コロナ自宅療養(3)/終戦記念日とSekai no Owari
朝の7時半に、神奈川県療養サポートより、LINEの体調に関する質問を着信する。
昨日と全く同じ画面で
(1)息が苦しいですか。 (いいえ)
(2) 現在の体温を選択してください。 (36.5)
(3)現在の酸素飽和度(SPO2)を選択して下さい。 (98%)
の3つの質問に回答すると。「質問は以上です」と同じ画面がでる。これで、今日の体調報告終了。
あと明日、同じ体調報告だったら、明後日からは自由となる…のだろう。
今日は、終戦記念日。
世界でも日本でもいろんな戦いが続いている。
アフガニスタンでは、タリバンがほとんどの都市を制圧して、首都カブールに迫っているらしい。
ミャンマーでは、軍部のクーデターに対する市民の抵抗が続いている。今は、コロナの流行が止まらず、医療崩壊している。同僚もコロナで亡くなり、多くの日本人の友人たちはミャンマーから帰国する予定。
「(生物たちの)虹色の戦争」。Sekai no Owariを最近よく聴くようになった。、彼らの歌は心に染みる。
虫に歌があるなら何を叫ぶのだろう
「平和の解放」の歌を世界に響かせてるだろう
自由に耳があるなら何が聴こえるだろう
偽物の平和の歌が爆音で聴こえるだろう
コロナ自宅療養 体調報告(2)
8月14日 午後4時半に部屋のチャイムがなる。
「神奈川県庁からの届け物です」と男の声。「そこに置いて下さい」と答えるとドアの横にプラ袋を置いて立ち去った。プラ袋の中身は、パルスオキシメーターだった。「SpO2(血液中の酸素飽和度)の測定結果が、93以下になった場合は、神奈川県コロナ119番にご相談下さい。」とある。測定してみると、だいたい98か99である。「療養終了後4日間は継続して計測」「計測期間終了後は、すみやかに返却してください」とある。

午後5時40分
藤沢市役所の方から連絡がある。パルスオキシメーターが届いたかどうかの確認と今の私のSpO2の計測値が知りたいということだった。「99」です。と回答。
「体調報告は一日一回でいいのですか。(私)」
相手は電話をおいて、わざわざ確認にでかけた。「一日一回のみ、LINEの連絡がいくということです。」との回答。
「療養期間が16日までとなっていますが、16日過ぎると、何か、”終了していいですよ” とかの連絡があるのでしょうか。(私)」
「たとえば、自宅療養の期限があると思いますが。それまでに、XX様の方で熱が下がらないとか、体調がまだ優れないということがあった場合には、延長とかもあるんですが。何事もなければ、当初の16日で終了ということでそのままなると思います。」
「終了しましたという連絡があるのですか。それとも自分で終了というふうに考えるのですか(私)」
「何事もなければ、それで終了ということで大丈夫だと思います。」
この一日一回の(1)息ぐるしさ、(2)体温、(3)パルスオキシメーターの計測値、という体調報告が、自宅療養終了の要件のようだ。
今の体調でいけば、あさっての16日で自宅療養が終了する可能性が高そうだ。
LINE・神奈川県療養サポートの体調報告(1)
今日から、神奈川県療養サポートで毎日一回の体調報告を行うことになる。
登録しておいたLINEで、朝7時半に体調報告のお知らせが送られてきた。
これに気づいたときが、午前09時18分。
回答を開始すると。
(1)息が苦しいですか。という質問。(答え)いいえ。と答えると
(2)現在の体温を選択してください。という指示。体温を測って、36.3 を選択する。
(3)パルスオキシメーターはありますか。 (答え)いいえ。 保健所の人からは私のところにパルスオキシメーターが届くまで2-3日かかると言われている。
質問は以上です。 かなり、簡単な質問事項である。
何か問題があれば、コロナ119番という表示をタップしてくださいとのこと。
9時半前に回答したのだが、結局、電話があった。同じように「体調確認」される。しかし、これも途中で突然音声が途絶えてしまった。そのあと、下記のような指示がLINEであったので、再度「体調報告」と入れたら、もう一度、朝と同じ質問がでてきた。同じように答えて、終了。
この体調報告を、今日を含めて8月16日まで3日間続ければ、自宅療養が明けて、自由人となる…のだろうか。





コロナで咳やのどの痛みがあるときの薬
8月12日にリモート診察を受けて、その日の夕方に薬局から送られた薬パックは翌日の昼時に着きました。そのパッケージを紹介しておきます。症状に応じて、服用することになりますが、今のところ、葛根湯、カルボシステイン、デキストロメトルファンとブデホル吸入を服用しています。効用については、下に添付した説明書を参照してください。
ペルーの友人から、生姜湯にハチミツを入れて飲めとアドバイスされたので、生姜を吸って、ハチミツと混ぜて飲んでいます。
インドで夫婦でコロナ陽性となった友人は、ネプライザー(口や鼻に当てる薬入りの蒸気)を日に何度か使っていたといってました。私は知識がなくて、下の写真を送ってきてくれましたが、これはブデホルと同じような効果があるのでしょうね。

コロナ自宅療養の決定(self-quarantine at home)
8月13日
朝9時、ついに保健所から電話があった。昨晩6時と6時15分に電話したけど不通だったとこと。しかし、私の電話には着信記録はなかった。?? 本人確認、職業、国籍、家族構成を訊かれる。家族との接触の程度、状態などの説明。
コロナのワクチン接種について、7月27日に一回目終了。8月24日に二回目の予定。
検査に至った経緯についての説明。7月27日のワクチン接種のあとで発熱があった。その後は収まって、体調はベストではなかったが、運動は普通にできた。先週から喉が詰まる感じで咳が出始めた。検査をしようと思った理由としては、喉の奥に苦味があったり咳が定着してきたため。それは先週の金曜日(8月6日)あたり。
長いやり取りの末。8月6日を発症日とするのが適切だろうということで合意。「そうすると、療養期間は10日間なので、8月16日までを療養期間とさせていただきますが、大丈夫ですか。」「まあ症状があまり変わらないし(私)」
「変わらないですよね。あの。咳は、残っちゃうんです。一ヶ月とか2ヶ月とか。どれくらいかは人によるんですけれども。」
「あの、喉の奥に、胃が悪くなったときのような違和感があるじゃないですか。(私)」
「イガイガした感じですよね。わかります。それはたぶん残るんじゃないかと思います。」
「えっ?残っちゃうの?(私)」
「咳とか、口の中の変な感じ、あと味覚・嗅覚障がいのある方は、コロナの場合だと、戻るのに長くかかるみたいです。」
「重症化する可能性はあるんですか。(私)」
「熱とか体温は正常なんですね。そういう場合は、療養があければ、外出可能となってくると思います。症状は多少残っていても、人に感染(うつ)す可能性は低いという判断になるので。」「最終判断は県が行うんですけど。このあとで、LINEとかで登録してもらうことになります」
「PCR検査とかはしなくても?(私)」
「検査をしても、体の中には、コロナの残骸や死骸などが残っている状況なんです。それで陽性と出ることがあるんですね。ですので、急性期の症状がないと、人に感染す可能性がないという判断を国が出しています。」
「最後の3日間で、発熱やひどい頭痛、筋肉痛、倦怠感とかなければ、療養が終わるということになります。その判断は県が行うので、この電話が終わったらLINEで登録していただくことになります。」
あとの質問は、既往症、使用している薬、身長・体重など。自宅で不自由していること。そして保険証の番号。
県から無料で食事が届けられるサービスがあるとのこと。魅力的なオファーだが、3日後ぐらいから開始するということだったので、療養明けとなってからでは税金の無駄遣いになるやもしれず、遠慮することにした。
最後に、この親切な相談員の方は、保健所からの連絡が遅れたことを、侘びてくれた。私がPCR検査したセンターのクリニックからの報告も、基本的には、検査の翌日の夕方ぐらいになるとのこと。昨日午後6時に電話しようと努めたわけだから、報告受領後24時間で連絡を試みたことになる。特にこちらから相談できる担当がいるわけではなく、いろんな部署の応援者で対応しているとのこと。行政崩壊というよりも、行政逼迫という状況かな。
神奈川県療養サポートのLINE登録のむずかしさ
神奈川県療養サポートのLINE登録 では、四苦八苦した。まずスマホでは見れる指示が、コンピューターで見るLINEでは見ることができないことがわかった。おかげで最初の登録に失敗した。
再度スマホで挑戦したらうまくいった。
しかし、生年月日の提出で、カレンダーが出るのだが、2021年8月13日の表示から始まっている。ここから一ヶ月ずつ ”<” のマークを押して自分の生年月日までカレンダーをめくっていく。61年x12ヶ月+2ヶ月=734。734回押して、やっと1960年6月のカレンダーに到達して、提出ボタンを押したのだが、すでに時間切れだった。目の前が真っ暗になった。
コンピュータのLINEを見ると、自分でも数字を入れられることがわかった。こちらは、コンピュータを使って記入したら、やっとうまくいった。これって、高齢者にはとても無理なシステムじゃないか!?
コロナ陽性人間 二日目 保健所からの連絡待ち
調子は変わらない。これまで2週間以内に会った人たちには全員連絡して、みんな何の症状もでていないことを確かめた。PCR検査をしている人、二回目のワクチン接種を済ませた人もいる。濃厚接触者の基準に合う人もいないようだ。
保健所からの連絡はない。
喉の調子は変わらない。久しぶりに音楽を聴いて、歌を口ずさんでみた。かなり咳が出る。
のど用のドロップをなめたり、のどスプレーを何度も喉の奥にかけているが、状態に変化はない。
テレビを見ると、重症化したケースの話が頻繁に出て、医療崩壊を叫んでいる。
自宅療養といっても、薬さえないのでは、単に自宅待機と同じ。療養とはいえない。
12時30分、知人の医者に家族が連絡してくれて、保険証を送信する。
親切な女医さんが、電話でリモート診断をしてくれ、薬を送ってくれるという。これほどありがたいことがあろうか。「リモートの薬」は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のようにお釈迦さまの差し出した救いのようだ。でも、この救いの糸は、おそらく何百何千のCorona患者の重みには耐えきれないものなのだろう。医療逼迫…
午後5時56分。薬局から電話があった。住所の確認と、ドアの前に薬を置くが、その時に、配達人と顔を合わせることもできないという説明。明日の何時になるかはわからないとのこと。
保健所からの連絡は今日もなかった。医療崩壊の前に、行政の方に崩壊のサインが出ているようだ。
Corona Positive Man コロナ陽性人間になる
8月11日、6時半。目が覚めて、まだ喉の調子が良くないことを確認。
スマホには、ショートメールは来ていない。自分で結果確認サイトにアクセス。結果が出ていた。陰性でありますように!
『陽性』『Positive』
もう一度、見る。 『陽性』『Positive』
名前を確認する。私の名前と生年月日。確かに私だ。

そうか。Positiveか。Negativeであることを求められるこの世界で、ついにPositive側の人間になったようだ。
ミャンマーで、社会から疎外されていた、HIV-Positiveグループを結成して、彼ら・彼女らのパーフォーマンスに飛び入り参加して「乾杯」を熱唱したことや、自宅の庭でBBQパーティを開いて一緒に踊ったことを思い出す。
Corona Positiveって、どんな世界だろう。最近、当時一緒に仕事したミャンマーの国連の同僚が二人Coronaで亡くなったばかりだ。パキスタンの国連の同僚は家族でコロナに罹って、無事に完治したとFacebookで報告していた。
上のアパートにいる妻にLINEで「陽性」だったと報告。「すまない。面倒をかける。」「なにか食べたい物がある?」「お粥と味噌汁が食べたい」
9時半、説明書にあった、藤沢コロナ受診相談センターに電話。陽性だったことを伝え、今後の対応を尋ねる。若い娘さんの声はやさしく、親切だった。どの医療機関でもみられなかった、初めての温かい対応。私のように咳とかの症状があるという場合は、担当の医療機関から電話の聞き取りがあって、保健所に通知するとのこと。そのあと、保健所がその日のうちに本人に連絡してくるのだそうだ。最近は遅れることもあるとのこと。家族は住む所が違えば、本人だけが自宅療養することになる。発症あるいは検査してから10日間の自宅療養が求められ、症状がなければ、それからは普通の人になるという。「えっ?それだけでいいの?」「陰性証明とかなくてもいいんですか?」「コロナで陰性になるには、一ヶ月とか時間がかかります。」「発症してから、10日間で感染力はなくなる」という国の基準があって、それに準じた対応とのこと。確かに、紹介された、「新型コロナウイルス感染症 自宅宿泊療養のしおり」にはそのように説明されている。

9時59分、川崎検査クリニックから電話。医療従事者と思われる男性が「田中さんですか。陽性という結果が出ております」「はい、知っています」
コロナの症状について問われる。2週間前の第一回ワクチン接種のあとで発熱があったこと。先週から喉が詰まり、咳の症状が続いていることなどを説明。「この結果については、これから保健所に報告します。保健所から連絡がありますのでそれをお待ちください」
それから、ずっと、保健所の電話連絡を待っていた。が、何も連絡は来ないまま、日が暮れて、真夜中になった。
コロナ、PCR検査を受ける
8月10日、オリンピックが終わって二日目の火曜日の朝、喉の奥が詰まった感触と、時折出る咳。先週から続いている状態が変わる気配が今朝もない。
PCR検査キットを購入しようとネットで調べたが、コロナの症状がある人は購入出来ないと説明書きがついている。本末転倒じゃないか。
藤沢市のコロナ相談センターに電話する。湘南台で、コロナ関係を扱っている医療機関はある。そこはもうすぐ盆休みに入るから、予約できるかどうかはわからないとのこと。その紹介のあった湘南藤沢心臓血管クリニックに電話する。一週間ほど喉が詰まり咳が出る状態が続いていることを説明して診断を依頼。すると「一番早くて、盆休み開けの8月16日になります」「発熱がないと、医師がPCR検査を指示するかどうかわかりません。自費のPCR検査は当院では2万4千X百円となります」
家から一番近いのは、藤沢駅前PCR検査センターだ。通常5千円、当日検査だと1万円。小田急線で家から17分の距離。公共交通機関を使うのは気が引けるが。車もないし。午前10時過ぎにセンターに行き、予約できた時間は、17:15から17:30。遅れたら予約は取り消される。
17:10にセンター着。スマホで登録。コロナが疑われる症状があるかないか、という質問に「ある」と答える。名前を呼ばれて、中に入る。体温は「36.5度」。当日検査一万円と陰性証明書5千円を購入。
手渡されたコロナ検査用のキットにストローで唾液を流し込んでいく。思ったより難しい。唾液は簡単に出てこないし、ストローの中を通すより外から滴るほうが多い気がする。10分ぐらいがんばって、やっと必要量を確保。窓口に出して、PCR検査の結果の確認方法を示す説明書をもらう。
夜11時になった。連絡メールは来ない。
12時になった。連絡メールは来ない。
オンラインで直接システムにアクセスしたが、結果がまだ出ていない。
午前2時、結果はまだ出ていない。何度もアクセスしすぎて、システムから拒否される。

全日本マスターズ、東京都代表になりました。
今日は、1年で最も大事な試合である、全日本マスターズの東京都予選会が開催されました。
全日本チャンピオンを目指す目標を立てて、コロナ禍にもメゲズにほぼ毎日のように練習してきました。
その甲斐あってか、中止となった東京選手権大会の代替として、東京都に登録している選手の参加で実施された東京優勝大会の50代の部で優勝できました。
全日本マスターズは予選からの参加となり、61歳を迎えた今、ロウシックスティ(60代前半)の部に出場することにしました。本年度はコロナのために人数制限が厳しく、いつもは5人の出場枠が3人に削減されて、本当に狭き門となりました。組合せを見ると、私は第二シード、二回戦からの試合。
2回戦の森脇さんは、バックが表で、早いタイミングのバックハンドが得意。「サーブが取れなかった」と森脇さん本人も言うように、得意のロングサーブで勝った試合。
3回戦はそれまで最終ゲームまでもつれる試合を2つ勝ち抜いてきた坂さん。坂さんは、以前、関東社会人大会の決勝までいって、早稲田OBの本橋先輩に敗れたことがあり、私もずっとその試合を見ていたことがある。かなりの実力派のカットマンである。ラバーは裏裏で、フォアドライブが上手い。カット打ちは岸田道場で中学生のカットをよく打っているので、最近は得意になった。短めのサーブからのドライブ攻撃など、攻めを主体にしてツッツキも混ぜながら粘り勝つ。
4回戦は、これまでも何度も戦ったことのある前回の関東社会人大会で準優勝している野村さん。するどいツッツキから回り込みドライブスマッシュを打たれていつも苦戦している。今回も似たようなパターンにはなったが、私のロングサーブからのドライブと踏み込んでのバックプッシュが効いて比較的有利に試合を進めることができた。バックハンドの横下サーブに苦労したが、最後は払って、勝ち抜いた。
5回戦はいよいよ代表決定戦。
練習仲間である、卓楓会の荒井さんが、実力どおりのガンバリを見せて、上がってきた。荒井さんはとにかく攻撃が早い。スマッシュはもちろんだが、特に、横下(上)回転のバックハンドサーブからの思い切りの良いカミソリみたいなドライブがよく入る。ラケットに当てることすら難しい。1ゲーム目を挽回で勝ち、2ゲーム目も勝つ。ここで3ゲーム目に私の攻撃ミスが二本続き。嫌な雰囲気。8-8から私のサーブをうまく払われて8-10とされ、そのまま押し切られて初の1ゲームを失う。かなり不安がよぎったが、4ゲーム目ではロングサーブ主体で三球目攻撃するパターンを多くする。レシーブもフォアでなるべく返球して相手が三球目攻撃を簡単にできないようにする。最後、私のフォアクロスへのドライブを荒井さんがスマッシュしてネット直撃。ついに全日本の本大会への出場権を獲得することができた。
荒井さんは、3人目の出場権を賭けて、あと一試合、三位決定戦にのぞむこととなった。
ハイシックスティ(60代後半)では、シチズン時計の大先輩の石谷さんが予選通過を決めた。最近退職したばかりで、これからマスターズに参戦するそうだ。東京卓球連盟の小川敏夫会長に段位を訊かれて、私は初段と答えると、もう2段じゃないの、と言われ、段位の規約を一緒に見ると、全国大会に3回以上参加とある。マスターズは2度目だが、昔、全日本選手権と全日本社会人に出たことがあった。結局、2段昇進ということで、1万円を払うこととなった。石谷さんは、世界選手権にも出場し、全日本3位にも入賞している名選手。でも段位はわからないそうで、小川会長があとで調べてみようということとなる。なかなか面倒見のいい気さくな会長さんである。
嬉しかったのは、50代で山本春彦さんが東京代表を勝ち取ったニュース。私が帰国後始めての試合、東京選手権の予選であたって、3-2の死闘の末勝って代表になってから、仲良くなった。そのあとは勝ったり負けたり。なぜかまた、一昨年のマスターズの代表決定戦でギリギリの勝負をして、私が代表を獲得したのが今でもしっかりと記憶に残っている。優しくて人格者の山本春さんが、代表の座をついに獲得したのは、自分のことのように嬉しかった。
九十九の仲間たちもスゲー頑張ったが、流石に3人という狭い枠までは到達せず。女子で、石塚ゆりかさんが見事40代で代表となった。推薦では河島さんが私と同じローシックスティで出場される。
本戦は10月8-10日で福島県郡山市で行われる。また初心にもどって、がんばろう!




Bhutan, Lunana, A Yak in the Classroomn (ブータン 山の教室)
Today, I watched the movie from Bhutan “Lunana, A Yak in the classroom”
I lived in Bhuan for 4 years during 2004-2008 serving in the United Nations Development Programme. I did visit a various corners of mountainous terrains of Bhutan in a Toyota land-cruiser plus on my foot as most project villages are located at hours of walk from the jeepable roadside. At Lunana village, we have got an important project ““Reducing climate change induced risks and vulnerabilities from glacial lake outburst floods (GLOF)”. But, I could never visit Lunana as it was by far remotest area of Bhutan where we need to climb snow-capped mountains and walk more than a week to reach. Today, I finally saw the harsh but beautiful natural landscapes of Lunana and its people. The song and dance they enjoy with the breathtaking nature, green, white and blue, at the background sounds very familiar and my eyes were flooded with water coming out of my heart.
When I listened and learned the meaning of the song that a Yak herding lady sings to devote to all beings and souls around their world selflessly, I was struggling not to disturb others by my sobbing. It was a story of Yak and a Yak herder. Without Yak, the villagers at highland cannot survive. Sometime, they need the meat of a Yak. They gather all Yaks of village and throw a hat. A hat fall on a Yak whose life and body will be sacrificed for the whole villagers. The song was written by a herder whose Yak was sacrificed, and he sings for the soul of Yak who is probably reincarnation of someone and will be reincarnated again in the Himalaya. Therefore, the Yak in the classroom demonstrates a symbiotic relation between the nature and the human-being as well as between the real world and the spiritual world.
I think the most eye-opening parts of the movie are those with a little cute girl, Pema Zam. Her eyes are shining black, curiously-open, and eloquently storytelling. She is a symbol of love, both human and natural. Her pure and fragile heart is just like our beautiful planet in face of the climate change due to the greedy human activities.
The movie gave me an impulse TO ACT.
The village elder says, “a teacher (knowledge) can touch the future”.
Our responsibility as adults and fortunately educated is to let the children touch the future.
And we should “leave no one behind”.
The movie has brought me an idea of a new project for Lunana and Bhutan to create a network of online library that reaches the children in the remotest areas. Probably, we need a hundreds of set comprising solar panels, smart phones or tablets, an internet connection or if otherwise, a CD/memory tips of hundreds of selected books. It is doable at this era of the IT development including developing countries.
Then, I wish to visit Lunana and meet Pema Zam and every children.



