Essay
オリンピックは世界の平和に貢献できるのか。
【オリンピック休戦】オリンピックとは、4年に一度、古代ギリシャのエーリス地方のオリンピアで開催されていたオリュンピア祭典競技を指し、今から2800年前の紀元前8世紀から紀元後4世紀までおよそ千二百年もの歴史を持つ。この大会の開催中の1ヶ月間(のちに大会前後を含む3ヶ月間)は、紛争の絶えなかった全ギリシャ諸国間において「エケケイリア」と呼ばれる休戦義務が課されていた。違反国には罰則規定も設けられていたこの休戦協約の効力は強く、古代オリンピックの定期的かつミレニアム(千年)にわたる開催を可能にした。オリンピックが「平和の祭典」と呼ばれる由縁でもある。
しかるに、近代オリンピックの比較的短い歴史の中では、第一次世界大戦および第二次世界大戦が起こり、休戦どころではなく、すでに夏季・冬季合わせて5回にわたって、オリンピックの方が中止されている。この古代オリンピックの休戦協定をモデルとして始められたのが、1993年の国連総会における「オリンピック休戦の遵守(Observance of the Olympic Truce)」の決議である。この「オリンピック休戦宣言」は、1993年以後、毎回の夏季・冬季オリンピック大会の前年に国連総会において決議されている。罰則や強制力のないオリンピック休戦の効力については、残念ながら、肯定的な評価は少ないようだ(谷釜, 2020)。しかしながら、紛争の絶えることのない世界であるがゆえに、「オリンピック休戦」に象徴されるようなスポーツによる平和への貢献の意義や期待は決して減るものではなく、一層増しているとも言えるのである(谷釜, 2020. 桝本, 2020)。
【難民とオリ・パラ】東京オリンピックをテレビ観戦していた私に、とまどいと感動を与えたシーンがあった。それは男子マラソンのゴール直前の出来事だった。2位集団から抜け出したナゲーエ選手(オランダ)が、何度も後ろを向いて手招きする素振りをみせたのだ。通常ならば、後ろを見て追いつかれないように走る場面なのだが、彼は、違う国を代表するアブディ選手(ベルギー)に、一緒にゴールを目指そうと手を振っていたのである。アブディ選手は懸命に追いかけて、ナゲーエ選手と二人で2位と3位でフィニッシュして、表彰台に並び立った。彼らは、同じソマリアを祖国とし子供の頃に内戦から逃れてヨーロッパに移住した難民であり、親友だったのだ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報告[i]によると、祖国にも帰れず、移住もできずに、無国籍状態となっている難民が、世界には2千6百万人(2019年末時点)いる。ソマリア難民だったナゲーエ選手やアブディ選手は、移住先のオランダとベルギーで国籍を取得して、それぞれ移住した国の代表としてオリンピックに参加することができた。しかしながら、数千万人もの無国籍状態にある難民たちには、そもそも所属するスポーツ組織もなければスポーツできる環境もないのである。2015年、IOCはこの難民という境遇にある人々に対して、オリンピックの扉を開き、2016年のリオ・オリンピックに難民選手団が初めて参加するというドラマが生まれた。2021年の東京大会においても、オリンピックとパラリンピック双方に難民選手団が結成され、メンバーに選ばれた難民選手たちは、様々なホスト国で東京大会に向け練習を積み、東京大会で活躍し、注目を集めた。IOCは、オリンピックやパラリンピックに難民であるアスリートが参加できる道を開いたばかりではなく、難民選手団のメンバーとなるアスリートの選考や育成まで積極的にサポートする体制を構築した。難民選手団のオリンピック・パラリンピック参加は、難民問題に対する人々の認識を深め、オリンピック・パラリンピックが平和の祭典であることを知らしめ、国連ともコラボするIOCのベスト・プラクティスの一つとなっている。
[i] UNHCR, Global Trends -Forced Displacement in 2019
舛本直文. (2020). オリンピックの平和運動:その理想と現実 オリンピックスポーツ文化研究, No. 5(23─ 36).
谷釜了正. (2020). スポーツと平和 ─オリンピックは平和の使者たりえたかー. オリンピックスポーツ文化研究, No. 5 1 ─ 9.
古代オリンピックから近代オリンピックへ:人間の精神的進歩
さて、英国の歴史家であるトインビーの言うように、人類はその誕生以来、自己の内部の「精神的世界」においての進歩が殆ど見られない、というのは、果たして真実(まこと)なのであろうか。さすがに、百万年前の人類の精神を紐解くことはできないが、有史以来、少なくとも数千年前の人々の精神的世界については、想像するに難くはない。たとえば、現在の人間社会の精神的な支柱となっている宗教や哲学が、ほぼ2・3千年前の宗教者や思想家たちによって創始されたことに鑑みれば、この数千年あまりの期間で、人間内部の精神的世界に顕著な進歩がみられたとは考えにくいだろう。クーベルタンの言うように、「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め」るものであるとすれば、世界・オリンピック記録の更新が続くなかで、それに伴う人間の精神的世界における進歩がなければ、「バランスよく結合させる生き方の哲学」として成功しているとはいい難いだろう。それでは、精神的世界の進歩の程度は、どうやって測ればいいのだろうか。世界記録みたいにわかりやすい指標がないため、ここではオリンピズムで謳われるフェアープレーの精神や倫理的規範といった概念を使って、人間の内なる精神的世界の進歩の度合いについて、古代オリンピックの時代と比較して、考えてみたい。
【古代オリンピックと不正行為】古代オリンピックにおいては、ギリシャの自由市民である成人男性全員にオリンピックへの参加資格があった。古代オリンピックの優勝者は英雄として最大の讃辞が与えられ、優勝した自国の市民に多大な賞与を与える国家もあった。「カロス・カガトス(高潔で、高貴な)」というオリンピックの理念のもとで、「美にして、善なること」を求められた (長田, 2020)。不正を働いた選手には罰金が課され、当時の聖地オリンピアの入場門前の台座には、その罰金で建立されたゼウス像が立ち並んでいたという。台座には不正の顛末と「オリンピックでは金の力ではなく、己の足の速さで勝ち、己の肉体で勝て」という銘文が刻まれ、オリンピック参加者にフェアープレーを促す警告となっていた。およそ1,200年間続いた古代オリンピックにおいて、最終的には16体の不正戒めのゼウス像が建てられたそうだ (佐野, 2016)。暴君として悪名高いネロ皇帝は、オリンピックの開催年を変更させ、自分の好きな競技を加え、八百長で自らも優勝者となった(ペロテット, 2004)。この大会は皇帝の死後、記録から除外されている。
【近代オリンピックの問題】さて、近代オリンピックも不正事件に事欠かない。金銭的なものでは、開催都市をめぐる選挙における買収行為が東京への招致運動においても問題となった。アスリートを巻き込んだ不正行為の最大のものがドーピングである。1960年ローマ大会で自転車競技の選手が競技中に死亡する事故が起きた。その原因がアンフェタミンの大量摂取によりものと判明し、IOCはドーピング禁止を明確に打ち出すようになる。「ドーピングの非人間性は死に至る可能性にある」という(関根, 2019)。ドーピング禁止の主な理由は、選手の健康そして生命への危険を伴う行為であるためだが、生物学的自然性から逸脱し、生物学的限界を超えてしまうことの「非人間性」が倫理的に問題であるという考え方には賛同できる。ドーピングには多様な方法があり、いまだに違反者側と取締側とのいたちごっこが続いている。ロシア連邦の組織的かつ常習的なドーピング違反とその隠蔽行為に対して、東京オリ・パラにおいても、ロシアの国旗や国歌は用いず、個人資格での選手参加という対応となった。レンク(1985)は、近年変容し続けるスポーツの姿をオリンピアードにかけて「テレアード(放映料依存)」「ドーピアード(薬物依存)」「コマーシアード(営利主義)」と批判している。近代になって煩悩は増えるばかりではないのか。
古代オリンピックの時代から二千数百年、近代オリンピックとして復興して一世紀を経た今も、アスリートやスポーツを支える人々の精神的世界に何らかの進歩があったという確証は見当たらないように思われる。
Toyinbee, Arnold J. (1948). Civilization on Trial. (アーノルド. J. トインビー. 深瀬基寛(訳) (1966). 「試練に立つ文明」 社会思想社)
長田亨一. (2020). 「古代オリンピックへの旅」. 悠光堂
Lenk, Hans. (1985). Die achte Kunst Leistungssport-Breitensport. (ハンスレンク. 畑孝幸, 関根正美(訳) (2017) 「スポーツと教養の臨界」不昧堂出版)
佐野慎輔. (2016.1.26).「新オリンピアード始まる(4)健全性維持の仕組みを作れ」. 産経新聞 https://www.sankei.com/article/20160126-DX7IX3F2YJLVFF3B4PA42XESYA/
Perrottet, Tonney. (2004). The Naked Olympics. (矢羽野薫(訳)(2020)「古代オリンピック 全裸の祭典」河出文庫)
関根正美. (2019). オリンピックの哲学的人間学 : より速く、より高く、より強く、より人間的に. オリンピックスポーツ文化研究 No. 4, 91─ 100.
人間の夢「より速く、より高く、より強く」と技術の進歩 (スーパーマンは人か、人でなしか?)
人間は、技術の進歩によって、より速く移動でき、より高く空を飛び、より強い破壊力を持つようになった。しかしながら、人間のホントの夢は、人工の機械を使ってこれらを達成するのではなく、スーパーマンになることなのだろう。スーパーマンが人間であるかどうかは、おそらく、その問いすら無意味なことだろう。人間の夢には続きがあって、スーパーマンがパーフェクトな人間(ヒューマニティ)の精神を持つことである。スーパーマン映画は、このパーフェクトな人間の精神を持つことの難しさを伝えることにより力を注いでいるように思われる。
「より速く(Citius)、より高く(Altius)、より強く(Fortius)」というオリンピックのモットーは、オリンピック・ムーブメントに所属するすべての者へのIOCからのメッセージであり、オリンピック精神に基いて研鑽することを呼びかけたものである(日本オリンピック委員会)[i]。
【人力の夢】人間は空を飛ぶ翼があればと願い、飛行機を発明した。しかるに、スポーツの世界では、今でも人々は走り高跳びや走り幅跳びで世界記録を数センチ伸ばすために、たゆまぬ努力を重ねている。100メートル競争で10秒を切り、0.01秒を縮めることに一喜一憂している。夏季オリンピックには、身につけるものや用具の少ない水泳競技から、走力、跳躍力または砲丸や槍などの投擲力を競う陸上競技や重量挙げ、対人で行う格闘技やゲーム性の高い球技、そして用具を使った速さを競う自転車および正確さを競う射撃やアーチェリーなど、多様な競技が存在する。冬季オリンピックのスケートやスキーを含め、そこに共通する基本原則は(射撃と馬術を除き)すべて競技が人力を動力として行うことをルール・原則としていることである。
【人力と技術力】100m競争の最も古い公認世界記録は1912年の10秒6である。現在の世界記録は2009年にウサイン・ボルト選手が記録した9秒58であり、およそ100年で1秒(約10%)縮めたことになる。他方、1903年のライト兄弟の初飛行は時速約11 kmだった。これは人間の最速速度の36 km(100mを10秒)より遅い。しかし、飛行機は驚異的な発達を遂げ、1960 年代において、すでに時速3千kmを超える戦闘機が出現している。スポーツの記録更新に貢献する技術といえば、例えば、1970年代まで車いすマラソン競技においては生活用の車いすを使用しており、当然のことながら、オリンピックのマラソン選手よりも遅かった。しかし、車いす製造の技術の進歩によって、1980年のボストンマラソンで1時間55分00秒という記録が出て、健常者の世界記録を一気に抜いてしまう。2021年には大分国際で1時間17分47秒という車いすマラソンの世界記録が生まれている。義足の走り幅跳びジャンパーとして話題になったドイツのラザフォード選手は、義足を使っての跳躍が公平性に疑問があるとされて、金メダルの可能性があった東京オリンピックへの道を閉ざされた。国際パラリンピック委員会はスポーツ用具ポリシーとして、環境や人体への安全性の確認、多数のアスリートが容易に入手できること、そしてスポーツパーフォーマンスが身体能力によるものでありテクノロジーや用具によるものではないこと等を挙げている。とはいえ、人間の筋力の有限性にとらわれない補助具を使ったパラリンピック選手の記録は、たとえ動力が人力であるにしても、オリンピック選手に比べると、まだまだ伸びしろがありそうだ。それでも、そのもたらす結果は、弓やラケットやアイアンを使った程度の違いにとどまるのだろう。ロケット燃料を使った飛行機や核兵器の競争とは全く異なるもの。人間が内部に宿す自然の法則に基づいた、人間としての限度を超えない有限なもの。
【より人間的に】オリンピックやパラリンピックは人間社会の最大関心事の一つである。それは、たとえそれが数センチ、コンマ数秒の微微とした進歩であろうとも、人間が人力に固執し、人間の身体能力と精神力をもって到達しえる生物学的能力の限界に挑戦し続けていく意志を強く持っていることの現れでもある。人間の身体の成長や発達は、人間という生物の有限性から逃れることはできない、そしてそれゆえに、地球の有限性を脅かすものともなり得ない。スポーツは人間の内部にある人間的自然を愛し、鍛錬し、成長させることを手段かつ目的とするものである。オリンピックの金メダリストでもあるドイツの哲学者ハンス・レンク(1985)によると、クーベルタンを始め著名な哲学者たちが「スポーツの記録には自然法則的意味がある」と考えていたという。そして、レンクは「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのモットーも、限界なき上昇と記録崇拝を意味するものならば、「人を非人道的なことへと導き、誘惑する危険に陥る」と警告し、オリンピックのモットーには「より人間的に」という目標が加えられるべきだと主張している(関根, 2019)。非人道的な手段によって生まれた記録は、もはや人間の限界を広げるものではなく、人間の境界を超えた非人間によるものにすぎないということなのだろう。
スーパーマンが、オリンピックに出られないことは、考えなくてもわかることだが。精神的なところで非人間的になったスーパーマンは、もはや「ひと(人)でなし」と呼ばれる存在となって、スーパーマンに滅ぼされる悪役として映画に登場することになるようだ。
[i] JOC – オリンピズム | オリンピック憲章(https://www.joc.or.jp/olympism/charter)アクセス2022年 1月 20日
Lenk, Hans. (1985). Die achte Kunst Leistungssport-Breitensport. (ハンスレンク. 畑孝幸, 関根正美(訳) (2017) 「スポーツと教養の臨界」不昧堂出版)
関根正美. (2019). オリンピックの哲学的人間学 : より速く、より高く、より強く、より人間的に. オリンピックスポーツ文化研究 No. 4, 91─ 100.
オリンピズムと人間の進歩
- クーベルタンの理想とトインビーの人類史観
「近代オリンピックの父」といわれるピエール・ド・クーベルタンは、フランスの敗戦の沈滞から立ち上がるべく教育改革を目指す青年だった。イギリスのパブリックスクールにおけるスポーツの役割に感銘を受けたクーベルタンは、スポーツ教育の理想の形として「古代オリンピックの復活」を唱えるようになり、1894年に国際オリンピック委員会(IOC)を創設し、1896年に第一回アテネ大会を開催するにいたる[i]。
クーベルタンがオリンピックを再興しようとした根本動機は「スポーツを通じて人間を変革すること」にあり、それは単なる「スポーツの祭典」ではなく、精神の発達を願う芸術や文化を融合したものだった[ii]。オリンピズムはそのようなクーベルタンの考えを反映するものであり、その根本原則として以下のようなことを挙げている。(オリンピック憲章より抜粋)
1.オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
2. オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである
さて、英国の歴史家トインビー(1948)は、人類が誕生してから「何らかの肉体的あるいは精神的進歩があったと想像すべきいかなる保証もない」とその著書で述べている。彼によると「人間は非人間的自然を処理すること」は得意であるが、自分自身を含む「人間の内部にある人間的自然を処理する」ことには不得意だという。そのため、人類誕生以来現代にいたるまで「非人間的世界」における顕著な進歩と、人間の内部の「精神的世界」における未成長または非進歩という、トインビーのいうところの著しい不釣り合いによる「この地上における人間生活の一大悲劇」が進行中であり、地球温暖化や紛争や貧困は、その人間の業ともいうべき「悲劇」の産物と考えられる。
クーベルタンが理想としたように、はたしてスポーツは、「人間の内部にある人間的自然」のコントロール能力を発達させ、この人間の精神的世界における停滞を打破することに貢献することができるのだろうか。
[i] JOC – オリンピズム | クーベルタンとオリンピズム(https://www.joc.or.jp › olympism › Coubertin) アクセス2022年1月25日
[ii] オリンピック基礎知識|オリンピックスポーツ文化研究所 (nittai.ac.jp) アクセス 2022年1月20日
Toyinbee, Arnold J. (1948). Civilization on Trial. (アーノルド. J. トインビー. 深瀬基寛(訳) (1966). 「試練に立つ文明」 社会思想社)
Visiting Hiroshima Peace Park / 広島平和公園の訪問
Visited Hiroshima Peace Park. The first atomic bomb explored 600m above these dramatic remains of a Hall known as A-Bomb Dome. Prayed at the Children’s Peace Monument. Learned about so much of miseries of innocent lives through the renewed exhibitions at the Hiroshima Peace Memorial Museum. Saw Obama-san’s orizuru (paper crane), which is nicely done and cute. Pope Francis’ candle is also magnificent. We hear the voice from Hiroshima “our mission is not turning this anger into hate but converting it into an energy to create a world where everyone can live happily.”
大阪オープンのあとで、広島を訪問しました。広島平和記念資料館は展示も新しく、筆舌に尽くしがたい惨劇と悲劇、そして平和への祈りと希望に、学ぶことばかりでした。”戦争への怒りを、憎しみではなく、だれもが笑顔で暮らせる世界をつくるためのエネルギーにしていくこと”を誓って。





感染して4週間はワクチン接種はできない。ワクチン接種日の変更
早稲田大学保健センターの回答
8月18日に東京都ワクチン相談センターに電話相談をしたあと、念の為に、早稲田大学新型コロナワクチン大学拠点接種事務局へ、8月6-16日に自宅療養をしていた私が24日にワクチン接種をすることの可否についての質問メールを送った。それに対して8月19日に届いた回答メールが下記である。

これまでの回答とかわりばえしない簡単な内容のメールである。相談できる医師はいないので、保健センター保険管理室にも電話することにした。状況を説明すると、これまでとは全く異なる内容の回答に驚かされることとなった。
「ご質問は2回目のワクチン接種に関してですか?」(はい)
「受診された先生は何か言っておられましたか?」(医師はいないんです。)
「えーとですね。コロナに罹った場合は4週間後にということに、大学の方でもなっているのですが。そうすると9月の半ばぐらいになるんですね。8月24日ですとまだ日が浅いので、大学で受けるということができなくなってしまいます。」 (おおっ)
「もし二回目を受ける場合に、東京都の在住・在勤の方に、たぶん在学は大丈夫たと思うんですけれど、体調不良で二回目が受けられなかった方に、二回目接種をできるコールセンターがあるんですね。」(えっ、じゃ大学でやってもらえないんですか?)「そうですね。大学でだと難しいでね。8月31日に終わってしまうので。」
「なので、都庁のコールセンターの方にご相談していただければと思います。」
このあと、2回目の接種記録などをもらえるかどうかなどについて相談。またあとで電話してくれることになった。
最後に、コロナに感染した学生は、感染に関する申請フォームと療養を終えたときの申請フォームを学部側に提出する義務があるとのことを伝えられた。電話後すぐに、保健センターのウェブサイトからこのコロナ感染に関する申請フォームにアクセスして、まず発症と検査で陽性とでた日時や、感染源(不明)などに関する情報を記入する。発症二日前から一週間にわたる学内での濃厚接触者に関する報告もあった。私は休学していて大学に行ってなかったので、接触者もおらず、特に報告することはなかった。別のフォームに、自宅療養とその解除に関する記入を行って報告終了。
新しい二回目のワクチン接種日は9月6日。
8月21日、夕方、早稲田大学保健センターより電話があった。
「ワクチン接種のことについてお問い合わせをいただいたと思うんですが。…早稲田が、今設けているガイドラインとしてはですね。その陽性反応があった日から、4週間後ということになっております。」 (陽性反応が出たのは、8月10日です。)
「10日だと、9月7日が4週間後ですね。」
「そうすると接種が終わってるということだったんですが、じつは9月6日に体調不良等で受けられなかった方のための予備日というのを設けておりまして、もしその日でよろしければ、ご予約をこちらの方で入れますが。もしくは他の会場で受けていただくことになりますが、いかがいたしましょうか。」(6日ですね。場所はどこですか?)「ガーデンホールです。」(何時とか決まっているのですか?)「予備日ということで午前中ということになっています。」(じゃ、午前11時にします。)「では9月6日の11時ということで調整するようにいたします。」
「お問い合わせいただいた接種券なんですが、こちらで探したんですが、こちらではお預かりしていないようなんですね。お手元にないでしょうか。」 (えっ、…(探す)..ありますね。ハハハ。。大事にとっておいて、自分で気がついてなかったようですね。)
「良かったです。では一旦予約が入ったら、メールが入ると思います。」(わかりました。どうもありがとうございます。)
陽性反応があってから4週間後というガイドラインは、早稲田大学が独自に定めたものなのか、東京都の大学では一律そのように決めているのかは、わからない。東京都の相談センターに原則として伝わっていないとすると、それぞれの組織・団体における裁量の範囲で決められる事項なのかもしれない。
コロナ相談センターの女性(これまで応対したのは常に若い女性の声)もそうだったが、大学の保健センター(保健士)の女性も親切な対応に努めていることがよくわかる。
たとえば、「お問い合わせセンターに対するお問い合わせの返信が不十分だったということで、私の方で確認させていただきました。本当にもうしわけございませんでした。」と、こちらの雑談的な話でもよく聴いていて、事実調査をしてお詫びの意を伝える。コロナ感染者等に対して、相当の気遣いを払っていることが感じられた。
私は、接種記録表を自分で引き出しにしまい込んでいたことを忘れて、大学側が管理していると思って、保健センターの方に探させるという無駄手間をかけさせてしまった。笑ってごまかすのではなくちゃんと謝るべきだった。すみませんでした。
感染後のワクチンの接種について
8月17日から自由の身になりました。
一番気になっていることが、2回目のワクチン接種が一週間後の8月24日に迫っているということ。このことを保健所の人に訊いたけれど、ワクチンの係の方に訊いて欲しいとのことだった。
8月18日に東京都ワクチン相談センターに電話した。
これまでのコロナと思われる発症とPCR検査の陽性結果、そして自宅療養に至った経緯を説明。17日の自宅療養解除の一週間後の24日の2回目のワクチン接種について、このまま接種して良いのかどうかを尋ねた。その回答を以下に記してみた。
「感染した人もワクチンの接種はできるのですが。ただその、療養解除したのが昨日なので、次にワクチン接種を予定しているのが24日なので、ワクチンを打っていいかどうかという判断を、医師の方に訊いていただきたい、確認していただきたいんですね。」「療養状態は、全体症状が改善されたので、解除になったと思うんですけど。おそらく、解除になって、もう一週間ないので。予定通りワクチンの接種をしていいですかという確認をとっていただいた方がいいかなと思うんですけど、取れそうですか。」
(いやー、だってその時医者いないですからね)
「かかりつけの医師とか近くの病院とかクリニックとか、そういうところでもいいと思うんですけど。」「ふだんは病院にかかったりすることはないですか?」(ないですね。)
「そしたら、今、熱とか、症状残ってますか?」(やや咳がでやすい感じですね)
「ああ、咳はまだ残っているという感じなんですね。」
「そうなると、うーんと。当日に問診してくれる先生がおられると思うんですけど、そこの先生に当日お話して、相談してみるのがいいかなと思いますけど。」
「じつはコロナに感染して17日に自宅療養が解除されましたということを説明すれば、先生がそこで判断してくれると思います。」「私も接種会場に何度も行っているので、そういう感染されたことのある方もおられます。先生が接種してもいいですよ、って言えば、そのまま接種できます。」 (そうですか。わかりました。)
「東京都にお住まいの方ですか? (神奈川です。) 「お住所は?」住所は神奈川です。)
「東京で勤務されているのですか。」(大学が東京です。学生やっているので。)
「ご年齢は、20代、30代、40代?の方ですか」 (60代になりました)
「一回目はどちらの接種会場でしたか?」 (早稲田大学です。)
「あとは何かございますか? 当日に何か他に不安なことも訊いてみて。2回めも打っていただければと思います。療養期間は大変だったと思いますけど。元気になられて良かったですね」(ありがとうございます。)
「あとは何かございますか? 大丈夫ですか。」(今のところは大丈夫です。)「今、大変な方が多いと聴いてますけど。」
ここからは10分ほど、これまで自分の身に起こったことをこの相談員の女性に説明する。相談員の方も「はい。えー。」「そうですよね。」などと相槌をうちながら、聴いてくれる。「いろいろ大変な体験をされて、でも少しずつ体調が戻っていかれて、無事に療養生活が終了できて何よりと思いますので、これからもお大事になさってくださいね。」(これからも感染者が増えると思いますけど、みんなを助けてあげて下さい。) 電話を終えた。
コロナ自宅療養の終結のお知らせ / 医師による(リモート)診断の義務と・権利について
8月16日、午後5時40分。スマホに藤沢市の保健所からの着信があった。応答を押したつもりだったが、指に接着剤が着いていたためか逆に電話が切れてしまった。こちらから同じ電話にかけると、応対した人は別の人だった。同じ電話番号で何十台もあって、違う階(1階, 3階と4階)で大勢で対応しているとのこと。結局、すぐに電話した人が見つからず、再度向こうからかけるという。午後5時50分に再度着信。今度こそはとスマホで応答を押すが、なぜかまたも失敗。結局、自宅の番号に電話がきてやっと話せた。
「保健予防課のXXです。療養が最終になるのでお電話しました。」
「熱は、今日は、36度3分。日曜日、土曜日も同じような体温で大丈夫ですか?」 (はい)
「パルスオキシメーターの方も、99から98というところで大丈夫ですか?」 (はい)
「それでは、本日で療養終了ということになります。お疲れさまでした。」 (あっ、どうも)
「明日からは、通常の生活をしてもらって大丈夫ですので。」 (はい)
「まだ、XXの感染もだいぶ広がっておりますので、体調維持など気をつけてお過ごしください。」 (はい)
「あと、ワクチンの接種について、お聞きしたいのですが(私)」
「わたくしは、療養の終結だけをお伝えするものですので、ワクチンに関しては、ワクチンの問い合わせのものにお電話してもらってもいいですか。」 (はい、わかりました。)
「よろしくお願いいたします。」(はい、どうも。)
どうやら、私は、明日から、自由の身になるらしい。
コロナの陽性結果がでたあとの、保健所の対応は遅かったけれど、自宅療養が決まってからの対応は規則正しくタイムリーなものだった。療養の終結も、最終日の夕方に連絡することで、明日から仕事や学校に戻りたい人にとってはとてもありがたいことだろう。
電話の女性の対応は優しく、丁寧なものだった。しかし、療養の終結だけを伝えるということが担当業務。コロナに感染した人が、療養明けの一週間後に二回目のワクチン接種を受けることについての私の不安に答えられるわけではない。縦割り行政の限界だろう。基本的に、医療システムではなく、行政システムでコロナの自宅療養に対応しているところが、災害級の感染症であると騒いでいるテレビや政治家の言っていることとは相当の温度差を感じる。
最近、知人から勧められた長尾和宏ドクターのブログが、今回、自宅療養となった私の思いをそのまま言い当てていた。オススメである。
自宅療養者にも在宅主治医と必要な薬を|Dr.和の町医者日記 (drnagao.com)
自宅療養における医師による(リモート)診断の義務と・権利について
軽症とはいえ、喉が痛くて、咳が出る状態がつづいたまま10日間の自宅療養に入るということは、医療的には、自宅軟禁であり、症状が重くならなければ、医者へのアクセスがなくなるということ。自宅療養が決まった時点で、即刻、少なくともリモート診療を受けさせて、自宅療養の際に必要な薬を処方し、自宅療養期間中の生活における注意事項や指針などを、メールやLINEなどで伝えることは最低限のルールではないだろうか。私の場合は、家族が知人の医師に頼んで、リモート診療していただき、薬を処方してもらった。その女医さんの声は、ホントに天の声のように心に響いた。
自宅療養が終わるときにも、この医師による、(リモート)診断は、絶対に必要不可欠なサービスだ。自宅療養は、軽症とはいえ症状の終了を意味しない。ましてや陽性反応は残されたままである。抗体ができているのかもわからない。夫の自宅療養が明けたからといって、咳をする夫が、少しでも子どもに近づくことに平気でいられる母親はいない。高齢の親がいればなおさらのことである。自宅療養が終わって「通常の生活」をしてもいい、と保健所の人に言われたからといって、喉に痛みがあって、咳がでる自分をどのように扱っていいのか、自分にも家族にも、わからないことだらけなのだ。すぐにでも二回目のワクチン接種をすませたいが、感染後の数ヶ月は、ワクチン接種は推奨されていないようだ。副作用も強くでるというデータもある。自宅療養から解放されても、通常の自分や家族の健康に関する疑問や不安は続く。自宅療養終結後の生活や行動に関する専門の医師の診断と助言は絶対になくてはならない、最低限の義務であり、権利でなければならないと思う。
コロナ自宅療養 最終日?
8月16日 いつものように朝7時半に神奈川県療養サポートからLINEで着信。
本日の体調について回答してください。(回答が確認できない場合は、安否確認のために、直接訪問することがあります。)
回答を開始。これからあなたの本日の体調をお聞きします。質問にご回答ください。
息が苦しいですか? (いいえ)
現在の体温を選択して下さい。(36.3)
パルスオキシメーターはありますか。 (はい)
現在の酸素飽和度(SPO2)を選択してください。うまく測れない場合は「うまく測れない」を分からない場合は「分からない」を選択してください。 (99%)
質問は以上です。
下に示したお知らせで終了。今日は自宅療養の最終日、喉の苦味と咳が出る状態はあまり変わらない。明日も同じメッセージが来るのかな? それとも何も来なくてそれで終わりということになるのかな?

コロナ自宅療養 体調報告(2)
8月14日 午後4時半に部屋のチャイムがなる。
「神奈川県庁からの届け物です」と男の声。「そこに置いて下さい」と答えるとドアの横にプラ袋を置いて立ち去った。プラ袋の中身は、パルスオキシメーターだった。「SpO2(血液中の酸素飽和度)の測定結果が、93以下になった場合は、神奈川県コロナ119番にご相談下さい。」とある。測定してみると、だいたい98か99である。「療養終了後4日間は継続して計測」「計測期間終了後は、すみやかに返却してください」とある。

午後5時40分
藤沢市役所の方から連絡がある。パルスオキシメーターが届いたかどうかの確認と今の私のSpO2の計測値が知りたいということだった。「99」です。と回答。
「体調報告は一日一回でいいのですか。(私)」
相手は電話をおいて、わざわざ確認にでかけた。「一日一回のみ、LINEの連絡がいくということです。」との回答。
「療養期間が16日までとなっていますが、16日過ぎると、何か、”終了していいですよ” とかの連絡があるのでしょうか。(私)」
「たとえば、自宅療養の期限があると思いますが。それまでに、XX様の方で熱が下がらないとか、体調がまだ優れないということがあった場合には、延長とかもあるんですが。何事もなければ、当初の16日で終了ということでそのままなると思います。」
「終了しましたという連絡があるのですか。それとも自分で終了というふうに考えるのですか(私)」
「何事もなければ、それで終了ということで大丈夫だと思います。」
この一日一回の(1)息ぐるしさ、(2)体温、(3)パルスオキシメーターの計測値、という体調報告が、自宅療養終了の要件のようだ。
今の体調でいけば、あさっての16日で自宅療養が終了する可能性が高そうだ。