全日本クラブ選手権大会東京予選を通過

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全日本クラブ選手権大会は、卓球クラブチームの夢の球宴だ。特に年代別の選手にとっては、年に一度のチーム戦の祭典である。今年は40代がなくなり、30以上の部と50以上64歳までの部となったばかりか、参加チーム数も制限されて、東京も代表2枠を争う厳しい闘いとなった。配られた組合せは一番アタリたくないと思っていた、3年前に決定戦で逆転負けを喫した卓楓会のブロックだった。卓楓会は東京選手権50代3位の八城くんが加わって、さらに層の厚い陣容だった。一回戦の渋谷卓球クラブ戦、私とエースの河島さんと組んだダブルスは絶対勝利と思いきや、練習もせず今年初めて打つダブルスは失点が続きガタガタと崩れた。簡単に1ゲーム目を落とし、2ゲーム目を奮回するも3ゲーム目にまた蜘蛛の巣に絡まるように決め手をかくまま敗れた。2番手のサトケンさんの勝利のおかげで、シングルス3連勝で逆転勝ち。2回戦の相手は松卓会。50代の動きが良くパワーもある選手が多いようだ。ダブルスは3ゲーム目にもつれこみ、9-9から私の勝負のレシーブ・フリックが入らず、そのまま落とす。サトケンさんがまた二番手で勝ち、タイにしてくれる。私のシングルスの相手は計良さんで、私のフォアへのドライブ攻撃をいとも簡単にカウンタースマッシュする。私に勝つ相当の自信ありの空気が伝わってくる。ロングサーブからのカウンタースマッシュのパターンが主体だったので、ほとんどレシーブからドライブ攻撃して、打たれても2本、3本と返すと5分以上の展開になる。今回もシングルスで勝つ。決定戦はやはり卓楓会。ダブルスで勝たないとシングルスは不利。1-1で迎えたラストセットで調子は悪くなかったが私のサーブミスとレシーブミスもあって、またもダブルスで敗れる。万事窮す。2番手のサトケンさんも敗れて0-2。これからシングルスで3連勝するのは不可能に思われた。3台横並びで同時進行するシングルスで、まず河島さんが(アキレス腱を切って卓球復帰を果たしたばかりの)荒井さんに勝つ。私は3年前にも当たった飯田さんに1ゲーム目をラブゲームで取るも、2ゲーム目は必死にボールに食らいつく飯田さんの執念につかまって1-1とされた。絶対に勝てないと皆が思っていた椋さんが八城さんに対して1ゲーム目をジュースの連続で勝ち取った。2ゲーム目はずっとリードされた劣勢から、スマッシュを拾いまくり、椋さんが中陣からのドライブの連発で逆転し2-0の大金星をあげたのである。当然ながら私と飯田さんのラストゲームに衆目が集まる。捨て身で全部のボールを決め打ちしてくる飯田さんの勢いは、競るとまずい雰囲気ありあり。とにかくサーブ・レシーブに集中して、凡ミスを減らし、勝ち切ることができた。ダブルスで負けて、あきらめかけた全国大会への切符が、九十九チームに舞い戻った。本当にチームのみんなのおかげで手にできた久しぶりの全日本大会への東京都の代表権である。

「勝ちに不思議の勝ちあり」

大坂なおみ(Naomi)さんを応援しよう

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最近ヤンゴン日本人学校でパラリンピックについてゲスト講義をする機会があった。そのときに私が尊敬する人物について、ガンジーさんやネルソン・マンデラさんとともに、スポーツ界を変えるアスリートとして大坂なおみ(Naomi)さんについて話した(下の写真)。彼女はBlack Life matters運動を率先して行い、大会の組織委員会の妥協ばかりか、アメリカスポーツ界の政治的行為の排斥原則を変える歴史的な転換をもたらした。

今回、French OpenにおけるNaomiさんのインタビューの拒否は、単なる個人的な問題としてしか捉えられていなかったようだ。Naomiさんも、おそらく、彼女自身の個人の権利に関するものと考えていたと思う。ナダルさんや錦織さん、多数のテニス界のスター選手がコメントを求められ、

(1) Naomiさんの決断をリスペクト(尊重)する。

(2) インタビューは仕事である。

という二つのことを述べていた。その根幹には、

 今のテニス界の発展=商業価値はメディアに頼るところが大きい。

というアスリート側の現状認識があるようだ。

New York Timesによると、Naomiさんのインタビュー拒否に対して、全仏の運営者側は、

Naomiさんに、罰金1万5千ドルを課し、これ以上、拒否するなら、罰則として全仏からの不戦敗もありうる、と警告を行っている。

そして、この過剰なまでに強い警告の宣告文(ステートメント)には、フランステニス協会会長、米国テニス協会会長、オーストラリアテニス会頭、全イングランドクラブ会長(ウィンブルドンを運営)の署名があったそうだ。

つまり、テニス界の頂点を決める四大大会(グランドスラム)のトップ全員が、インタビューを拒否する選手は、四大大会から排斥すると、このあまりにも早い時点で警告を行ったのである。インタビューを拒否するNaomiさんの行動は、テニス界を根底から揺るがす許すまじき行為であり、テニス界で生きていきたくば、このような真似をしてはならないという、テニスプレーヤー全員に対する警告のつもりだったのだろう。

あまりにも明確なことは、テニス界を運営する人たちは、テニスをビジネスにしており、選手はメディアや観衆を楽しませるための商品と見なされているということである。ビジネスファーストであり、セカンドもサードもビジネス、ビジネスである。多くのプロ選手たちも、プロツアーで勝つことと、自分の商品価値を上げることを、ほぼ同義ととらえ、アスリートという名の個人事業主として、テニス界と向き合っているようだ。

Naomiさんは独特なスピード感をもって「全仏オープンからの自主的な棄権」という選択を発表した。鬱の症状に苦しんできた彼女の独白は、グランドスラムを四度も制するタフな精神力とスーパー身体能力を有する女性のイメージからは程遠い、痛々しいほどの苦しみと不安に満ちたものだった。

セレナ・ウィリアムズさんは、Naomiさんをハグしてあげたいと、記者会見で答えた。テニス界にも多様な人々がいて、それぞれにベストなやり方で、いろいろな局面に対応している。それでいいじゃないの。Naomiさんには、Naomiさんにベストな方法でガンバることを認めてあげるべきでしょう。Naomiさんのテニスの憧れの人、鬱のきっかけとなったUSオープンの決勝の対戦相手のセレナさんは、テニス界に黒人女性を認めさせたパイオニアでもある。セレナの言葉は、I have a dreamというキング牧師のスピーチのスピリットにも重なって響いた。

Mental health of an athlete matters

Naomiさんは、再び、プロスポーツの世界の常識に転換点を突きつけた。

Naomiさん、we all have heard the true voice of your heart. Please take your time, relax, refresh and recover. We all stand with you and hope to see your smile soonest.

林住期(50~74歳)は人生の黄金期?

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林住期って何だろう?

五木寛之さんの「蓮如」を読んで、御文の誕生と妻の死に面して大泣きする人間らしい情のかたまりであることをためらわない生き方に共感を覚えた。そして50歳を迎えた頃に五木さん著の「林住期」と出会った。人生50年と舞った信長の時代から太平洋戦争の頃まで、日本人の寿命は50年だった。今や、平均寿命は80歳を越え、100歳以上も珍しくはなくなった。そう、これからは人生100年時代になるのだろう。

人生を起承転結、春夏秋冬のように4つに分ける考え方が、古代インドにあったそーな。人生100年とするなら、1-24が「学生期」25-49が「家住期」50-74が「林住期」75-100が「遊行期」である。

学生期に人生の準備をして、家住期に勤務を果たし、林住期で自分のために人生を使い、遊行期で余生を楽しくすごす。家住期において、国家社会・家族などに対する責務を果たして、その後の暮らしが成り立つように頑張れば、林住期では、自分の人生の目的・夢・やりたいことを中心に生きる、いわば人生の黄金期、飛翔(ジャンプ)を可能にする、と五木さんはブッダに代わって説くのである。

34歳にして国連に入り、49歳になった私は、その頃ミャンマーにいて、14万人の命を奪ったサイクロン・ナルギスからの復興支援を行っていた。まだ、子どもが学生であり、経済的にもゆとりもなく、家住期の責務を果たしきってはいなかった。かといって、このままでは、林住期の人生を謳歌することはできない。55歳になったら、ミャンマーで孤児院をつくって、スポーツを教えてチャンピオンを育てよう。そのための準備を始めなくては。そんなことを考えていた。

鹿児島の南さつま市の津貫という過疎の村が私の故郷である。国連を早めに退職するきっかけの一つは、父の他界と母の認知症だった。息子が国連で働くことを喜んでいた両親への孝行もそろそろ形を変えていい時期にきていた。4人の子供らも大学を卒業した。私は、日本に帰国して、子供らと交代するように、大学院に入って、久しぶりに、キャンパスライフとやらをやってみた。卓球を再開し、九十九というクラブに入って、50代の試合に出場するようになった。ペルーに30年ぶりに招かれて、ナショナルチームのコーチとして、パンアメリカ大会とボリバリアーノ大会にも参加した。日本知的障がい者卓球連盟のコーチをほぼボランティアで始めて、数々の国際大会とアジア選手権や世界選手権も経験することができた。

ミャンマーの孤児院もいくつか訪問したが、結局、障がい児センターで、スポーツを導入するプロジェクトを立ち上げることとなった。

それでも、2-3年の間は、自分が有意義な人生を送っていないのではないか。また仕事を見つけて働くのが、あたりまえではないか。などという疑念が、常に頭の中をウロウロ歩き回っていた。

有言実行型をめざして一つだけ宣言したことがあった。それは「歳を取るのをやめる」である。

私は、国連という職場のなかで、常に若く、青く、軽く、見られていた。少なくともそう感じたし、そういう反応ばかりが、ネガティブに私には伝わってきた。そこで思いついたのが、髭を生やすこと。とにかく年長に見られたい。その一心だった。林住期に入った今、職場にも復帰する気がなく、自分の等身大の人生を歩むことにしたのだ。だったら、歳を取る必要もないし、取るだけ損だ。というわけで、歳については、進む針を凍結することにした。

今のところ、その成果は上がっている。ほぼなくなりかけていた前髪が少し戻ってきた。筋肉もついた。人格は、相変わらず、青二才だが、そんな大人になれないでいる自分に、平気になってきた。

林住期を楽しむ準備がやっとできたようだ。

玉手箱を開けないように。

四住期は「しじゅうき」と読みます。古代インドの社会的な規範を記した聖典「マヌ法典」により、四住期という考え方は生まれました。人生を、学生期(がくしょうき)・家住期(かじゅうき)・林住期(りんじゅうき)・遊行期(ゆぎょうき)の4つにわけて、それぞれのステージにおける規範に即した生き方をすることで、幸せな人生を送れるとされています。

ブータンのオリンピック・パラリンピック参加

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ブータン卓球連盟のダラ・コーチからブータンのオリンピック参加についての便りがあった。

ブータンの伝統スポーツはダツェと称する弓術である。オリンピック競技でも、アーチェリーに力を入れており、東京オリンピックにおいても、ブータンはこのアーチェリー競技において参加資格を獲得している。また東京オリンピックには、初めてブータンから水泳の選手が参加するという。私がブータンに赴任していた2004年から2008年の4年間、水泳をしているブータン人を目にした事はなかった。首都ティンプーにはスィミングプールと呼ばれている場所が一つだけあったが、プールが実際に使用されているところを見たことはなかった。そのブータンから水泳の選手がオリンピックに参加するというのだから、これは絶対に応援しなくては。私たちがもはや忘れてしまった参加することに意義のあるオリンピックの原点を知ることになるかな。いや、そこでは必ずやブータン新記録が生まれ、そこからブータン競泳の新しい歴史が始まるに違いない。ブータンだけではなく、世界の幸福量を増やせるといいな。

ブータン・スポーツ界にとって、もっとも喜ばしいことは、ブータンの障がい者が、アスリートとして初めてパラリンピックに参加することである。参加競技はアーチェリーと砲丸投げだそうだ。パラリンピックの近代史は、英国のストークマンデビル病院でリハビリを目的として行われた車いすアーチェリーから始まった。ブータン・アーチェリーのオリンピックとパラリンピックにおける活躍を期待したい。パラ陸上の砲丸投げの選手の誕生も初耳であり、喜ばしい出来事だ。ブータンは人口が少なく、経済的な余裕もないため、国内で実施するスポーツ種目の数を限定する風潮があったのは過去の話となったようだ。ブータンスポーツ界が、パラだけではなく、その競技種目も多様化していることを歓迎したい。

ブータンでパラ・スポーツを振興することが、国連時代を過ぎ、林住時代における私の目標である。そのスタートとして、2016年12月に日本卓球協会の代表団とともに、日本・ブータン国交樹立30周年記念のファイナルイベントとして卓球交流セミナー・日ブ交歓卓球大会をブータンの首都ティンプーで実施した。パラ卓球の代表として、畠山講史郎日本パラ卓球協会会長と立石アルファ裕一選手がメンバーとして参加してくださった。日本卓球協会からは、渡辺武弘参事と松下雄二(男子U-12監督)という壮壮たる方々が当代表団のリーダーとして来られた。シチズン時計監督の伊藤誠氏と元早大キャプテンの矢野敬之氏は私の後輩でもあり、当計画のサポーターでもあった。ブータンオリンピック委員会においても、パラリンピック部門を新設したばかりのときであり、卓球交流・セミナーも障がいのある子供たちをインクルーシブして行い、それ以来、パラ卓球の歩みがブータンでも始められている。

We celebrated 30th Anniversary of Bhutan-Japan Diplomatic Relations through table tennis. Japanese delegation included Mr Takehiro Watanabe (chief), Yuji Matsushita, Sei Ito, Takayuki Yano, and Koushiro Hatakeyama (President of Para-JTTA) and Alfa Tateishi. All are great well-known players/coaches. I served as a guide and fixer. The real mission is to promote Sport for GNH. We visited BOC, GNH Commission, the UN and rural schools It was fun, memorable and beginning of new relationships among sport lovers beyond generations, physical abilities and borders. Seasons Greetings to you all!

脱炭素技術海外展開イニシアティブ/Climate Solutions Technologies Initiatives

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外務省の国際協力局の中に、気候変動課がある。地球温暖化の問題の解決に国際協力を通じて貢献しようということで、とても大切で自然なことだと思う。私も国連時代には、地球規模課題の審議官の方とお会いしたことがあった。今回、この脱炭素技術海外展開イニシアティブを始めるにあたって、私に声がかかったのは去年のことである。パキスタンの国連開発計画(UNDP)の事務所長を務めていた2010年に、パキスタンの国土の三分の一が浸水するという大洪水が起こった。日本の資金援助をいただいて、多数の現地の環境・人道支援NGOと協力して洪水からの復興プロジェクトを計画・実施した。そのときに、支援を担当しておられた外務省・パキスタン大使館の方々が、私のことを覚えていてくれて、このイニシアティブの外部審査委員会を立ち上げるとのことで、委員に就任してもらえないかとのオファーをいただいた。

この第一回の審査委員会が、先週Zoomミーティングで、開催された。その結果を受けて、以下の当イニシアティブの日本企業への募集が始められている。この内容について関心のある方は、下記の外務省のウェブサイトにアクセスしてください。氷河湖の決壊防止、太陽光発電、バイオマス、小規模水力発電、地熱発電、太陽光発電の街灯の設置による女性や子供の安全保護など、私も温暖化対策に関わるプロジェクトの経験はあるが、日本企業とのコラボの経験はなかった。日本企業もSDGS(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会貢献・ガバナンス)投資などと本格的に取り組み始めている今、どのようなNGOとのコラボが生まれるのか、とても楽しみにしている。

外務省: 脱炭素技術海外展開イニシアティブ(日本企業の脱炭素製品の募集開始)

国連パキスタンの環境プログラム

2009~12年にかけて、国連パキスタンの環境・防災・貧困削減プログラムなどの共同議長を務めた。環境に関しては、1.ガバナンス、2.水と保健・衛生、3.自然環境の保護、4.持続可能な都市化、5.ごみ処理・グリーン産業の促進、という5分野で様々なプロジェクトを実施している。当時は、SDGsの前のMDGsの達成が国際的な目標となっていた。パキスタンは生物の多様性豊かな国である。北部のギルギット・バルチスタンを訪ねたときに見た、ナンガーパルバット(8,125m)は, Killer Mountainと呼ばれ、最も多くの登山家の命が消えた山である。威風堂々とした雪に覆われた神聖かつ荘厳な姿。この名前の由来はサンスクリット語で「裸の山」という意味である。自然環境・森林の保護と水力発電・観光との共存が課題の一つだった。南部のシンド州のインダス河の下流ではマングローブ植林、洪水対策などのプロジェクトを実施している。

藤沢卓球選手権大会 優勝

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初めて、私の住んでいる藤沢市の卓球大会に参加しました。

場所は秩父宮記念体育館 メインアリーナ。由緒ある体育館のようですね。入り口にあった紹介によると、秩父宮は昭和天皇の一歳下の弟でスポーツマンだったとのこと。当時のしきたりで軍隊でも従軍されていたそうですね。

試合は、50歳以上の部、団体戦。1-4番までシングルス戦で、2-2の場合には、両チームの代表選手同士で1ゲームの試合を行って勝敗を決着するという、Tリーグに似たやり方である。

私のチームは、私(九十九)、渡部さん(MD相模)、金田さん(AJ)、脇田さん(夢想塾)という全員違うクラブの人が集まった、練習友だち同士の雑多集団である。みんな、かなりの実力者で、予選一位通過して、決勝トーナメントの一回戦も苦戦しながらも3-0で準決勝へ。

藤クラブは、60代以上が集まったベテランチーム。楽勝かと思いきや、思わぬ粘り腰と勝負に賭ける執念の強さで2-0から挽回されて2-2に持ち込まれた。ここで代表戦で1ゲームで勝敗を決することとなる。私の相手は、なんと斎藤龍二さん、早大卓球部の大先輩である。s49卒で、私はS58 卒だから、11も年長であられる、雲の上とまではいかなくても、霞の上ぐらいの存在の方である。対戦するのは無論初めて。斎藤さんは、3番手の試合で、我がチームのエース級である渡部さんにフルゲームの4-8の劣勢から大逆転して粘りのあるプレーと強い精神力を見せていた。2-2のラストでの1ゲーム決着は初めての経験で、緊張する。試合は5-5まで接戦。それから、私がサーブから3球目を打ちまくり、若い?分だけの差を利用して逃げ切れた。技術的には全くの互角。

決勝は、常勝チームの日産追浜が出てくるかと予想された。しかし、50代の多い鶴間公園倶楽部が3-1で日産追浜に勝ち、決勝で予選に続き2度目の対戦となる。山田さんという若手?の選手と対戦し、1-2ゲーム目は接戦となり、辛くもサーブ力で逃げ切り、3ゲーム目はそのまま押し切った。結果は3-1の勝利。目標の優勝を果たせた。

クラブが違う者同士で、団体戦を戦うのも新しい発見があって、楽しい。

賞品はニッタクのシャツ。JTTAAはついていないので練習着に使おう。

コロナの影響で、こうしたスポーツ大会を運営するのも気苦労の多いところ。

運営関係者には感謝しかありませんね。

日本知的障がい者卓球連盟からの回答はコーチ罷免の再通知

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日本知的障がい者卓球連盟の山口会長名で以下の通知書が、5月21日に、我が家に届いた。

仲裁判断(JSAA-AP-2020-003/下記参照)にもかかわらず、仲裁判断の2「コーチとして任命しないという決定を取り消す」という決定をまったく無視した通知である。「指導」の処分を取り消して、そのかわり連盟のコーチとして2020年も2021年も任命しない、という理事会による私への処置となった。仲裁判断が下されたのが4月23日金曜日であるから、当連盟は土日をはさんだ3日後の4月26日月曜日という電撃の速さで、理事会を招集して、私に対する処分を決定したということになる。これは仲裁判断が日本スポーツ仲裁機構のウェブサイトに掲載された4月27日火曜日の前日である。この短い時間に、全理事に20ページに及ぶ仲裁判断が配布され、全理事がその内容を熟知する機会が実際に与えられたのだろうか?この通知書は5月20日付けとなっており、肝心の私に対して1ヶ月後に通知するような悠長なことをするのであれば、4月26日というこの仲裁判断が公開されるよりも先に理事会を開いた理由を知りたいと思うのは当然のことだろう。5月21日に届けられた下記の通知書には、まったく何の理由も説明も示されていない。あまりに一方的で重い罰的な内容である。スポーツ仲裁の判断はいったい何のためにあるのだろう。コンプライアンス委員会、日本スポーツ振興センターの第三者委員会で、暴行行為と言われ、日本スポーツ仲裁機構の最終判断でやっと全面勝訴して潔白を証明した、この苦悩の1年半は何だったのだろうか。

Ping Pong for children in Myanmar/ミャンマーの子供たちにピンポン

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2月1日の軍部のクーデターにより、アウン・サン・スー・チーさんや国政選挙で大勝したNLD(国民民主連盟)幹部は囚われの身となり、政権をミャンマー国軍に奪われている。ミャンマー市民は歴史を逆行する悪夢のような国軍の暴挙に憤り、生命を賭けて、自由と民主主義にもとづく政治と暮らしを取り戻そうと立ち上がっている。ガンジーのように平和的な運動を続けていた市民らに対して、ミャンマー国軍は銃を向け、毎日のように犠牲者が増えている事態となっている。市民の中からも、国軍と戦うための自衛組織をつくる動きがあり、長い間、最大民族であるビルマ族の支配に対抗してミャンマー国軍と闘ってきた少数民族の組織とも協力関係が生まれている。

コロナ禍に見舞われて、巣ごもり状態にあった市民がデモ行進に参加して街に出る。市民の多くは、国軍の弾圧から逃れるために、要所にバリケードを築き、家に引きこもっている。コロナどころではない状況とあって、コロナ対策も滞っている。

私が活動を続けていたAye Myittar障がい児センターは、どんな状況だろうと心配していた。センター長のHtay Lwinさんから連絡をもらい、みんな無事だということがわかった。思いがけないことに、Htay Lwinさんから、「卓球をつづけているよ」というお話があり、二人の身体障がいのある男の子が卓球を楽しんでいる動画を送ってきてくれた。軍事クーデターやコロナ禍の中で、少しでも運動を楽しんでもらえていることが、嬉しい。日常の何気ない自由で平和な運動。そんな過ごし方を大事にする気持ちが、国家のあるべき姿を問い、良い方向に向かうようなエネルギーになるといいな。

市民の願いがかなえられ、いっときも早く平和が戻ることを信じて。ピンポン。

A Judgement of the Japan Sports Arbitration Agency (JSAA)(スポーツ仲裁で全面勝訴できました)

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Finally got an Arbitration Judgement from the Panel of The Japan Sports Arbitration Agency (JSAA) that declares “Perfect Victory” of my case submitted for the arbitration on August 17 2020. http://www.jsaa.jp/award/AP-2020-003.pdf (all in Japanese)

In fact, the process has started since Nov. 2019 when rootless allegations from two of the relatives of para-TT players were made. As soon as the allegations were received, the Japan Table Tennis Federation for Intellectual Disability (FID) was quick to take me out of the coaching even a month before the first (and last) hearing held by the Federation’s Compliance Committee with helpless coach (me) in Feb., 2020. Thereafter, the ranking race for Tokyo Paralympic was completed by the end March, 2020. The Compliance committee sent me an investigation result which denied five of six allegations but one, sexual harassment, was admitted. In reality, it was the case that “I told” at the hearing, not the player, as an example of successful coaching during the practice session at Slovenian Open, May 2018. On a request from the female team, I provided a half hour coaching, during which I briefly touched her right hand and elbow, right foot and knee to show the direction. Thereafter, she won against higher-rank players and our female team reached the final. Nearly two years has past, as the player now said, she did not like it according to the committee, it was now considered as sexual harassment. My submission to prove innocence to the Compliance committee with the testimony of three witness was not considered at all and the Federation gave me a punishment of “Guidance”??. In fact, instead of giving me a guidance, a notice reached me on 23 August 2020 informing that ‘you are no longer federation’s coach”. So, I was obliged to fight at the JSAA for my innocence and to recover my dignity that was thrown into a dustbin. We know that the sportsmanship (predominantly man) and fair-play is hard to realize. But, it is good governance that is most needed for the world of sports. I am committed to continue taking steps to move toward a fair, just and happier world.

日本語の詳細については、本ブログのHappiness via Ping Pong (happy-development.com)を見てください。

日経新聞にも掲載されています。

スポーツ仲裁機構 セクハラ事案で初判断

Tokyoオリパラ2021年4月27日 19:43

東京 優勝大会 (50代)で優勝 Victory at Tokyo TT Championship

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東京選手権大会の代替として開催された東京優勝大会の男子50代の部で優勝できました。
このところコロナによってすべての大会が中止となっていたため、久しぶりの試合でした。
2018年の前回の東京選手権大会では準々決勝で逆転負けを喫して、無念の思いをかみしめました。昨年還暦を迎えたわけですが、最初に立てた目標が達成できずに残されたままでは次の段階へは進めないと、今回も50代に挑戦しました。正午あたりに始まった試合でしたが、準々決勝からはほぼ休むことなく10-15分おきに試合が立て続けに行われました。

準々決勝の斎藤さんはカットマンで一番やりづらい相手。以前マスターズ予選でセットオール9本でやっと勝ちを拾ったことがあります。今回はカットではなく回転のあるバックハンドドライブ攻撃をまったく抑えられず1ゲーム目を取られ、2ゲーム目も1-5まで勝機がない状態。とにかくループドライブで粘り切る方法に変えて波がかわり、そこからやっとの逆転勝ち。準決勝は前の本大会で敗れた森園さん。中陣、後陣から盛り返し、リードしてもどこで逆転されるかわからない。フォアへのロングサーブが効いて、こちらの打ちミスを少なくできたのが勝因かな。決勝は、三年前に0-3でストレート負けしたことのある表ソフトの名選手、野中さん。1ゲーム目は8-8からの私の三球目ドライブ攻撃を連続してカウンタースマッシュされて8-10とされ、横上サーブをオーバーミスして終わり。とにかくレシーブから押していくことを心がけ、ラリーに持っていく。フォアへ逃げるロングサーブが効くようになり、2ゲーム目からペースがこちらに向いてきて、念願の初勝利を手にすることができた。あきらめずに練習したこと、自分の卓球を信じて、一球一球を大事に打てたことが良かったかな。体力だけは人一倍ついたように思います。

コロナ禍の中で、今回は、練習できていた選手と、練習できなかった選手の差がとくに現れた大会だったように思う。コロナを制するものは、勝負を制する。オリパラもそうなのだろう。

This tournament was held at the reformed Tokyo Metropolitan Gymnasium where the Olympic/Paralympic will be held. After struggling through six consecutive games, I was fortunate to get the championship in 50’s category (I forgot that i am 60 now). It is great to be able to enjoy sport even under restricted conditions. Let’s continue our physical and spiritual activities to gain healthy mind and sound body.

https://world-tt.com/blog/news/archives/3080