月別: 6月 2021
伊藤まき選手(お母さん、お父さん、小野千代さん)東京パラリンピック出場権獲得おめでとう!
昨日、招待枠(バイパルタイト/bipartite slots)による東京パラリンピック卓球競技の最後の出場者が確定し、その発表があった。 クラス11(知的障がい者部門)の女子の最後の1枠に選出されたのが、日本の伊藤まき選手である。当該クラスは東京パラリンピックにおいて許された参加者数が全部で8人という狭き門になっており、日本からは世界ランク5位の古川佳奈美選手がすでに参加を確定していた。世界ランク8位で惜しくも選外となっていた伊藤まき選手は、先にスロベニアで行われた東京パラ世界予選会で、第一シードとして参加したが、優勝したフランスの選手と準優勝したトルコの選手に接戦で敗れて、招待枠の最後の1枠にのぞみをつないでいた。世界ランク7位のインドネシアの選手はクラス分けが確定していないため、世界ランク8位の伊藤まき選手が、もっとも招待枠に近い選手と目されてはいたが、二人目の日本人選手を招待枠に選出するかどうかは予断を許さない状況だった。伊藤まき選手は、日本で知的障がい者卓球の全国大会が始まった1998年から2020年までの23回、毎回参加を成し遂げ、1999年に初優勝して以来、2019年に実に11回目の優勝を果たしている。日本知的障がい者卓球界のレジェンド的な存在である。他の選手に比べても障がいの軽くない伊藤選手の編み出した卓球スタイルは、彼女独自のものであり、ユニークでクリエイティブなものである。彼女の20年もの長期にわたる国際的な活躍は、特にお母さんの献身的なマネージングと家族・コーチの支えがあってこそのたまものである。現在は、このブログでも紹介した、小野千代コーチの指導を受けており、これから東京パラリンピックに向けて、みんなでチームまきちゃんとなって、全力ダッシュして、念願のメダルを獲得するに違いないと信じている。
今回の招待枠では、肢体不自由のクラス7の井上選手とクラス2の南選手も出場権を獲得しており、活躍を祈念したい。おめでとうございます。

小野千代さんからのBigプレゼント
日本卓球界でも有名な小野千代さんからデッカイダンボール箱が送られてきました。小野千代さんとは、知的パラ卓球の日本選手団の引率でいくつかの国際大会でご一緒して、ご指導いただきました。時折、スパークリングをお願いして、思いっきり前後左右にふられまくっています。
相当大きなダンボール箱は、33Kgもあって、抱えて移動するのも大変。中を開けると、ムチャクチャたくさんの卓球用具が入っていました。これだけのものだと、メルカリで売ったら、かなりの額になりそうです。
一人でこれだけの寄付をいただいたのは前例のないことです。本当に感謝しかありません。さすがにトップの選手・コーチになると半端ない量と質の卓球用具を使いこなしてきた半生の重みを感じさせます。これまで表ソフトのラバーは中古でもなかなか手に入らなかったので、助かります。前陣速攻の小野千代さんだからか、ユニフォームは私も好きな軽めのものが多いようでした。女性用の服は、サイズが小さめで、子どもたちはユニセックスで使えるのでちょうどいいですね。スカートタイプも最近ではトップ女性選手のあいだで着用されていますし、ラテンアメリカとかでは特によろこばれそうですね。小野千代さん、本当にありがとうございます。早い機会にペルー、ブータン、ミャンマーの子供たち、選手たちに配布する予定です。コロナが終息すれば、私自身で持っていきますが、郵送も考えています。小野千代さん、みなさん、これらの用具を使っている子供たちに一緒にコーチングに行きましょうね。




寄付の内訳は、下記のとおりです。
| ユニフォーム(上) | Used | 52 | 表ソフトラバー | New | 49 | |
| ユニフォーム(上) | New | 13 | 表ソフトラバー | Used | 2 | |
| ショートパンツ | Used | 22 | 裏ソフトラバー | New | 22 | |
| ショートパンツ | New | 1 | ||||
| スカート | Used | 9 | ソックス | New | 5 | |
| T-シャツ | Used | 23 | アームウォーマー | New | 2 | |
| T-シャツ | New | 3 | リストバンド | New | 4 | |
| ジャージ (上下) | Used | 1 | タオル(大) | New | 1 | |
| ジャージ (上下) | New | 1 | タオル(小) | New | 1 | |
| ジャージ (ズボン) | Used | 3 | タオル(中) | Used | 1 | |
| ジャージ (ズボン) | New | 2 | 保温ボトル | New | 1 | |
| フード付きトレーナー | Used | 1 | キィホルダー | New | 1 | |
| パンツ(膝丈) | Used | 1 | 卓球ボール | New | 6 | |
| セーター | Used | 1 |
Happy Father’s Day
I got wonderful presents from the hearts of my kids.Nice to be recognized as the father of someone young and I love most since they were born. Hopefully, I can still do something as their proud and only father. Today, I can only thank my daughters and sons and my wife who made me a proud father.
母の日が太陽とすれば、父の日って月ですよね。バレンタインデーのお返しのホワイトデーみたいなものかな。それだけに、子どもたちからプレゼントなんてもらうと、とびっきり嬉しくなってしまいます。家族ってありがたいですね。ハッピー父ちゃんの日でした。
東京シニアリーグ優勝、中野リーグ二部残留(3位)
東京前期シニアリーグのAブロックで優勝。西東京クラブとの全勝対決を3-0で制した。私がシニアリーグに参加するのは、去年12月の後期リーグ戦と王座決定戦で優勝して以来だ。これで今年3連覇のかかる年間王座決定戦に出場する資格ももらえる。今回は河島さんと組んだダブルスで初勝利。だんだんとダブルスの感覚がつかめてきたかな。最後の試合は私はカットの中山さんと対決、表のバックハンドを広角に打たれて、1ゲーム目を8-3とリードされる。ここで取られるときつい。着実にドライブを入れていくようにして、9-9と追いついて、バックハンドスマッシュをブロックして10-9。ドライブ攻撃のカウンターアタックミスで11-9でやっと勝つ。技術的なものより精神的なところで、互いに気合いの入った楽しいゲームだった。Bブロックは卓精会、双葉苦楽部、神馬クラブが2勝1敗同士の三つ巴となり、結局、卓精会が1位、神馬クラブが2位、双葉苦楽部が3位となる。後期は神馬クラブがAブロックに入るのだろう。九十九(B)チームが二部で一位となり、後期は一部リーグで試合することとなった。これは、文字通りの快挙。おめでとうございます。
日曜日(13日)は、中野区リーグの試合。二部に昇格して初めての試合だった。結果は2勝1敗1引き分けで3位。目標の二部残留を果たす。私は、AQTAの水口選手との試合が今回のハイライト。水口選手は前陣ではバックハンドの技術が安定していてバック対バックでポイントがとれない。しかもラリーになると両ハンドでうまく揺さぶられて勝ち味がうすい。アップ系のサーブが効いて、早めに勝負に出て、1-2ゲームを先取できた。3-4ゲームはこちらのサーブが効かなくなり、逆に水口さんの巻き込み系のサーブにこちらが翻弄される展開で落とす。5ゲーム目はバックへのプッシュをストレートにカウンターされ5-2でコートチェンジ。浮いたレシーブの攻撃ミスが相手に出て一息つく。サーブを持った方が得点する形で7-9から9-9とし、先に王手をかける。ここでフォア前の巻き込みサーブを払ってネット直撃。アップサーブから回り込みバックストレートへのスマッシュで11-10。最後は、バックへのロングサーブをドライブ攻撃して、フォアクロスへの連打で長い闘いを切り抜ける。40代の実力のある選手とはラリー戦で押されるパターンが多くなる。30代以下は、ラリー戦を考えること自体無理。還暦を迎えて、いろんな年代の卓球を経験できるのは、これはこれで、卓球冥利に尽きる。今回のMVPは紅一点の小松さん。二部残留を決めるアカシアチームとのラストの試合で見事な逆転勝ちをおさめ、3-1で勝ち点を獲得。団体戦は仲間の闘いに一喜一憂するのが醍醐味。早く、試合のあとの楽しい飲み会ができるようになるといいのだが。






加藤耕也くん、東京パラリンピック世界予選大会優勝・浅野俊くん、東京パラ出場確定おめでとう!!
今回、スロベニアのラスコ市で開催されていた東京パラリンピックに向けた世界予選大会で、クラス11(知的パラ)の加藤耕也選手が見事優勝して、優勝者だけに与えられる東京パラリンピックへの出場権を獲得した(写真は卓球王国に掲載)。このクラスでは世界ランク8位につけて、世界ランク7位までが出場権をすでに得ている中、次点となっていた加藤選手は、精神的にも相当なプレッシャーを感じてこれまで練習してきていたことだろう。今回出場選手の中で、加藤選手の強敵は、世界ランク10位で、伸び盛りの若手のKim Chang Gi(韓国)選手である。以前、オランダの大会で苦杯をなめ、チャイナ・オープンでは大接戦で勝っているとはいえ、実力は伯仲しており、メンタルの勝負と思われた。2-0から3・4ゲームをジュースで落とし、2-2とされる精神的には追い詰められた状況のラストゲームでしっかり勝ちきったのは加藤選手の東京パラに向ける気持ちの勝利としかいいようがない。LINEで加藤選手より優勝のメッセージをもらい、これまで2年間、彼と一緒に世界選手権や多くの国際大会で過ごした日々が蘇ってきた。悔しい思いをしたときが多かったかもしれない。東京パラでの彼の活躍を見れることが、本当に嬉しくてならない。加藤くん、そしてベンチコーチをなさっていたお父さん、家族の皆さん、おめでとうございます。


この大会では、クラス分けが実施されており、現在レビューという仮の資格を持っている選手たちのクラスを確定する作業が行われた。障がいの程度と障がいが卓球競技に与える影響を判断する試験である。今回は、アジア選手権大会で優勝して東京パラリンピックの出場権を獲得した浅野俊(たかし)選手がこのクラス分けを受けていた。クラス11(知的)は、他のクラスとは違って、判定には確定と確定しない、YesとNo、しかなく。確定されることが、東京パラリンピックに出場するための絶対条件である。私もアジア大会でこのクラス分けに同伴したが、実技テストやコンピューターを使った認識力テストなど、英語の通訳も含めてかなり緊張するものである。結果は、確定(Confirmed)! これで、日本は世界で12名しか出場権のないパラ卓球男子のクラス11において、一国に許される最大数である3名の選手(加藤、浅野、竹守各選手)が代表権を獲得するという快挙を果たしたのである。パラリンピックでクラス11初のメダルも見えてきた!

今回、クラス11の女子で、優勝候補だった世界ランク8位の伊藤槇紀さんは、今回の大会の優勝と準優勝の選手にフルゲームで敗れ、残念ながら予選通過はならなかった。
女子車椅子クラスでは、茶田ゆきみ選手が大健闘し、本当に惜しくも決勝で涙を呑んでいる。マダムバラフライとして世界に知られている別所きみえ選手も本大会に出場して、その勇姿を見せてくれた。残念ながら優勝して東京パラへの出場権を手にすることはできなかったが、73歳で世界ランク8位を維持する別所さんの東京パラリンピックを目指す気迫は、生きるレジェンドにふさわしい。
男子車椅子クラスでは、南選手が予選を一位通過して、準決勝進出。斎藤選手も同じく準決勝に進出している。期待のベテラン、吉田選手は、残念ながら予選通過ならずという悔しい結果だった。
女子立位クラスでは、進境著しい友野ゆり選手が3勝1敗の三つ巴となって、勝率でいま一歩及ばず。
男子立位クラスでは、クラス6の七野かずき選手が、決勝まで進出している。いつも笑顔の優しい好青年の彼の試合は、杖で動かない足を支え、手の届く範囲でラケットの角度を駆使して返球するマジック卓球である。井上まさちか選手も準決勝進出。優勝したポーランドの選手に惜しくも敗れている。ジャパンオープンで優勝した垣田斉明選手は今回は決勝トーナメントの準々決勝で敗れている。
みんなパラ卓球大会の常連で、東京パラリンピックを目指して、本当に汗と涙を流し続けてきた選手たちである。そのガンバリは誰でも絶対応援したくなる。まだ、開催国日本には、4つの推薦枠が残されている。おそらく上記の中の4名の選手が、東京パラリンピックへの出場資格を得るのではないかと思われる。パラリンピックへの出場はパラアスリートの夢だろう。すでに次のフランスパラリンピックに照準を当てて、練習に励んでいる選手もいる。応援しよう、パラアスリート!
全日本クラブ選手権大会東京予選を通過
全日本クラブ選手権大会は、卓球クラブチームの夢の球宴だ。特に年代別の選手にとっては、年に一度のチーム戦の祭典である。今年は40代がなくなり、30以上の部と50以上64歳までの部となったばかりか、参加チーム数も制限されて、東京も代表2枠を争う厳しい闘いとなった。配られた組合せは一番アタリたくないと思っていた、3年前に決定戦で逆転負けを喫した卓楓会のブロックだった。卓楓会は東京選手権50代3位の八城くんが加わって、さらに層の厚い陣容だった。一回戦の渋谷卓球クラブ戦、私とエースの河島さんと組んだダブルスは絶対勝利と思いきや、練習もせず今年初めて打つダブルスは失点が続きガタガタと崩れた。簡単に1ゲーム目を落とし、2ゲーム目を奮回するも3ゲーム目にまた蜘蛛の巣に絡まるように決め手をかくまま敗れた。2番手のサトケンさんの勝利のおかげで、シングルス3連勝で逆転勝ち。2回戦の相手は松卓会。50代の動きが良くパワーもある選手が多いようだ。ダブルスは3ゲーム目にもつれこみ、9-9から私の勝負のレシーブ・フリックが入らず、そのまま落とす。サトケンさんがまた二番手で勝ち、タイにしてくれる。私のシングルスの相手は計良さんで、私のフォアへのドライブ攻撃をいとも簡単にカウンタースマッシュする。私に勝つ相当の自信ありの空気が伝わってくる。ロングサーブからのカウンタースマッシュのパターンが主体だったので、ほとんどレシーブからドライブ攻撃して、打たれても2本、3本と返すと5分以上の展開になる。今回もシングルスで勝つ。決定戦はやはり卓楓会。ダブルスで勝たないとシングルスは不利。1-1で迎えたラストセットで調子は悪くなかったが私のサーブミスとレシーブミスもあって、またもダブルスで敗れる。万事窮す。2番手のサトケンさんも敗れて0-2。これからシングルスで3連勝するのは不可能に思われた。3台横並びで同時進行するシングルスで、まず河島さんが(アキレス腱を切って卓球復帰を果たしたばかりの)荒井さんに勝つ。私は3年前にも当たった飯田さんに1ゲーム目をラブゲームで取るも、2ゲーム目は必死にボールに食らいつく飯田さんの執念につかまって1-1とされた。絶対に勝てないと皆が思っていた椋さんが八城さんに対して1ゲーム目をジュースの連続で勝ち取った。2ゲーム目はずっとリードされた劣勢から、スマッシュを拾いまくり、椋さんが中陣からのドライブの連発で逆転し2-0の大金星をあげたのである。当然ながら私と飯田さんのラストゲームに衆目が集まる。捨て身で全部のボールを決め打ちしてくる飯田さんの勢いは、競るとまずい雰囲気ありあり。とにかくサーブ・レシーブに集中して、凡ミスを減らし、勝ち切ることができた。ダブルスで負けて、あきらめかけた全国大会への切符が、九十九チームに舞い戻った。本当にチームのみんなのおかげで手にできた久しぶりの全日本大会への東京都の代表権である。
「勝ちに不思議の勝ちあり」


大坂なおみ(Naomi)さんを応援しよう
最近ヤンゴン日本人学校でパラリンピックについてゲスト講義をする機会があった。そのときに私が尊敬する人物について、ガンジーさんやネルソン・マンデラさんとともに、スポーツ界を変えるアスリートとして大坂なおみ(Naomi)さんについて話した(下の写真)。彼女はBlack Life matters運動を率先して行い、大会の組織委員会の妥協ばかりか、アメリカスポーツ界の政治的行為の排斥原則を変える歴史的な転換をもたらした。
今回、French OpenにおけるNaomiさんのインタビューの拒否は、単なる個人的な問題としてしか捉えられていなかったようだ。Naomiさんも、おそらく、彼女自身の個人の権利に関するものと考えていたと思う。ナダルさんや錦織さん、多数のテニス界のスター選手がコメントを求められ、
(1) Naomiさんの決断をリスペクト(尊重)する。
(2) インタビューは仕事である。
という二つのことを述べていた。その根幹には、
今のテニス界の発展=商業価値はメディアに頼るところが大きい。
というアスリート側の現状認識があるようだ。
New York Timesによると、Naomiさんのインタビュー拒否に対して、全仏の運営者側は、
Naomiさんに、罰金1万5千ドルを課し、これ以上、拒否するなら、罰則として全仏からの不戦敗もありうる、と警告を行っている。
そして、この過剰なまでに強い警告の宣告文(ステートメント)には、フランステニス協会会長、米国テニス協会会長、オーストラリアテニス会頭、全イングランドクラブ会長(ウィンブルドンを運営)の署名があったそうだ。
つまり、テニス界の頂点を決める四大大会(グランドスラム)のトップ全員が、インタビューを拒否する選手は、四大大会から排斥すると、このあまりにも早い時点で警告を行ったのである。インタビューを拒否するNaomiさんの行動は、テニス界を根底から揺るがす許すまじき行為であり、テニス界で生きていきたくば、このような真似をしてはならないという、テニスプレーヤー全員に対する警告のつもりだったのだろう。
あまりにも明確なことは、テニス界を運営する人たちは、テニスをビジネスにしており、選手はメディアや観衆を楽しませるための商品と見なされているということである。ビジネスファーストであり、セカンドもサードもビジネス、ビジネスである。多くのプロ選手たちも、プロツアーで勝つことと、自分の商品価値を上げることを、ほぼ同義ととらえ、アスリートという名の個人事業主として、テニス界と向き合っているようだ。
Naomiさんは独特なスピード感をもって「全仏オープンからの自主的な棄権」という選択を発表した。鬱の症状に苦しんできた彼女の独白は、グランドスラムを四度も制するタフな精神力とスーパー身体能力を有する女性のイメージからは程遠い、痛々しいほどの苦しみと不安に満ちたものだった。
セレナ・ウィリアムズさんは、Naomiさんをハグしてあげたいと、記者会見で答えた。テニス界にも多様な人々がいて、それぞれにベストなやり方で、いろいろな局面に対応している。それでいいじゃないの。Naomiさんには、Naomiさんにベストな方法でガンバることを認めてあげるべきでしょう。Naomiさんのテニスの憧れの人、鬱のきっかけとなったUSオープンの決勝の対戦相手のセレナさんは、テニス界に黒人女性を認めさせたパイオニアでもある。セレナの言葉は、I have a dreamというキング牧師のスピーチのスピリットにも重なって響いた。
Mental health of an athlete matters
Naomiさんは、再び、プロスポーツの世界の常識に転換点を突きつけた。
Naomiさん、we all have heard the true voice of your heart. Please take your time, relax, refresh and recover. We all stand with you and hope to see your smile soonest.

林住期(50~74歳)は人生の黄金期?
林住期って何だろう?
五木寛之さんの「蓮如」を読んで、御文の誕生と妻の死に面して大泣きする人間らしい情のかたまりであることをためらわない生き方に共感を覚えた。そして50歳を迎えた頃に五木さん著の「林住期」と出会った。人生50年と舞った信長の時代から太平洋戦争の頃まで、日本人の寿命は50年だった。今や、平均寿命は80歳を越え、100歳以上も珍しくはなくなった。そう、これからは人生100年時代になるのだろう。
人生を起承転結、春夏秋冬のように4つに分ける考え方が、古代インドにあったそーな。人生100年とするなら、1-24が「学生期」25-49が「家住期」50-74が「林住期」75-100が「遊行期」である。
学生期に人生の準備をして、家住期に勤務を果たし、林住期で自分のために人生を使い、遊行期で余生を楽しくすごす。家住期において、国家社会・家族などに対する責務を果たして、その後の暮らしが成り立つように頑張れば、林住期では、自分の人生の目的・夢・やりたいことを中心に生きる、いわば人生の黄金期、飛翔(ジャンプ)を可能にする、と五木さんはブッダに代わって説くのである。
34歳にして国連に入り、49歳になった私は、その頃ミャンマーにいて、14万人の命を奪ったサイクロン・ナルギスからの復興支援を行っていた。まだ、子どもが学生であり、経済的にもゆとりもなく、家住期の責務を果たしきってはいなかった。かといって、このままでは、林住期の人生を謳歌することはできない。55歳になったら、ミャンマーで孤児院をつくって、スポーツを教えてチャンピオンを育てよう。そのための準備を始めなくては。そんなことを考えていた。
鹿児島の南さつま市の津貫という過疎の村が私の故郷である。国連を早めに退職するきっかけの一つは、父の他界と母の認知症だった。息子が国連で働くことを喜んでいた両親への孝行もそろそろ形を変えていい時期にきていた。4人の子供らも大学を卒業した。私は、日本に帰国して、子供らと交代するように、大学院に入って、久しぶりに、キャンパスライフとやらをやってみた。卓球を再開し、九十九というクラブに入って、50代の試合に出場するようになった。ペルーに30年ぶりに招かれて、ナショナルチームのコーチとして、パンアメリカ大会とボリバリアーノ大会にも参加した。日本知的障がい者卓球連盟のコーチをほぼボランティアで始めて、数々の国際大会とアジア選手権や世界選手権も経験することができた。
ミャンマーの孤児院もいくつか訪問したが、結局、障がい児センターで、スポーツを導入するプロジェクトを立ち上げることとなった。
それでも、2-3年の間は、自分が有意義な人生を送っていないのではないか。また仕事を見つけて働くのが、あたりまえではないか。などという疑念が、常に頭の中をウロウロ歩き回っていた。
有言実行型をめざして一つだけ宣言したことがあった。それは「歳を取るのをやめる」である。
私は、国連という職場のなかで、常に若く、青く、軽く、見られていた。少なくともそう感じたし、そういう反応ばかりが、ネガティブに私には伝わってきた。そこで思いついたのが、髭を生やすこと。とにかく年長に見られたい。その一心だった。林住期に入った今、職場にも復帰する気がなく、自分の等身大の人生を歩むことにしたのだ。だったら、歳を取る必要もないし、取るだけ損だ。というわけで、歳については、進む針を凍結することにした。
今のところ、その成果は上がっている。ほぼなくなりかけていた前髪が少し戻ってきた。筋肉もついた。人格は、相変わらず、青二才だが、そんな大人になれないでいる自分に、平気になってきた。
林住期を楽しむ準備がやっとできたようだ。
玉手箱を開けないように。
四住期は「しじゅうき」と読みます。古代インドの社会的な規範を記した聖典「マヌ法典」により、四住期という考え方は生まれました。人生を、学生期(がくしょうき)・家住期(かじゅうき)・林住期(りんじゅうき)・遊行期(ゆぎょうき)の4つにわけて、それぞれのステージにおける規範に即した生き方をすることで、幸せな人生を送れるとされています。






