22回 チャンピオンシップ大会

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6月8-9日、恒例の知的パラ卓球の日本チャンピオンを決める大会が横浜市の平沼体育館で開催された。私にとっては三度目のボランティアサポート兼観戦。日本の頂上を目指して毎年ドラマが生まれる。今年は男子131名、女子43名が参加。年々参加者や参加都道府県が増えている。障害者の大会では3-4人のグループでリーグ予選を戦って、上位2人が決勝トーナメントに進出するという方式をとる。予選下位となった二人にもフレンドリーマッチという呼び名で二次トーナメントに参加してもらう。全日本におけるランキングを明確にするために、男子は3位決定戦から5~16位までのランキング戦、女子は3位決定戦から5~8位のランキング戦も行っている。男子の場合は、1~12位の選手、女子の場合は1~8位の選手に12月に実施されるチャンピオンズリーグの上位リーグ戦に参加する権利が与えられる。チャンピオンシップ大会とチャンピオンズリーグの結果をもとに国内ランキングが決定する。この国内ランキングポイントと世界ランキングポイントを合計して上位者からナショナルチーム・メンバーが選考されるため、今大会は選手やコーチにとってもとても重要な意味を持つ大会である。

今大会のハイライトは、女子シングルスの決勝。第一回大会から今回の22回大会まで連続出場しているFIDの代表選手、伊藤槙紀さんが一昨年に優勝し昨年も準優勝した美遠さゆりさんに2ゲームダウンから3ゲームを連取して大逆転勝ちした試合だろう。2013年を最後に優勝から遠ざかっていた伊藤選手は、回転とスピードのある美遠選手の巻き込みサーブからの攻撃に第1、第2ゲームは圧倒される。しかしここから驚異的な粘りとフォアとバックへのコースをついたバックボレー攻撃の連打を見せた伊藤選手がじわじわと追い上げた。どちらが勝ってもおかしくない緊迫したラリーの応酬が続き見ごたえのある試合。第3、第4ゲームを伊藤選手がとり返して、勝負は最終ゲームにもつれ込んだ。攻撃力に勝る美遠選手がしっかりと安定したフォアドライブとバックボレーで終始リードを保つ展開。しかし勝負をあきらめずにバックのナックルカウンターを打ち続けた伊藤選手が挽回して10-8とする。美遠選手はサーブ3球目で一点を返し10-9。次のボールもサーブ3球目で決まるかと思われたが、これをブロックした伊藤選手がバックハンドで反撃、11-9で大逆転勝利。二階で応援していたお母さんたちが抱き合って喜ぶ姿が印象的だった。

男子の方は、長崎瓊浦高校の浅野俊選手が初優勝。若手の有望選手として注目されていたが、昨年敗れた同じく若手の木川田選手に3-2の接戦で勝って勢いにのる。3年連続優勝で世界ランク7位の加藤選手と世界ランク8位の竹守選手を連破しての優勝は立派。もち前のパワーとスピードに、バックチキータの安定性とバックのブロック力を加えて、ついに手にした栄冠。2017年にアジアユースで優勝した木川田選手や今回ランキングで8位にくいこんだ山本選手らとともに期待のヤングジェネレーションである。日本の知的パラ卓球界は着実に成長している。東京パラを目指す世界ランク上位選手らに続き、これからも日本が世界の知的パラ卓球とインクルーシブスポーツに向けたリーダーシップをとるべく頑張って欲しいものである。

東京パラリンピックもまじかとあって、報道関係者も多く、ライブの生中継もあった。好試合の連続で知的パラ卓球の醍醐味を少しでも多くの人に知ってもらうことができたのではなかろうか。30人もの審判員ボランティアや選手の家族、友人などのサポーターに支えられて、本当にアットホームでかつスリリングな大会である。それぞれが様々な能力や個性の違いをもつことを理解したうえで、心技体の総合力を競うスポーツを楽しみ、社会のノーマライゼーションを促進していく、そんな縮図を見せてもらっているようだ。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心一郎の結婚式

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Shinichiro, the eldest son, has got married with Noriko-san, a Japanese lady. They have a lot common and plan to establish a warm and loving home and creative life. Shin (心)means the ‘heart’ and Shinichiro has proven to be a warm-hearted and a gentle promising young man who can connect people beyond various barriers. Congrat Shin and Noriko-san for the marriage and look forward to your forming a new loving and happy family!

長男の心一郎と紀子(旧姓中村)さんが、本日4月25日、平成の最後の大安の日に、鶴岡八幡宮にて挙式をあげました。雨上がりの新緑の萌えるすがすがしい境内で、おごそかな式をタイムスリップしたような気分で楽しませていただきました。心ちゃん、紀子さん、おめでとう。しあわせ一杯の家庭を育んでください。

ジュニアスポーツ、アジア交流大会

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東京都がアジアの青少年のスポーツ交流を通じた相互理解を深めようとこの10年ほど交流大会を実施している。バトミントンと柔道で始まったこのプログラムは、3年前からバトミントンと卓球種目で実施されている。国レベルではなく、東京という都市とアジアの都市を結ぶという地域性を持ち、東京オリンピック・パラリンピックが決まる以前から始まったプログラムということで2020年以降も継続されることが期待される。

参加都市は、シンガポール、台北、トムスク(ロシア)、ウランバートル、ヤンゴン、バンコク、デリ、ハノイ、香港、ジャカルタ、クアラルンプール、マニラ、ソウルなど各国の首都がリストアップされている。

東日本大震災で被災した福島、宮城、岩手県からの青少年も招待されている。そして東京2チームと茨城県チームがホーム代表である。アジアの各都市の16歳未満の少年少女を迎えて8月23日から29日までスポーツを通じた交流を楽しむことになる。

車いすや義足つけた障害者アスリートも多数参加していた。片腕が肩から全く無い少女や、知的障害とみられる少年も顔をくしゃくしゃにしながらボールをひたすら追い続けていた。

近藤欽二氏の指導者研修は、映像を使った効果的なものだった。すべて日本語である。これをアジア各都市からやってきたコーチ一人に対し、一人の通訳がついて解説する。

田中さんというスポーツプロモーションという会社の方が、通訳はみんなその国出身で日本語が堪能な人たちを集めたと説明してくれた。最近は各国から日本に来て仕事や勉強、あるいは家庭をもって長期滞在している人が増えている。人材派遣会社もそこに目をつけて、正式な通訳として活用しているとのこと。この会社は90%以上サッカーをあつかっているそうだ。J-リーグは、J-リーグの試合をインターネット上で配信する10年契約をUKの会社と結んだ。その額は2千億円であるが、実際にどれだけ有償でネットでサッカーの試合をみてくれるかによって採算が取れるかどうかが左右されるそうだ。現在有償でネットで試合を見ている人は日本に22万人だそうだ。これを多いと見るか、少ないと見るか。まだ利益を出すために十分な市場規模とはいえない。心配はお金があってもなくても尽きぬもののようだ。

早速ミャンマーのコーチらしき人に声をかけた。実は保健・スポーツ省の役人で、卓球関係者ではなかった。いつもは首都ネーピドーにいるのだそうだ。ミャンマーのすべてのスポーツ連盟はいまだに旧都のヤンゴンで活動している。もう一人の引率者とも話してみた。彼はやはり保健・スポーツ省の役人で、本人は他の競技の関係者だそうだ。都市と都市を結ぶための自治体が主役のイベントのはずである。しかし国家政府がその仲介にはいり、かつ決定権を持つことも多い。これには二つの理由が考えられる。一つはスポーツ団体の内部構造である。日本でもそうであるが、スポーツ団体は強固なヒエラルキーを持つことが多く、国家レベルと地方とではその上下関係は明確である。国のスポーツ協会・連盟の協力なしで一都市や一地域のスポーツ組織がスポーツの国際大会を開催することは考えられない。ふたつ目の理由は、スポーツ連盟と政府との関係である。大半のスポーツ連盟は財政基盤がなく、その運営費用のほとんどを政府に頼っている。そのため政府が決めたことに反対や意見するような力関係にない。とはいえ、卓球コーチや卓球協会関係者以外の政府の役人が引率者として参加しているのは珍しいことで、例外的なことだ。スポーツ連盟の海外遠征の機会を、その目的は度外視して、政府官吏にまで対象を広げ、受益を分配しようというミャンマー独特の平等感覚と中央集権的性格のあらわれなのだろう。

ヒジャブ(ムスリムの女性が髪に被す布)をつけてパワフルなドライブを売っている女子選手が目をひいた。リオオリンピックのビーチバレーでは、肌を見せずヒジャブをつけたチームとビキニのチームの試合があり論争をよんだようだ。スポーツは誰のものでもない、国境、宗教、言語、人種や民族、障害を越えたみんなのものである。世界に貧困、格差や紛争があるように、スポーツをする機会は地球上に住む人々に平等に与えられているとはいえない。しかし、公正で差別を引き起こすことのないルールや環境をつくることによって、誰も置き去りにしない、ことが21世紀のスポーツの創造と社会的発展につながると信じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポーツをできる幸せ、スポーツでつくる幸せ

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リオ・オリンピックでは、これまでで最高の41個のメダルを日本選手たちが獲得した。次の東京オリンピック・パラリンピックに向けての重要な道標であり、とても良い形のジャンプ台となった。長期的な展望がスポーツ界の人材育成にも目に見える良い効果をもたらすことの証明だろう。

Sport for Tomorrowは東京オリンピックまでに日本のスポーツにおける国際貢献を増やし、100カ国1千万人に対して実施しよう、というプログラムである。日本がオリンピックを東京に招致する際に表明した公約の一つである。青年海外協力隊、草の根無償援助、身障者リハビリセンター支援、企業による社会貢献型支援、スポーツNPO支援など官民財を通じて盛り上げようとしている。しかしこうした国際貢献の効果は、簡単に測定できるものではない。長期的なスポーツの発展とそのスポーツの社会経済文化への貢献度の極大化が求められている。国際的には、国連が、平和と開発のためにスポーツを活用しようというキャンペーンを行っている。

リオ・オリンピックでは史上初めての難民選手団が結成されて、10人の選手が参加した。国籍を問わず、ブラジルや世界中の市民の注目と声援を受けた。オリンピックの参加組織は国家に限定されていない。そのユニークな伝統を活かしたIOCの英断である。オリンピックに向けてこうした国や施設のない子供やアスリートに対するサポートを実施することは、一つの重要な支援分野となるだろう。これは難民の若者に夢と機会を与えるとともに、難民の置かれた環境を世界の人々に知らしめる絶好の機会ともなっている。難民の彼ら彼女らにとっては、スポーツができる幸せを痛感するオリンピック参加となった。その一方で、難民選手団の活躍を見ている側の私達にとっても、スポーツによる幸せづくりの可能性を見出す新たな契機となった。

オリンピックの招致合戦から、東京都都知事選、東京オリンピック・パラリンピックに向けての景気の底上げなど、スポーツの経済効果、政治への影響度についてはよく知られている。そのスポーツの社会・経済・政治・文化への貢献能力をフルに活性化させようとする動きが、Sport for Peace and Developmentであろう。人間中心の開発(Human Development)という観点から見ると、スポーツを通じた心技体のバランスのとれた発達と人格の形成を図るということが重要となる。

日本のスポーツ基本法(平成23年施行)はその第2条で、「スポーツはこれを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利である(以下省略)」と謳っている。スポーツができる権利はもとより、スポーツをつうじて幸福な生活を営む権利を認めている。スポーツをする機会を与えるだけでなく、そのスポーツを通じて如何に恵まれない子どもたちや地域の幸せづくりに貢献できるのかという視点が、スポーツによる国際・国内協力にも求められているということだろう。

 

 

Sport for Happiness

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Sport for Happiness

1983年から2年半、青年海外協力隊の卓球隊員として、ペルーのナショナルチームのコーチングや学校・地方での普及活動を行った。その後、シチズン時計の卓球部で実業団を経験。1988-1990年はドミニカ共和国で青年海外協力隊の調整員をする傍ら、現地の卓球連盟の活動を支援する。1994-1999年には国連に勤務しながら、ミャンマーの卓球連盟のナショナルチームのトレーニングパートナーをつとめ、機材供与を行う。2004-2008年には、ブータン王国で卓球連盟のコーチ兼アドバイザーとして、ナショナルチームの育成に尽力する。その後も、ミャンマー、フィリピン、ブータンに対する機材供与などのサポートを行ってきた。

Sport for Happinessは、恵まれない子供たちに対して、体系的かつ長期的なスポーツ支援を実施して、質高いアスリートを育成するためのプログラムである。アスリートとしての能力の向上を通じて、恵まれない境遇にある子どもたちに自信と希望を取り戻し、彼ら・彼女らの幸せづくりに寄与することを目的とする。社会的貢献としては、社会階層、民族、出自などによる格差や差別の解消とスポーツ振興に必要な環境づくりに寄与する。

 Background

Sport has been a driver of physical, mental and social development of a person.

Today, sport is recognized as having a significant potential to serve as an effective means to create an unity, peace and happiness in the human society.

There is a growing consensus that having an access to practice sport is a human right and it is for:

  • entire life-cycle of a person: from a baby to an elderly;
  • abled and differently abled; and
  • every individual regardless of their origin, age, sex and belief.

Mission

Sport for Happiness is established with the aim to support disadvantaged children including orphans, displaced, poor, minorities, differently abled,  in the advancement of their human development through providing an access to practice sports.

Goals

Sport for Happiness intends to help disadvantaged children achieve the following goals by providing an access to practice sports.

  1. To enjoy sports, physically, mentally and technically;
  2. To develop skills and self-confidence to compete at a higher level, national and international; and
  3. To develop life-skills and personality that enable them to explore their life with dignity, respect and happiness.

Areas of works

  • Collection and provision of used materials and tools for playing sports.
  • Provision of organized practice and coaching.
  • Support technical training of coaches and selected players.
  • Organization of tournaments and exchange, nationally and internationally.
  • Advocacy and networking with relevant national institutions and media.
  • Reaching-out companies and supporters that provide voluntary and financial support.

Achievements

  • Donation of table-tennis materials to the Philippine (2014), Myanmar (1990’s, 2009, 2016) and Bhutan Table-Tennis Federations (2004-2008, 2016).
  • Provision of coaching to the national table tennis teams of Bhutan (2004-2008)

Planned activities

  • Nov. 12-20, 2016: Organization of a table-tennis tournament in commemoration of 30th Anniversary of diplomatic relations between Bhutan and Japan in Thimphu,Puntseling and Paro.DSCF3606

Taj Mahal

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A visit to the world most famous heritage of love. It is a massive beautifully curbed white marble tomb. It is built with perfect symmetry including the decorations on the walls except the tomb of Mughar Emperor Shah Jahan himself lying next to his wife, Mumtaz Mahal. She died at the age of 37 during the delivery of her 14th child. She died in 1631 and then after 22 years of construction, Taj Mahal was completed in 1653. Shah Jahan died in 1666 after 8 years of imprisoned life in Agra Fort by their son, Aurangzeb. Taj Mahal was built on tremendous sacrifice of people (220,000 laborers and 32 million rupees) and 1000 elephants of that time, but it is certainly giving sustained and growing returns to generations after generations of human civilization.

(A lesson learned: Family planning is important to safeguard the life and the love)

Mahatma Gandhi

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On the International Women’s Day, I visited National Gandhi Museum to pay tribute to the greatest mind of peace and freedom from fear and want. His life has been full of struggle, in jail and out of jail, through his iconic, innovative mass-movement of “non-cooperation, non-violence” with perfect determination. He says, “My Life is My Message”.

In the museum, I learned about the dream that Gandhi or Bapu had in his mind with the title of “India of my dreams” on 10 Sept. 1931. It says, “I shall work for an India, in which the poorest shall feel that it is their country in whose making they have an effective voice; an India in which there shall be no high class and low class of people; an India in which all communities shall live in perfect harmony. There can be no room in such an India for the curse of untouchability or the curse of the intoxicating drinks and drugs. Women will enjoy the same rights as men. Since we shall be at peace with all the rest of the world, neither exploiting, not being exploited, we should have the smallest army imaginable. This is the India of my dreams.” It was the time of British ruling. While struggling for independence, he was the champion of supporting women’s rights, poorest, untouchables, and communal harmony between Hindus and Muslims till his assasination on 30 Jan. 1948 (aged 78).

He said, “After I am gone, no single person will be able to completely represent me. But, a little bit of me will live in many of you. If each puts the course first and himself last, the vacuum will to a large extent, be filled”. It is my humble and sincere hope that I can have a little bit of Bapu in me and to fill small space of the vast vacuum by putting myself last. Thank you, Mohandas Karamchand Gandhi for your Message through your Life.

Ryokan = Japanese Onsen + Foods

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Onsen/Hot spring (public bath) is one of the most popular and relaxing experience in Japan.  It is natural, traditional, cultural, social and healthy gift of Japan that everyone enjoys.  After 3 decades of living abroad, I have realized the extra-ordinary goodness of the hot springs.  Japan is a classic disaster prone country located in the mDSCF2332DSCF2364iddle of the “Ring of Fire” around the Pacific Ocean.  Earthquakes, Tsunami and volcanic eruptions constitute fundamental building blocks of our living environment. The nature is so beautiful but often very harsh in Japan.  It is the natural environment that has nurtured the unique characteristics of Japanese culture including Washoku (Japanese foods) and Onsen (hotspring).  It is imperative for us to take full advantage of such rich cultural traditions of Japan as much as possible in the course of our life. Ryokan (Japanese traditional hotels) offers a combination of onsen often with

local natural views and gorgeous dinner using fresh local materials. It is a dream to experience all popular onsen spots in Japan enjoying local views and foods offered at those ryokans.   Onsen and washoku are particularly well known to be good for health. It is a must to do in Japan and particularly, as we all age, it is most recommended for elderly and ailing people to go to onsen ryokan to enjoy a longer and healthier life.  I and my wife brought our aging and ailing parents to onsen ryokan to enjoy the best of local culture and have quality family time.

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Arigatou My Father

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My father passed away on 10th November, 2014. He was 95 years old. That day, I came back from an international symposium on MenEngage in Delhi, India, and then my daughter called me to tell my father’s passing in a hospital of rural town in Japan. My father was born in Los Angeles as a son of Japanese migrant labour. From rural Japan, he migrated and worked in NorthEast China and then experienceDSCF1029d WWII there. My father was a classic man of musclinity as he maintained the absolute dominance in decision-making in family affairs. I remember, he was a man with no compromise. He always acted uniquely and differently in a small rural community almost enjoying to be standing alone or being isolated. He gave me light and thunder, warmth and heat, and yes, he was never cold till his passing. I was fortunate to be with my father just a week before his passing. As he could not move much, most of time, I spent time giving him massage. The last night before my departure, my father asked me to sit on the chair in front of hiDSCF1108m. Then, he started to massage my neck and shoulders. He knew I had problems in my neck and shoulders.   His hands were warm with proper strength. I felt the direct transmission of love and care from the father to me. The first and last massage of my father lasted almost an hour. He gave me all the strength he had. Then, when I came back to home from India after a week, he was resting with a very peaceful face in a coffin. He managed to complete a good and eventful life of a man in very dramatic time
and challenging circumstances. Thank you, Touchan (父ちゃん), father. I am proud of you.

10月26日 湘南台祭り、沖縄太鼓と腰ふりサンバ

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湘南台祭り、毎年この時期なのか、以前見たときとだいたい同じグループが、行進に参加している。沖縄太鼓の一団は統率がとれて見ていて気持ちがいい。沖縄という風土は独特の文化を育てていて、一つの独立した文化圏を形成しているようだ。琉球国という日本本土と物理的にも精神的にも一定の距離をおく自負と海へ開けた自由な気風がなせる業であろうか。

サンバチームの際どいビキニダンサーらが初老のカメラマンたちの期待に応えて腰をリズミカルに振動させる。熟年の女性たちは、全身を覆うサーカス的ないでたちで、迷うほどの魅惑を振り撒いている。

3年前だったか、その時に見たダンサーとはまた顔(腰)ぶれが相当変わっているようだ。日本の街並みをほとんど裸と言っていいあられもない格好の若い女性が練り歩くのは、時代の変化というだけでは説明できない凄みを感じさせる。

日本の精神風土は、特異なものに対して憧憬と拒絶の両極端の反応を見せてきた。

これが、個人レベルでも社会レベルでも、同時にも交互にも起きる。今は女性が推進力になって、古いしがらみを拒絶して、より開放的な海外諸国の習慣、文化を取り込んで、日本社会における日常生活の冒険として売り出しているようにも見える。外国の女性にできて、日本の女性にできないことはないとでも言いたげである。ブラジルの女性のように積極的参加型でサンバを楽しめる才能と魅力を自分たちも持っているんだと主張している。確かに、見る方も見せる方も楽しんでいる。社会から日陰に追いやられていたヌードショーの文化から、サンバの超露出オンパレード文化への昇華は、現代女性に主導された一つの解放、ルネッサンス的な運動なのかもしれない。

スポーツや音楽・芸術の世界では、新しいものが国境を越えて広がるのが早い。ジャズやレゲエが世界中に広まるのは一瞬で足りた。ちょうちんブルマーからタイトなパンティ型に変わったり、女性アスリートがほぼみんなビキニ姿になったのもルールが同じで結果勝負のスポーツ界ならではの現象だろう。

祭りは固有の文化をその土地の住民が一体になって体現するもの。土地社会、町の景観や風物詩的なものと切り離しては考えられない。かといって、他の地域で根付かないわけでもなさそうで、分根や接ぎ木した場合でも、異なる風土・社会でまた違った味を見せてくれるものなのかもしれない。