への希望をつなぐ結果となった。これは、羽生結弦にとっても、安堵できる、ベストの結果だと思う。今の羽生自身が、銀や銅メダルを得ることに、自分でなくてはならない「意味」を見出すとは思えない。歴史と万人の心にその歩みを刻み続ける羽生結弦にとって、その影を慕いて後に続く若者を鼓舞することも「価値」のあることだと思っているにちがいない。



ヒトの脳と人間の精神的世界
以前のブログ(オリンピズムと人間の進歩 « Happiness via Ping Pong (happy-development.com))で英国の歴史家トインビーの考えについて以下のような話をした。
「人間は非人間的自然を処理すること」は得意であるが、自分自身を含む「人間の内部にある人間的自然を処理する」ことには不得意だという。そのため、人類誕生以来現代にいたるまで「非人間的世界」における顕著な進歩と、人間の内部の「精神的世界」における未成長または非進歩という、トインビーのいうところの著しい不釣り合いによる「この地上における人間生活の一大悲劇」が進行中である。地球温暖化や紛争や貧困は、その人間の業ともいうべき「悲劇」の産物と考えられる。
今回は、ヒトの脳と人間の精神的世界との関係について考えてみた。
人間内部の精神的世界をつかさどるのが、類人猿を始めとする他の動物よりも極度に発達した人間の「脳」であることに疑いはないだろう。人間という生物が持つ「脳」という器官の中でそれぞれの人の精神的世界が生まれて、成長して、いろんな展開をして、消えていくものなのだろう。これを「魂」と呼んで、DNAのように脳を入れ物または乗り物として「前世」から「現世」そして「来世」へと転生していくものとする解釈も、(私自身を含めて)一般的に信じられている。身体を離れた魂が存在するとしても、その魂は、生きていたときの記憶をよりどころとし、そのときの所業に伴う因果を背負うものと考えられている。
脳=精神的世界における思考活動には決まった限界が存在しないという思いを抱くのは、私だけではないだろう。しかしながら、脳は生物学的に有限な存在であり、肉体とともに死に至る存在である。人間の精神的世界が肉体の檻から開放されず、その進歩も生物学的進歩に準じているのは、魂という存在が人間の脳と切り離せないものであることの証明(あかし)なのだろう。
さて、人類誕生以来、脳は発達を続け、その大きさも2百万年前の4倍程になっているそうだ。しかし、この人間の脳が3千年前からは縮小に転じているらしいのだ。この原因について、蟻の脳の進化と比較した研究報告(デシルバら, 2021) がある。その報告によると、人間社会の拡大に伴い、個人の知性に基づく判断よりも(専門家などの)集団的知性への信頼と分業が進んだことで、人間の脳が効率化して、縮小に転じたということらしい[i]
「人間はポリス(社会)的動物である」と言ったのはアリストテレスである。蟻や蜂は社会性昆虫と言われ、女王を頂点として階層化された集団社会を形成することで知られている。その蟻の脳の進化と人の脳の進化と比較できるということ自体、想像し難いことであり、不可思議そのものである。脳の生物学的な発展の長い過程に比べてみれば、魂の記憶はあまりにも短いようだ。おそらく同じ人間として転生できたとしても、前世一代の記憶があることすら稀有という話が、転生モノの多いアニメの世界ですら常識となっている。魂は一人の人間の精神的世界(あるいは人格)を宿すものとして考えられている。しかしながら、その精神的世界は次の世に引き継がれることすら稀有であり、三世とはもたないようだ。個々の人間の魂という名の精神的世界にも寿命があるということなのかもしれない。
[i] 大きくなりすぎた人間の脳を維持するためのエネルギーコストは馬鹿にならないので、脳を効率化(ダイエット)する必要があったという説がある。
Toyinbee, Arnold J. (1948). Civilization on Trial. (アーノルド. J. トインビー. 深瀬基寛(訳) (1966). 「試練に立つ文明」 社会思想社)
DeSilva, J. M., Traniello, J. F. A., Claxton, A. G., & Fannin, L. D. (2021). When and Why Did Human Brains Decrease in Size? A New Change-Point Analysis and Insights From Brain Evolution in Ants. Frontiers in Ecology and Evolution, 9. doi:10.3389/fevo.2021.742639
審判は神であるべきか? 技術革新でフェアープレーを守ろう。
スポーツにおける審判は、裁判所の裁判官あるいはこの世の神のような絶対的権限を持ち、そのジャッジ(判断)は不可侵であり、最終的なものとされる。あとになって、判断ミスとわかっても、試合の結果が変わることはない。サッカーの反則、柔道の一本、フィギュアスケートの採点、テニスの線審等々、審判の判断は勝敗を左右し、不満や争いの原因となることが多い。近年になって映像による判定手段が加えられたことで、誤審やジャッジを巡る争いが減少したようだ。テニスは映像判断を求める制限付き権利を選手に与えることで、映像判断の権利の行使自体をゲームの一部として楽しむ空気すら生まれている。実際に、陸上や水泳のタイムやフェンシングの得点など、人間の目ではなく、科学技術に判定を任せている競技も少なくない。未来のスポーツにおいては、審判という神格化された人間の一存ではなく、適切な技術を駆使し、情報を公開して、ジャッジの透明化と共有化を行うことが、スポーツの倫理的基盤を強化し、フェアプレーを鼓舞し、公正さを維持することにつながるのではなかろうか。スポーツが「より人間的」であることを求めることと、その結果としての記録測定や勝敗のジャッジにおいて技術革新による高精度な正確さや人間的な恣意性・誤審の排除を求めることとは倫理的に矛盾せず、スポーツ界にフェアネス(公正さ)やクリーンネス(高潔さ)をもたらすものと考えるのだが、どうだろう。
スポーツ文化は、人間にとって「自然」なもの
人類史上「肉体的・精神的進歩があったと想像すべき保証がない」というトインビーの指摘は、現代において誤りであると言えるかもしれない。なぜなら、オリンピック記録の漸進的な更新の他にも、生物にとって最も大事な指標の一つである寿命において、人類は20~35年という平均寿命から、1900年に先進国で40~50年程度に延び(ウィルモス, 2010)、2000年には世界の平均寿命が66.8年に達し、その後のわずか20年間で73.3年にまで延びているのである(WHO, 2021)。これは多分に医学の進歩と言えるが、寿命という人間の生物学的限界が著しく更新された事例と考えてよいのではなかろうか。他にも近年の貧困の削減と栄養状態の改善によって、人間の平均身長にも顕著な伸びが見られる。健康や身体機能に関するスポーツの効果は誰もが認めるところであり、人間の健康寿命の更新に対するスポーツの貢献が期待されている。
日本のスポーツ基本法(2011)は、その冒頭において「スポーツは、世界共通の人類の文化である」と宣言する。レンク(1985)は、『人間における「自然性」とは、「文化」のことである。まさにそれは「第二の自然」と呼ばれるものである。これはとりわけ、スポーツにあてはまる。』と述べている。人間(肉体)における生物学的自然が第一の自然であり、第二の自然である「文化」は主として人間の精神的世界に関わるものと考えるのが自然だろう。オリンピズムがフェアープレーや平和な文化・社会の構築という基本理念を掲げているにもかかわらず、営利主義、勝利至上主義、政治的利用などにスポーツが振り回されてきている実態は、古代オリンピックから近代オリンピックにいたるまで変わってはいない、おそらく深刻化している。
しかしながら、未来への希望がないかというと、そうでもないだろう。たとえば、古代オリンピックでは殺人は認められていなかったとはいえ、競技において多数の死傷者が出る危険は参加者も審判も承知の上であり、実際に多くの若者の生命が失われている。近代オリンピックにおいては、オリンピアンの競技における怪我はかなりの頻度で起こるとはいえ、死に至ることは稀有である。競技者の生命や安全の確保という倫理的基準・価値観を参加者も聴衆も共有するようになったのは、一つの前進といえるのだろう。
スポーツと人権・環境・開発
【スポーツする権利】
スポーツと国連や国家の開発政策との結びつきは比較的新しい。国連ではユネスコが、1952年からスポーツをそのプログラムに取り入れるようになり、国家としてはドイツが1960年に「スポーツフォーオール」を推進する国家プランを立てている。これが基になって、1975年のヨーロッパスポーツ・体育担当大臣等会議において「スポーツフォーオール・ヨーロッパ憲章」が採択され、1978年の第20回ユネスコ総会において、「(第1条) 体育・スポーツの実践はすべての人にとって基本的権利である。」ことを宣言する「体育・身体活動・スポーツに関する国際憲章」が採択されている。この国際憲章の前文の中で「 体育・身体活動・スポーツは、自然環境において責任をもって行われることで豊かになること、ひいてはそれが地球の資源を尊重し、人類のより良い利益のための資源保護と利用への関心を呼び起こす」[i]と述べrられており、この体育・身体活動・スポーツに関する国際憲章が持続可能な開発(SDGsや地球憲章)と共通する理念を持つものであることが理解できる。
【スポーツと地球環境】
しかるに、肥大化・商業化を続けてきたオリンピックの現実は、1990年までは環境保護団体などからの非難を受け、開催地の選択にも滞る状況だったのである。リオで地球環境サミットが開催された1992年のバルセロナ・オリンピックにおいて、全参加国のオリンピック委員会が「地球への誓い(The Earth Pledge)に署名し、世界のスポーツ界も積極的に環境に取り組む意志を示す。そして、1994年のIOC創立100周年を記念するオリンピックコングレスにおいて、オリンピック憲章に初めて「環境」についての項目が加えられ、“スポーツ”、“文化”、“環境”は、オリンピック・ムーブメントの三本柱とされた。1995年にIOCは「スポーツと環境委員会」を設置し、以後、「IOCスポーツと環境世界会議」を定期的に開催している。20世紀初頭に、クーベルタンらによって復興した近代オリンピックは、第一次・第二次世界大戦による中断に見舞われながらも、国際社会の平和を促進するメッセンジャー的な役割を担い、1999年には「オリンピックムーブメント アジェンダ21(持続可能な開発のためのスポーツ)」[ii]を採択し、スポーツの地球環境保全に向けての行動指針を明らかにしている。
【MDGs・SDGsの手段としてのスポーツ】
21世紀に入ると、スポーツを主要な目的として、平和教育や環境保護といった目的との協調をはかるIOCに代表される従来のアプローチに加えて、開発や平和という目的を達成するための手段としてスポーツに期待する国連に代表されるアプローチが顕著になってくる。2001年にコフィ・アナン国連事務総長が、スイスのアドルフ・オギ前大統領を「開発と平和のためのスポーツ」特別アドバイザーに任命し、2002年には、国連組織間で開発と平和のためのスポーツ・タスクフォースが結成された。当タスク・フォースは、翌2003年に「開発と平和のためのスポーツ:ミレニアム開発目標(MDGs)達成に向けて」と題する報告書を作成し、その中でスポーツを、MDGsを実現する上で「コストが安く、効果も大きく、強力な手段である」と規定している(内海, 2016)。また、同年、国連総会は、「教育,健康,開発そして平和を促進する手段としてのスポーツ」と題する決議を採択し、2005年を「スポーツと体育の国際年」と定めて、その啓蒙と実践に努めることを提唱する。2009年にIOCは国連総会のオブザーバーとしての地位を承認され、国連とIOCの協力関係が更に強化される。MDGsを引き継いだSDGs(2030アジェンダ)の中でも、SDGsを達成する上で、スポーツは以下のような貢献を期待されている。
37.(スポーツ)スポーツもまた、持続可能な開発における重要な鍵となるものである。 我々は、スポーツが寛容性と尊厳を促進することによる、開発及び平和への寄与、また、 健康、教育、社会包摂的目標への貢献と同様、女性や若者、個人やコミュニティの能力強化に寄与することを認識する。[iii]
[i] 文部科学省(https://www.mext.go.jp/unesco/009/1386494.htm)アクセス2022年1月10日
[ii] 日本オリンピック委員会 (https://www.joc.or.jp/eco/pdf/agenda21.pdf) アクセス 2022年1月20日
[iii] 国連広報センター https://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/
sustainable_development/2030agenda/ アクセス 2022年1月10日