しあわせ・Happiness

オリンピック・パラリンピックとブータン選手団とGNH

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はじめに

2021年の東京オリ・パラ大会から2024年のパリ大会までのこの4年間は、私は自分の選手としての卓球中心で、コーチングからは遠のいている。ブータンへは卓球用具を贈り、障がい者卓球を含めサポートは続けているが、そもそも大半のアスリートにとって、そしてとくに途上国のスポーツ界にとって、オリンピックやパラリンピックは、あまりに遠い雲の上の存在なのである。その創設時には参加することに意義があると唱えていたオリンピックも、勝利至上主義が浸透し、今ではコマーシャリズムを優先するメガイベントとなり、独自に発展してきたパラリンピックもオリンピックと同化して熾烈な競争と各国がメダル争いに躍起となる世界へと変わりつつある。ロシアのドーピング問題やウクライナへの侵攻、そしてコロナによる中断・延期など、スポーツ界、国際社会そして地球規模の問題に翻弄され続けているオリンピック・パラリンピックは、実際にその基本理念である世界の平和と共生社会の実現に貢献し得る存在となりうるのだろうか。

ブータンとオリンピック

 第4代国王が会長となってブータンオリンピック委員会が創設されたのは1983年のことである。翌1984年には、ロス・アンジェルスオリンピック大会のアーチェリー競技に6名(女3名、男3名)の選手が参加し、ブータン王国のオリンピックデビューが実現する。それからブータンはオリンピック・アーチェリー競技の常連となり、2024年パリ大会まで11回連続で参加を果たしている。現会長はジゲル・ウゲン・ワンチュク王弟殿下であり、2018年に王弟殿下はIOCメンバーに選出されている。

オリンピックやパラリンピックではQuotaと言われる出場資格権の分配システムが各競技で定められており、その大半の出場枠は、世界ランキングと五大陸の代表枠によって占められている。各国のNOCに割当があるわけではない。そこで、オリ・パラには出場国数を増やす手段として、招待やワイルドカードという推薦枠が各競技に設けられており、ブータンは国技ともいえるアーチェリーでこの推薦枠を獲得することが恒例となっている。事実、ブータンのアーチェリー競技力は相当に高いレベルにあり、2019年のアジア選手権では、Karma選手(女性)が実力でアジア代表枠を勝ち取り東京オリンピックに参加している。アーチェリー以外の競技では2012年のロンドン大会の女子10mエアライフル射撃競技に推薦枠で参加したクンザン・チョデンが最初であり、続くリオ大会(2016)と東京大会(2020)でも同競技にブータンの選手が推薦枠で参加している。東京大会においては、柔道で初めての推薦枠を与えられ男子60キロ級にガワン・ナムゲル選手が出場、水泳競技においても男子100m自由形でサンゲ・テンジン選手が推薦出場を果たしている。2024年パリ大会においては、アーチェリーと水泳に加えて、陸上競技においてブータンに推薦枠が与えられ、クンザン・ラモ選手が女子マラソンに出場し、完走を果たしている。

ブータンとパラリンピック

 ブータンパラリンピック委員会が創設されたのは2017年のことであり、会長はユーフェルマ・チョーデン・ワンチュク王女殿下である。創設時から東京大会デビューを目指して積極的に活動し、東京大会には、砲丸投げの低身長クラス(F10)においてゲルシェン(男子)選手とチミデマ(女子)選手、そして男子のパラアーチェリー(リカーブ)種目にぺマリグセル選手が初参加を果たした。パリ大会では、女子10mエアライフル射撃(車椅子)にキンレイデム選手がブータンの唯一の代表選手として参加を果たしている。パラリンピックにおいても推薦枠を獲得するのは容易なことではない。まず、推薦枠に応募するための条件として、いくつもの決められた国際大会に参加して、出場資格の規定ポイントを上回る実績を残していることが必要である。その条件を満たした各国の多数の応募選手の中から選考委員会が協議して一人か二人のアスリートが選ばれる狭き門なのである。

 

パリ大会におけるブータン選手団の存在

パリ大会の開会式はセーヌ川から船に乗っての入場となった。五輪発祥の国ギリシャの次は、難民選手団が登場。参加選手が3人というBhoutan(フランス語表記)は、単独の小さな木目調のスピードボートに乗って登場して注目を集め「ブータンの船」が一時トレンド入りする。日本は大選手団であるにもかかわらず、ヨルダン、カザフスタン、ケニア選手団が同乗する大船での登場。小さな木目のボートに乗ったゴーとキラを着た若者がオレンジとイエローの雷竜の国旗を掲げ、小旗を振って観衆に応えるという演出は、オリンピックへの街道に咲く一輪の可愛らしい花のようなブータンの特別な存在を世界の人々にアピールしていて、パリオリンピックにGNHの香りをとどけているように思われた。

パリ大会で最も感動的な花を咲かせたのが、ブータンが初めて陸上競技に参加することになり、女子マラソンに出場したキンザン・ラモ選手である。ラモ選手は2022年のスノーマンレース(203km)で2位、2023年にプナカ市で開催されたブータン国際マラソンで3時間26分という記録で優勝という経歴をもつアスリートである。パリオリンピックは彼女にとって初めての平らな低地の国外大会だった。多くの選手が途中棄権となる中で、途中で一時は立ち止まることもあったラモ選手は、それでもあきらめずに80位、3時間52分59秒というタイムでゴールして、会場中の大歓声と称賛を受けたのだった。

水泳の100m自由形に参加しているサンゲ・テンジン選手は初参加の東京オリンピックでは57.57秒で泳ぎ、今回のパリ大会では56.08秒と自己記録を更新している。ところで100m自由形の世界記録が1分を切ったのは1922年のことで、サンゲ・テンジン選手の56.08秒という記録は、1936年のアメリカのフィック選手(米国)の世界記録56.4秒よりも速い。サンゲ・テンジン選手が世界記録に抜かれるのはフォード選手(米国)が55.9秒を出した1944年のことである。50mプールの一つさえ存在しないブータンの選手が80年前までは世界一位の記録をうちたてたということは驚くべき偉業である、と私は心底思うのである。ちなみにパリオリンピックでは潘 展楽(中国)が46.40秒という世界記録で金メダルを獲得している。

結び・GNHの風にたなびく五輪旗

ブータンの選手にとってオリンピックの意義は、その創設以来の理想である「参加すること」にある。そして個々のアスリートとしての目標は「自己ベストの更新」ということをあげている。アスリートのライバルであり超えるべき基準は常に「昨日の自分」であり、それは試合に勝つことでなく「自分に克つこと」なのである。

私には、金メダルをとったハッサン(オランダ)選手の2時間22分55秒よりも1時間30分長くパリの街道を走りスタンディングオベーションを受けたラモ選手と、世界記録を出した潘選手よりも9.5秒長くオリンピックプールを楽しんだサンゲ・テンジン選手のオリンピックこそが、「自らを克服し」「参加することの意義」を体現した至高の姿であるように思えるのである。

誇り高きブータン選手団のオリンピック参加によって、五輪旗がGNHの薫風に吹かれ、パリの空をたなびいた。

ブータン選手団とそれを支えたみなさま、ありがとう!! ごくろうさまでした。

ロス・アンジェルス大会のブータン選手団のさらなるご活躍を楽しみにしております。

創部100周年、メモラブルな早稲田大学卓球部の秋季関東学生リーグ 優勝!!(2)

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 9月24日、最終戦。昨日の試合で、早稲田大学は男女ともに敗れ、4勝2敗となった。久しぶりのリーグ戦の応援で、優勝のかかる試合を朝から夕方まで観戦し続けた自分だったが、女子はストレートで、男子は3-1からの大逆転負けを喫したとあっては、自分がこのリーグ戦における母校の運気に貢献するどころかその逆だったのではないかという杞憂もおきる。こうした戦いの運勢というものは、絶妙かつ不可思議なバランスがあって、常にいいものでも、いつまでも悪いものでもない。スウェーデンから帰国したばかりの翌日の試合で、獅子奮迅の活躍をみせて気を吐いた濱田(一)選手。体調をくずして病み上がりでのぞんでいた徳田選手。関東学生のトップクラスの大学チームのレギュラー選手同志の実力差はわずかであり、団体戦では勢いに乗った選手が大当たりするものだ。その技術力と体力と気力のぶつかりあいは、ボールのスピードと回転とともに、ジェットコースターのようにめまぐるしいラリーの応酬となり、息が詰まる。昨日の悔しい敗戦のあったあとの最終戦。4勝2敗の4校の中では、勝率でまさる早稲田大学は、中央大学との対戦に勝てば、もっとも優勝に近い位置にいた。選手層のうすい早大は、濱田兄弟と徳田選手で4勝をあげることが必須で、あとの3シングルスの勝率は低い。

 その大事な濱田弟と相手のエース対決は、こちらがかなり不利にみえたにもかかわらず、サーブからの速攻とレシーブからのカウンターというトップスピン隆盛の現代卓球とは異質なプレーをする濱田弟が見事に3-0で勝ちきった。早稲田の勝利への扉が開かれた瞬間である。二番手の濱田兄は絶対的な信頼と実力を有する早大のエース。相手選手がものすごく元気でとにかく中陣からフォアでもバックでもパワフルなドライブを何発でも打ってくる。濱田選手は合わせる打ち方となり、粘られたボールに対して決定打が打てない。動きに自信と鋭さが伴わないまま、押し切られてしまう。次の桜井選手もゲームオールで惜敗。1-2というむずかしい出足となる。ダブルスは絶対に勝利が求められた。2-0と楽勝ペースと思われたが、3・4ゲームは相手ペースで奪還されラストゲーム勝負。これも6-9とリードされ、万事休すと思われた。ここで濱田・徳田ペアが驚異の粘りをみせ9-9。相手が払うようなツッツキをオーバーミス。10-9。最後の渾身の攻撃で5本連取の大逆転勝ちで、二人とも床に倒れ込んで勝利を噛みしめた。シングルスで敗れただけに、この試合に賭ける濱田兄の気持ちの伝わるゲームだった。卓球の勝負は精神的な領域で争われることが多い。微妙な気持ちの動きが運気の波を生んで、勝敗のサイコロの目を変えていく。

 2-2のタイ。私は、きょうは徳田選手は絶対に勝利する運気にあると信じていた。昨日の敗戦で沈んだ大きな運気の塊が水面を突き破って空間へ飛び出してくると思われた。それで徳田選手を応援。昨日よりも動きもよく、フォアハンドも振れていた。徳田選手の勝利は順当であり不可欠なものだった。早大にとっては残り二試合でひとつ勝つのは遠い道のりだった。磯村選手が敗れ、これが最後のリーグ戦となるキャプテン荒井選手も1ゲーム目4-8の劣勢。ここから挽回勝ちという団体戦ならではの熱気と勢いを得たキャプテン荒井が、3球目攻撃とストップという両極端な戦法をみせて、相手の読みをはずしだした。レシーブが単調になり、焦りのみえる相手選手に対して、サーブが効いている荒井選手が常にリードを保って、マッチポイントを握る。応援団も優勝の瞬間を待ちわびて、座席から腰が浮いたまま、一本一本を息をのんで見つめ、ついに来た優勝の瞬間は会場中の空気が割れ、悦ぶ学生たちの歓喜の波がコート中にあふれでた。

 創部100周年の奇跡的な優勝の瞬間だった。

 

 たかがスポーツ、されどスポーツ。

 たかが人生、されど人生。

 100周年、集まり散じて、人は変われど。感動は変わらず、心に伝わるものだ。

 学生たちに、若き汗と涙と情熱に感謝。ありがとうございます。

創部100周年、メモラブルな早稲田大学卓球部の秋季関東学生リーグ(1)

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関東学生リーグ戦は、長距離でいうなら箱根駅伝大会のような大学卓球チーム戦の真骨頂というべき大会である。早稲田大学は推薦入学者が少なく、大学トップを争うには総力戦に劣る傾向がある。近年は女子部のほうが成績がよく、男子の方は、ここのところ15シーズンも優勝から遠ざかっている。

 2024年の秋季リーグにおいても、優勝をめざすと鼓舞しながらも、総合力としては男女とも下位に沈むことも危惧されるという厳しい認識があった。

 リーグ戦の応援に参加することはこれまでほとんどなかった私だったが、シンガポールから早稲田に留学する選手の女子部への紹介を兼ねて、その選手と母親といっしょに早稲田大学の応援に代々木第2体育館にやってきた。

 男女とも4勝1敗でトップを狙える位置。女子の試合は中央大学との対戦。全勝中の中央大にエース対決で前半勝負を挑んだが、実力にまさる中央大の選手たちが落ち着いた試合運びで、1勝をあげることができず、0-4で敗退。今年の女子は専修大学と中央大学が群を抜いている感じで、それを他の大学が追う形のようだ。選手層がうすい中で、ここまで4-3ときわどい試合を勝ち抜いて4勝2敗という好成績をあげているのがすごい。

 男子は、今日の駒沢大学との対戦に勝てば優勝に王手がかかる試合。エーズの濱田兄弟がシングルスで2点をあげ、順当に勝利へと導く。ダブルスが駒沢のカットマンペアと大熱戦を繰り広げる。プロ並の壮絶なラリー戦。豪球が飛び交い、カットやロビングと技術も多彩で、観客冥利に尽きる対戦。フルゲームの末に勝ったのは早稲田の濱田・徳田ペア。見事!! しかしここからの1勝が遠い。荒井、桜井と惜敗し、3-3で徳田に勝負が託された。4ゲーム目に劣勢から逆転勝ちして5ゲームにもつれこみ、4-8から8-8と挽回するも力尽きた。徳田くんは体調を崩していてバック主体の攻撃となり、フォアのパワーが落ちていたのが残念なところ。ただ、早大、明大、専大、駒大の4チームが4勝2敗で横並びとなり、優勝の行方は最終日に持ち越された。

【SHOTIMEに湧く世界・一喜一憂しない大谷翔平選手】

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大谷翔平選手が、51HR 51盗塁、を成し遂げた。おめでとうございます!!

昨夜から今朝にかけて、日本国中そして米国中、そして世界のあちこちで、SHOHEI OTANI の名前が、その異形ともいえる偉業とともに、憧れと畏敬をこめてメディアや人々の心臓から津波のようにあふれ出ている。

 パレスチナやレバノンで起こっているイスラエルによる血生臭い虐殺・戦闘行為や長期にわたるロシアによるウクライナ侵攻、温暖化にともなう異常気象のニュース、アメリカ大統領選挙や自民党の総裁選など、世界でも日本でも人間社会の将来にかかわる重い現実や、私たちの暮らしや将来の生活環境に影響を及ぼすニュースを目にする毎日の空気や気分が、今朝はすっかりSHOTIMEに乗っ取られている。

オリンピックとパラリンピックで自国の選手がメダルを獲得するたびに、各国ごとに一喜一憂していた世界の人々が、51HR51盗塁・6安打10打点を達成したSHOHEI OTANIには諸手を上げてその人間としての快挙を、同じ人間として祝福している。Greatest of All Time(GOAT)であることの証。スポーツには時として人間社会を、人々の心の世界をかえる力がある。

さて、このような偉業を達成した大谷翔平選手は以下のように試合後のインタビューに答えている。(スポーツニッポン新聞社より引用)

大谷は試合後、MLBネットワークに出演。球宴前に同番組に出演した際にWBC優勝がキャリアでの素晴らしい日だったと答えたことを振られると「同じくらいうれしいです。自分が良かったというのもありますし、チームがポストシーズンを決められたというのは僕の夢でもあったので、そこは凄いうれしいかなと思います」と答えた。また、50盗塁を決めた際に本塁打が残り2本だったことの心境を問われると「狙っていないですね。いい打席を送りたいと思っていたので、それがホームランを打てる一番の近道ではないのかなと思っていました」と心境を吐露した。また、ベッツやフリーマンが春季キャンプの時期に大谷をポストシーズンに連れて行きたいと話していたことを伝えられると「ムーキーも怪我もあって1回離脱したりとかいろいろありましたし、そこで打順も入れ替わっていたりする。1試合、1試合今もそうですけど、お互いの打席が作用し合うようにどれが一番いい打席なのかなとコミュニケーションを取りながら、チームのベストを探している状態です」と答えた。また、メジャー通算219勝を誇る元レッドソックスのペドロ・マルティネス氏から「コモ エスタ?(元気ですか?」とスペイン語で挨拶されると、大谷は「ムイ ビエン(元気です)」とスペイン語で即答。さらにポストシーズンに向けて課している目標を問われると「節目で50―50はありましたけど、1試合1試合ここからチームとして大事なので、首位で地区優勝できるというのが一番のポイント。それが僕にとって一番大きいことではあるので、そこを目指してやりたいと思います」と話した。

大谷翔平 史上初「50―50」はWBC優勝と同等「同じくらいうれしい。ポストシーズンは僕の夢だった」 (msn.com)

 大谷翔平選手は、チームがポストシーズンを決められたこと、そこが凄くうれしいと言う。今の自分を「チームのベストを探している状態です。」と説明する。ホームランも狙って打っているわけではなく、「いい打席を送りたいと思って」「それがれがホームランを打てる一番の近道ではないのかな」という境地にあるという。50-50はチームが地区優勝する目標に向けての節目という位置づけで、「それが僕にとって一番大きいことではあるので、そこを目指してやりたいと思います。」とHR3連発も10打点も、ホームラン王や打点王についてもまったく目標として意に介していない様子。これまでもそうだったのだが、この記念すべき偉業を成し遂げた直後でも、大谷翔平の心理状態は、きわめて平静であり、すでに明日の試合に向けて、いつものように準備ができている。

ファールチップするたびにキャッチャーを気遣い、スタンディングオベーションに応えるときに相手チームを気遣う、相手への敬意と思いやりが深く根付いた彼のハートは彼を知るすべての人々の信頼と敬愛を生んでいる。

だからこそ、手放しで、子どもも親も、女性も男性も、黒人も白人も、SHOHEI OTANIを応援し、SHOHEI OTANIから感動と激励と思いやりをもらっているのだろう。

ありがとうSHOHEI OTANI for your being in the same world, and keeping the way you are !!

盛岡第四高校にて「人生開発」について講演させていただきました

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I had a big pleasure to meet with 500 students of Morioka high-school in Eastern Japan where I shared my experience in the UN and talked about how to move one’s human life forward overcoming adversities. I sincerely thank our youth to have given me lively responses and new energy to start a new year of my life. Thanks everyone my friends giving me heartfelt birthday messages. Our lives will go on.

昨日、盛岡第四高校の生徒の皆さんにお話する機会をいただきました。私の幼年時代から国連の人道支援や貧困削減などの現場の体験を1時間半近く話し続けてしまいました。卓球部の部員と練習もさせていただきました。若い世代からまた新たな元気をもらいました。君たちはどう生きるのか、について考える何らかの手助けにしてもらえればありがたいことです。

キャリア形成 元国連職員語る 盛岡の高校:写真 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

台湾の第48回 国際「自由杯」長青卓球錦標賽で団体優勝しました!!

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台北に来ています。国際「自由杯」長青卓球錦標賽というオープン大会に参加。かなりハイレベルな大会ですが、60代で、夢にも見ていなかった団体優勝できました!! 去年は3位、華原さんや徐高東さんのいるチームに敗れています。今回はそのチームに別のチームが勝ち、準決勝を3-2で勝ち、決勝進出。決勝では1番手でこれまで勝ち続けてきた私が、2-2の5-9から9-9まで挽回したのですが、力尽き、涙。万事休すかと思われたのですが、仲間が一つずつ勝利を積み重ねて優勝させてくれました。こんなに感激したのは人生の中でも、いつのことだったか覚えがないほどです。チームの勝利というのは、本当にありがたく、うれしいものです。本当にありがたい経験と思い出をいただきました。

来年は2025World Masters Gameが台湾であるとのこと、ぜひ参加したいと思います。ガンバロー!!

Gold Medal !! in the team (得和集団) event at the 2024 Taiwan International Veteran Table Tennis Open “Freedom Cup”

I came to Taipei to participate in the International Veteran Table Tennis Championship as a member of 得和集団 team. It was truly beyond our expectations that we have come to the final and got the Gold Medal for our team. I was able to lead the team winning all till the semi-final but at the final, the most crucial one, it went to the last 5th game with the opponent and I recovered from 5-9 to 9-9. Everyone was expecting my finishing the game with a big smile. Then, the goddess smiled at the other side… It was so devastating heartbreaking moment. But, my team mate made it one by one…, and finally, the team won!! I was so excited, relieved and proud of our team mate. There is true team spirit and efforts not only the players but also all colleagues and friends cheering us up. Thank you for this great heartwarming experience of life. Next year, there will be the World Masters Game in Taiwan, let’s participate and enjoy Sports beyond Age!! 非常感謝、Muchisimas gracias, Arigatou.

能登半島地震と津波の被災地の方々の無事と安全と迅速な復興を祈ります/New Year Prayer for the people affected by the Earthquale and Tsunami

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家族と正月を祝う今も、世界ではウクライナやガザでの戦争などの人災が続いています。

しかし、ここ日本でも、能登半島でマグニチュード7の地震が起こり、日本海沿岸に津波の脅威が迫っているという突然のニュースに、正月ムードが一変する事態となっています。被災者や家屋倒壊、道路の崩壊、大火事などのニュースも目に入ります。

ポジティブなことがあるとすれば、政府においても民間においても迅速な対応がみられること、被災地においても大きな混乱はなさそうだということ。東日本大震災の記憶が新しく、心に刻まれていることが如実に感じられます。ただ、交通機関や電力網などは災害にはまだ脆弱なところがあるようです。

新年にあたり、被災地のかたがたの無事と安全と早急の復興を祈願いたします。

みなさまと人災や天災に苦しんでいる人々にとって、よりレジリエントで安全で幸多き2024年となることを祈願しております!!

While we are celebrating the new year with family and friends, human disasters continue in Ukraine, Gaza and mother Earth in general. Our peace and joy were suddenly shaken by the news of M7 earthquake centered in Ishikawa prefecture located upper middle (Japan Sea side) part of Japan. There are news of human casualties, fallen houses, collapsed roads, and fires. It appears that most parts of the Japan Sea coastal area are under direct threats of Tsunami. Positive news are immediate responses and relatively calm orderly people’s reactions to this sudden shocking occurrence of natural disaster even in the middle of new year celebration. The deep sad memory of the Eastern Japan Earthquake and Tsunami is still vividly alive in our heart. 

Our new year prayer will certainly be with the people affected by this earthquake.

Wishing you and the people affected by the disasters both human and natural to have a resilient, safer and happier year 2024!!

Enlightening a corner, is a national treasure.(一隅を照らす、これすなわち国宝なり)

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Enlightening a corner, is a national treasure.

(一隅を照らす、これすなわち国宝なり)

These days, traveling is back to normal and Japan is one of the most favorite places to visit.

I just visited Kyoto, and prayed for the peace at three important temples, Enryakuji(延暦寺), Kiyomizu temple(清水寺)and East Honganji (東本願寺). It is a sort of walking through the history, magnificent wooden architecture, and a cornerstone of Japanese Buddhism. There was a big crowd of tourists at Kiyomizu. What I took back in my heart is the word of Saichou (最澄), whom I admire as a truly enlightened pioneering monk in 8th Century, “place a light at (enlighten) a corner of the world”. Are we all living in a center of the world? Maybe yes, as we can see the world only from where we stand. Maybe not, as we always admire the people who are at the center of world attention and feel no one care about me at a dimmed corner of where we are. Never mind, it is all depending on a state of our mindset. Let’s put a light at a corner of our heart and community, that brings me and you a happiness.

Welcome to Japan!!

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A watermelon, three old friends and the Great Buddha of Kamakura (西瓜と3人の協力隊の旧友と鎌倉の大仏)

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A watermelon, three old friends and the Great Buddha of Kamakura.

西瓜と3人の協力隊の旧友と鎌倉の大仏

Three friends who met in the training camp of Japan Overseas Cooperation Volunteers (JOCV) 40 years ago in 1983, met together and visited the Great Buddha today. Four decades back, Mr Kuribayashi served in Costa Rica, Mr. Ozawa served in Morocco, and I served in Peru as a ping pong coach. I believe, we have had good karma with good fate. For that, I thank you all. The Great Buddha is looking handsome as usual in front of a big watermelon.

Greetings with my wish to you all to keep healthy and happy in the truly hot summer season!!

暑中お見舞い申し上げます!

ブータン卓球連盟に卓球用具を贈りました!!

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Today, to our TT friends of the Kingdom of Bhutan , a boxful of table tennis materials donated by ping pong friends of Japan through World Table Tennis (卓球王国)was handed over to a shipping company. Those materials will be utilized under the oversight of the Bhutan Table Tennis Federation (BTTF). I have been working with BTTF since 2004. It is always a big pleasure to be part of an endeavor to increase happiness (GNH) of the youth, boys and girls, and those who, otherwise, are not having access to sports. Thanks & Be Happy!!

卓球王国を通じてたくさんの卓球用具のご支援を、海を越えた協力活動にご賛同くださった皆様からいただきました。今日は、いただきましたラバー、ラケット、ユニフォーム、ボール, シューズなど計25kgの卓球用具をダンボールに詰めて、国際宅急便でブータン王国の卓球連盟に贈りました。ブータンには卓球用具は存在せず、買える子供もいないので、貴重品です。ブータンの子どもたちが卓球競技に親しみ、大会等に参加するための大事な一助となります。またブータンを訪問して短期指導したいと思います。

本当にご協力ありがとうございます。

次はミャンマーへの支援を考えていますが、おそらく自分で持っていく方がいいかと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。