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早田・張本ペアの一回戦敗退に見る新たなダブルスの世界への潮流

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あまり情報は多くないが、今回、混合ダブルスにおいて、早田・張本ペアが、北朝鮮のペアに敗れた試合は、前回の釜山で開催された世界選手権大会で、団体戦で中国がインドに2敗した試合と重なる。世界ナンバーワンの孫穎莎が、フォア表ソフト・バックアンチのA.ムケルジに敗れたのは特に衝撃的だった。王芸迪がフォア裏・バック粒高のアクラの粒高ショートに合わずに敗れ、中国をラスト勝負にまで追い込んだ。

開幕戦で、最初の試合だったことも状況が酷似している。相手はどんな卓球をするのか、予測もつかず、準備をできないままで試合に臨んだ時点で、かなりの不利な状況におかれていた。予測できていて、準備ができていれば勝てたかと言うと、おそらく、一週間もあれば、6割程度の確率で勝てたのではないか。それでも6割。世界2位のペアが敗れる確率は、まだかなり残されていたと思われる。

このような異質なラバーとの対決は、とにかく初対面では、よほどの実力差がない限り、敗れる可能性が高い。異質ラバーの選手は、攻撃力に粗さがあることが多い。異質のボールはボールが伸びず遠くまで飛ばないので、前陣でスマッシュやカウンター狙いの、ややギャンブル的な攻撃になるからである。相手の異質のボールに少しづつなれてくると、攻撃ミスを誘う粘りのプレーができるようになり、実力差があれば、接戦でも勝ち抜くことが可能になる。

自分が、カットとか守備型の選手なら、ラバーの影響を受ける確率は相当に少なくなる。下回転系のボールで返球することでミスを減らして、相手に攻撃させてからの勝負ができるからだ。そもそも守備型の選手には、異質ラバーを使う選手が多くいる。現代の卓球の潮流は、前陣攻守型の異質ラバーを使う選手が増えつつあることだ。

今後の潮流としては、ダブルスの世界が、相当に変わっていく可能性がある。前回のオリンピックで、伊藤・水谷ペアが金メダルを取ったことが、いまだに大きな話題になっている。今までは、少なくとも世界選手権では、団体とシングルスのメダルと、ダブルスのメダルでは、明らかに格差があった。世界チャンピオンといったときに、卓球ではダブルスのペアの名前を持ち出す人はいなかった。しかし、オリンピックにおいては、ダブルスの金メダルの価値が、シングルスや団体と限りなく同等、いや、おそらくまったくの同等なものとして扱われる。オリンピックを目指すことを最上位において、ダブルスに特化する選手やペアが日本や欧州でも、いや世界中で生まれてくる可能性がある。特に左の女子の異質ラバー選手は、混合ダブルスでも女子ダブルスでも、もっとも貴重な戦力になるだろう。ダブルスだと、攻撃をパートナーに任せることができるので、攻守の変化とバランスと安定感が格段に増すのである。

シングルスで強い者同士ではなく、ダブルスでもっとも相乗効果の高い、相手を翻弄できる、計算された二人の組み合わせを追求する時代に入ってきた。そういう潮流を感じさせられる試合だったと思う。

体操女子・宮田笙子への五輪辞退の強要について

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スポーツ界の異様さを示すザンネンな事例が、またオリンピックという衆目を集める舞台を使って起こってしまった。法の番人である司法制度を用いる以外に、政府の行政組織やスポーツ団体などの一般社団法人は、それぞれ内規を用いた賞罰規程などの罰則を独自に設けている。行政組織でいう行政判断や行政裁量といった行為である。さて、この行政の手続きにはいくつかの原則がある。ここで問題とすべきなのは、その中でも行政手続きの比例原則と平等原則と呼ばれるものである。その内容は以下の通り。

①比例原則

ある行政目的を達成しようとするとき、より規制の程度が軽い手段で目的を達成できるのなら、その軽い手段によるべき、という原則です。 目的と手段の均衡を要求するもの。

②平等原則

憲法14条を受ける形で、行政機関が合理的な理由なく国民を不平等に扱ってはいけないという原則。

比例原則違反:まず、当件が、比例原則に違反していることは明白だろう。未成年者の喫煙、飲酒の禁止は本人の健康を守るという目的によってつくられた法律である。この目的を果たすために「もっとも規制の程度が軽い手段」を選択しなければならないことを、比例原則は定めているのである。今回の処罰が比例原則とはまったくかけ離れている基本原則に違反する行為であることは明白である。五輪辞退というまったく本人の健康とは真逆の法の目的にも反するもっとも重い手段をとった今回のケースは、体操協会という組織のクリーンで厳格なイメージを喧伝しようというまったく見当違いの目的をもってなされたものであり、即刻、取り消されるべきものである。

平等原則違反:これまでに、スポーツ界において、喫煙・飲酒を理由に国際大会への参加を剥奪された選手がいたのであろうか。聞いたことはない。今回のケースにおいても、他のオリンピック選手の喫煙や飲酒行為に関する話ばかりで、過去に今回のような処罰を行った事例はまったくないのである。今回のケースが明らかに突出した平等原則に反する行為であることは明白である。今回の判断は、スポーツ仲裁あるいは裁判によって、覆えされるべき基本原則に反する処罰と考える。

オリンピックにはドーピングなど様々な厳しい独自の規程があると理解している。選手のオリンピックへの参加資格は、国際的な基準をもって判断すべきことがらだろう。世界人権規約においても、日本国憲法においても、選手の人権は、他の国民と平等に扱われるべきものである。日本のスポーツ界だけが突出した過度な締め付けや罰則を選手に課しているとすれば、それこそ選手にとっては封建的な、常に過度の圧迫を感じながら生きていかなければならない世界だろう。血税を使っているとか、オリンピアンだからとか、未成年に一般市民とは異なる高いモラルを求めることは高邁な理想としてはありえることかもしれないが、それをもって平等でも公正でもない過度の罰則の理由とするのは、日本スポーツ界独自の封建的な性格の現れでしかない。憲法の精神や今日の国民の求める公正さとは異なる基準にもとづく処罰と考える。



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台湾の第48回 国際「自由杯」長青卓球錦標賽で団体優勝しました!!

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台北に来ています。国際「自由杯」長青卓球錦標賽というオープン大会に参加。かなりハイレベルな大会ですが、60代で、夢にも見ていなかった団体優勝できました!! 去年は3位、華原さんや徐高東さんのいるチームに敗れています。今回はそのチームに別のチームが勝ち、準決勝を3-2で勝ち、決勝進出。決勝では1番手でこれまで勝ち続けてきた私が、2-2の5-9から9-9まで挽回したのですが、力尽き、涙。万事休すかと思われたのですが、仲間が一つずつ勝利を積み重ねて優勝させてくれました。こんなに感激したのは人生の中でも、いつのことだったか覚えがないほどです。チームの勝利というのは、本当にありがたく、うれしいものです。本当にありがたい経験と思い出をいただきました。

来年は2025World Masters Gameが台湾であるとのこと、ぜひ参加したいと思います。ガンバロー!!

Gold Medal !! in the team (得和集団) event at the 2024 Taiwan International Veteran Table Tennis Open “Freedom Cup”

I came to Taipei to participate in the International Veteran Table Tennis Championship as a member of 得和集団 team. It was truly beyond our expectations that we have come to the final and got the Gold Medal for our team. I was able to lead the team winning all till the semi-final but at the final, the most crucial one, it went to the last 5th game with the opponent and I recovered from 5-9 to 9-9. Everyone was expecting my finishing the game with a big smile. Then, the goddess smiled at the other side… It was so devastating heartbreaking moment. But, my team mate made it one by one…, and finally, the team won!! I was so excited, relieved and proud of our team mate. There is true team spirit and efforts not only the players but also all colleagues and friends cheering us up. Thank you for this great heartwarming experience of life. Next year, there will be the World Masters Game in Taiwan, let’s participate and enjoy Sports beyond Age!! 非常感謝、Muchisimas gracias, Arigatou.

Player’s Oath at the Tokyo Open 2024/東京卓球選手権大会の選手宣誓

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Player’s Oath at the Tokyo Open 2024

For the first time in my life, I was honored to deliver the Player’s Oath at the 76th Tokyo Table Tennis Championship. It took a month to decide on what I wish to deliver on each an every player’s behalf, and repeated practice to make it heard smoothly (in Japanese).

“Player’s Oath !!

We, players of table tennis,

Express heartfelt appreciation to our family, colleagues and volunteers serving for this championship for their selfless support.

We, as true lovers of sport, respect each other, applaud each other,

And with full of health and energy,

promise to promote the spirit of fair play.”

The president of Tokyo TT Association was nodding with smile during my oath,

I was glad and relieved to hear positive reflection from volunteers, friends and the audience.

It was wonderful experience in sport beyond the game. Thank You!

東京卓球選手権大会の選手宣誓

宣誓、わたしたち選手一同は

日頃よりサポートいただいている家族、仲間、大会運営の 方々に感謝し、

卓球を愛する者同士、お互いを尊重し、讃え合い、

元気いっぱい、フェアプレーすることを誓います。

一ヶ月ほど、心の伝わる、わかりやすい宣誓の言葉を思案しました。どもらずに宣誓できるよう前日からはお経のように何度も唱え続けました。

大会会長や関係者の方々、友人や聴衆の方々からもとても良かったと有り難いお言葉をいただきました。おそらく一生に一度ですね。試合を越えた素晴らしい体験を積ませていただきました。ありがとうございます。

全関東社会人大会、準優勝でした

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2月11日に全関東社会人大会の個人戦(ローシックスティ)に参加しました。

かなり練習は積んできました。決勝戦までとどいたことは、それなりに評価できると思います。

3回戦のカットの横山さんに1ゲームを先取され、3ゲーム目も5-7とリードされる展開からの逆転勝ち。3ゲーム試合は、精神的にかなり緊迫するもので、とにかく冷や汗をかくものですね。

準決勝で表攻撃の吉村さんと久々に対戦しました。2ゲーム目を9-6から逆転で取られて、0-2となり、精神的にかなり落ち込みました。4ゲーム目で3-7というスコアまで追い詰められたときは、相手の気迫に踏み潰されそうになったゴキブリにでもなった気分でした。表ソフトの選手では、去年の東京選手権大会で上海の呉選手に決勝戦で敗れています。その呉選手に、今年は負けていられらい、と自分に言い聞かせて練習してきたことを思い出しました。いまここで躓くわけにはいかないと、自分を奮い立たせる、にはどうしたらいいのか。そこで相手が呉選手だと思うことで、それまで受け身だった自分から、チャレンジャーとして積極的にプレーする気持ちが生まれてきました。そこからシーソーゲームを続けながらも逆転。ラストの5ゲーム目は、出足からリードして、それまでうまく出せなかったバックストレート(相手のフォア側)へのサービスエースもありました。リズムが崩れた吉村選手にロビングでも粘り得点につなげてやっとのことで決勝進出を決めました。

決勝は、以前大阪オープンの準決勝で対戦して1-3で敗れている華原選手です。華原選手は準々決勝で名選手の坂本さんに3-2で勝利しての決勝進出。昨年の東京選手権の50代で準優勝、大阪オープンの50代で優勝しており、60代では最強の実力者といえるでしょう。わたしは胸を借りる心構えでのぞみました。積極的な攻めに徹し、様子見のプレーだった華原さんを序盤からリードして1ゲームを先取。2ゲーム目は9-9からこちらにバックの打ち合いミスが出て取られる。3ゲーム目は中陣でも後陣でも回転のかかった重いボールでミスなく返球する華原さんを打ちあぐねて敗れる。4ゲーム目はとにかく3球目、4球目から回りこんで強打を重ねリード。9-8でカウンタースマッシュが決まったと思った瞬間、ラケットの角にあたって宙に高く浮いたボールがエッジとなり9-9とされる。サーブからの3球目を狙ったのだが、うまくフォア側にレシーブを外されてラリーに持ち込まれて失点。最後はフォア前サーブからバックをついたボールをバックハンドで打たれ、ネットをかすったボールを返球できずに試合終了となった。

ベンチコーチしてくれた松島くんが、よくやった、いい試合だったよ、と声をかけてくれる。今回3位だった山本(春)くんからの、田中さんのプレーを見ていい勉強になりました、という言葉がとてもありがたかった。

関東社会人では2度めの準優勝。かなりギリギリの試合を乗り越えて臨んだ決勝戦だったが、実力で及ばなかったという実感がのこる。自分の卓球の現状に対する、どこにも持っていきようのない(自分のことだから当たり前のことではあるが)やるせなさを感じる。3月の東京選手権までに、もっと這いずって、すこしでも前に進めるといいな。

(試合結果と華原さんとのツーショット)

「タイ王国ろうあスポーツ協会」に卓球用具を寄贈いたしました

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Sport for Happiness with the Deaf Sports Association of Thailand (DSAT)

I am currently in Bangkok as our team participated in 14th Asian (Pacific) Veteran Table Tennis Championship. While the result of the games was not as expected, today, I was able to attend personally the hand-over event of table tennis materials to the Deaf Sports Association of Thailand. Those table tennis materials were donated by many Japanese TT friends through “World of Table Tennis (takkyu oukoku 卓球王国)“ of Japan. We are to start a collaborated project to help children with hearing impairment access sporting (table tennis) opportunities in special schools. I was also able to provide some table tennis lessons to children with hearing impairment today. Wish every child with or without disabilities and DSAT to enjoy happy holdays!!

卓球王国を通じて日本の皆さまから頂いた卓球用具(添付のリスト参照)を、タイ王国ろうあスポーツ協会に寄贈いたしました。本当にろうあの子供たちや関係者の方々に喜んでいただき、うれしい限りです。デフリンピックでタイを代表する選手たちとも今日、練習やコーチングをする機会をいただきました。寄贈した卓球用具は主としてタイ王国の各ろうあ学校において、卓球クラスを開き、卓球を知ってもらうための一助として活用することになります。今後も、年に1-2回は訪問して、協力活動を行いたいと思っており、逐次、進展をご報告いたしたいと思います。皆さま、よい年末年始をお迎えください。

全日本卓球選手権大会マスターズの部(ロー60)三連覇を達成!! / Achieved Three Consecutive Victories at the All Japan Table Tennis Championship Masters (low sixties)

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【卓球】全日本マスターズ、男子ローシックスティ〜ハイセブンティの結果。田中敏裕が3連覇、坂本憲一は19回目V – 卓球王国 (world-tt.com)

今年の全日本マスターズは「三連覇します!」と公言して鍛錬に励んできました。初優勝のときから「優勝します」と言い続けてやってきたので、「有言実行だね」と言われています。昔は「沈黙は金なり」という格言が幅を利かせていました。国連とかに勤めていると「有言不実行」なことのほうがこの世では当たり前だということに気づかされます。いまでは「フェイク(虚言)」ですら効果的に世間を動かすことができるという現実を目の当たりにしています。真摯に心に強く思い、それを全力で目指すということを明確にして、歩を進めることの大切さを感じます。なぜなら、その思いに共鳴してくれる周囲の人が生まれ、実際に手を伸ばしてくれるということが起こるのです。自分一人の言葉・目標ではなくなり、沢山の人々と三連覇への思いがつながる。これは私の小さな人生や生活空間にとって革命的な変化をもたらす原動力になります。だから、言霊、言葉が伝えもたらすパワーをしっかりとマネージすることは、人の間に生きる私たちのもっとも大切な能力の一つなのだと思います。

さて、三連覇しました。今回は浅草のホテルにチームメートと泊まり、毎朝浅草寺にお詣りしました。学生時代からの同僚の高田淳くんが、これまでと同様に大会中の調整とベンチコーチについてくれました。最初の試合の二回戦の山田昭仁選手との試合が序盤の山場で、1ゲーム目を出足から連続スマッシュで奪われ、初戦敗退の色が濃厚に感じられました。2ゲーム目からは1本1本に集中して、サーブで自分のポイントを確保し、レシーブではとにかく我慢のラリーに持ち込み粘り切ること。ジュースで2・3ゲームが取れたことが大きく、4ゲーム目は攻撃が息切れしてきた山田選手を押し切ることができました。会場中が注目する一戦でした。多球練習を積み重ねていたことがブロックの強化に繋がったと思います。3回戦の小林哲也選手は右ペンの裏面ドライブを使う選手ですが、比較的ボールが私と合いやすくラリーで優位に立てて勝つことができました。ランク決定はいつも練習している橘川さんが上がってくるかと思っていましたが、北海道の右ペンドラの佐々木選手との対戦。七色の変化球をあげてくる佐々木さんにふわ~と対応して、決め球をしっかり打って勝つことができました。

準々決勝は大阪ではチームメートの川口健治選手。裏アンチのレシーブとコースが分かりづらいドライブで撹乱されて2・3ゲームをジュースで落とすという予想外に苦しい展開となり、とにかく先に打つことを心がけて4・5ゲームを挽回勝ち。準決勝の田邊直己選手は初めて対戦するカットマン。とにかくフォアドライブが上手い。しっかりドライブしてスマッシュで決めるパターンとドライブを打たせてラリーで勝つパターンを作れて勝利。決勝戦は巷の予想通り、千葉の佐藤計選手との対戦となる。1ゲーム目からバックハンドがよく入り、こちらの攻撃もカウンタードライブする佐藤選手に圧倒される。高田くんに「打点を高く。身を削らないと、卓球の神様はお前に振り向いてはくれないぞ」と叱咤され、必死の思いで打つうちに2・3ゲームはこちらの連続攻撃に、すでに疲労が見えた佐藤くんにミスが出て、有利な展開となった。最終ゲームでもレシーブから打ち続け、押し切ることができた。

三連覇を目指して多くの方々にご面倒をかけて練習してきました。私の家族、九十九クラブの園田監督、河島先輩はじめチームのみなさん、岸田卓球道場、相模原の練習仲間たち(松島くん、橘川さん)、もうすぐ栄光ある伝統の幕を閉じる東京富士大学の西村監督と卓球部の皆さんには幾度となく鍛えていただきました。ホントに感謝してもしきれません。同期の西田くん、立花くん、川口くんにも練習試合などお世話になりました。

みなさん、ホントに、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

A great achievement!! It was beyond my dream that I got the championship of All Japan TT Masters (60~64 ys category) for the three consecutive years. This year, I was struggling with my body conditions (had kidney stones, back aching and knee aching). A new realization of life is that I need to take good care of my body and avoid overworks. So, I start to focus on quality and not much on quantity in my practice. It appears paid-off. This year I made a statement to my TT friends that “I will get the three consecutive victories at the All Japan masters (veteran) championship following the gold in 2021 and 2022”. The news of my Peruvian TT colleagues, Eliana, Magali and Milagrito, becoming champions at the Pan-American Veteran Championship was also a big encouragement (Congratulations!!). Let’s enjoy sport for friendship, happiness and life.

2023alljapan-masters231202-m60-final.pdf (amazonaws.com)

パラリンピアンの加藤くんと私と卓球を始めた飯島くん(親子)との嬉しい再会と対戦 (Reunion with a Paralympian, Kato-kun, and my table tennis student, Iijima-kun and his father at Nissan Cup team tournament)

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昨日、座間市の日産カップ卓球大会(2部)でチーム優勝しました。

予選の第一試合が、驚いたことに、私がパラ世界選手権などでコーチしていた加藤くんと私と卓球を始めた飯島くん(親子)のいるチームとの対戦。加藤くんに憧れていた飯島くんが親子で加藤くんと一緒のチームで出場しているという微笑ましくも感極まる出来事でした。その初戦がコーチだった私のチームとの対戦という冗談でもなかなかない奇遇で、結果は生徒チームの勝利!! 加藤くん、飯島くんとお父さん、角井くん(私に3-2で逆転勝ち)、感動をありがとう。 

そのあと予選二位通過だった私のチームは、なんと私がエース対決で全勝し、ダブルスも全勝で、2部で優勝できました。とにかく若者ばかりで、60代の私たちとはボールのスピードがちがって、元気なラリーを楽しむことができました。もうすぐマスターズ、ガンバります!!

Yesterday, we participated in Nissan Cup team tournament in Zama-city. To my pleasant surprise, I encountered with a team of a Paralympian, Kato-kun, with whom I participated numerous international TT championship as the coach and Iijima-kun who started learning ping pong at my Enjoy TT class three years ago. Since then, Iijima-kun’s has been a big fan of Kato-kun as his hero. This time, Iijima-kun with his father joined his hero, Kato-kun’s team and played together. It was in fact beyond my imagination. The first game was (un)fortunately battled between their team and my team. My team lost to Kato-kun and Iijima-kun’s team. Waooo… It was so great to see how much they have grown not only as player but also as human. Our team still classified to the final tournament and surprisingly we won the championship!! Our team was by far older veteran team with double or triple age difference, and it is always fan to play ping pong together with young generation.

ペルーJICA海外協力隊派遣40周年OVインタビュー その3/ Entrevista conmemorando el 40 aniversario del JOCV: Sr. Toshihiro TANAKA (III)

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3.当時の隊員の経験が今現在の自分に与えている影響はなんですか(帰国後の進路に与えた影響、仕事や生活をする上での変化、物事への考え方や価値観など)

大学時代は新聞記者になろうと思っていた。面接で目標の新聞社に落ちて、海外で生活したいと思い協力隊を考えた時は、実は難民キャンプで働こうと思っていた。大学一年の頃はカンボジア難民を救う会で活動した時期もあった。実業団入りを断って卓球と違う道を歩もうとしていた私が、協力隊に参加する道は、結局卓球隊員になることだった。ペルーでナショナルチームを引率するようになり、メディアの人々とも接する機会が増えた。いつしか取材する側よりも取材される側になりたいと思うようになっていた。日本に帰国した途端にただの人になった。国際協力を続けたかったが、スポーツ分野では可能性が閉ざされていた。私は企業を退社し、協力隊調整員としてドミニカ共和国に赴任した。その後、アメリカ留学して修士課程を修了し、幸運にも国連開発計画(UNDP)に合格することができた。ペルーの仲間に卓球していればいつか再会できると約束した私は、休みを利用して卓球活動は続けていた。パキスタンでは平和復興のためのスポーツの祭典事業を実施した。国連を早期退職した私に、ペルーの元選手たちからナショナルチーム強化のための改革を依頼されて32年ぶりにコーチとして迎えられた。日本の知的障がいパラ卓球のコーチをしていたので3か月間だけだったが、立派になった選手たちとの再会は本当に感動的だった。南米チャンピオンだったモニカ・リヤウさんは、「Impactando Vida」という卓球普及プログラムを全国100校以上で展開する女性企業家として注目されている。「目標を定めて努力することが当たり前になった」ことが私から学んだ成功の秘訣だとある貧しかった選手から伝えられた。私はこれから障がい者スポーツと生涯卓球と幸福をテーマに白球を追って途上国に行きたいと考えている。

Foto 3. Agosto de 2011. “Spirit of SWAT en Pakistan
Please see the link here https://happy-development.com/spirit-of-swat-2/

3. ¿De qué manera influyó o influye actualmente en usted la experiencia como voluntario JICA en el Perú?

Cuando estaba en la universidad, pensaba convertirme en periodista. Pero cuando no pasé la entrevista de trabajo en el diario Asahi, quise trabajar en los países en vías de desarrollo y por eso pensé postular a los Voluntarios, con la idea de trabajar en un campamento de refugiados. Durante mi primer año en la universidad participé en grupos que ayudaban a refugiados de Camboya. Al final me convertí en Voluntario en tenis de mesa. En el Perú comencé a conducir el equipo nacional y aumentaron las ocasiones de tomar contacto con las personas de los medios de comunicación. En cierto momento, empecé a sentir que antes que hacer las entrevistas, me gustaría más estar del lado de los que son entrevistados. Regresando a Japón, instantáneamente volví a ser una persona más del común. Quería seguir en la Cooperación Internacional, pero las posibilidades en el campo del deporte eran nulas. Me retiré de la empresa Citizen y fui destacado a República Dominicana como Coordinador de Voluntarios. Posteriormente, estudié en Estados Unidos y obtuve mi post grado y por suerte aprobé el ingreso al Programa de las Naciones Unidas para el Desarrollo (PNUD). Yo había prometido a mis compañeros de Perú que, si seguíamos practicando el tenis de mesa, algún día nos reencontraríamos, por eso en mis días de descanso continué con las actividades de este deporte. Por ejemplo, en Paquistán, hicimos un proyecto deportivo para la pacificación. En Bután, formé el equipo nacional de tenis de mesa y dirigí el equipo butanés en los juegos del Sur de Asia. Luego de retirarme de las Naciones Unidas, recibí el llamado de los ex jugadores de Perú que me pedían realizar una reforma para fortalecer la selección nacional, y es así como 32 años después, regresé como entrenador. Como en Japón me encontraba dirigiendo el equipo nacional de paratenis de mesa con discapacidad intelectual, sólo pude ir por tres meses, pero el reencuentro con los ex deportistas ahora ya adultos, fue realmente emotivo. La ex campeona sudamericana Mónica Liyau se había convertido en una empresaria que concita la atención por el programa de difusión del tenis de mesa llamado “Impactando Vidas”, desarrollado en más de cien colegios del país.

Hace un tiempo, un jugador de origen humilde me dijo “‘Fijar un objetivo y esforzarme para alcanzarlo, se me ha vuelto natural’, ése es el secreto del éxito que aprendí de usted”. Pienso continuar dedicándome al deporte para personas con discapacidad, al tenis de mesa de por vida y a la felicidad, como temas y deseo seguir yendo a los países en desarrollo, siempre en pos de la blanca pelotita.

ペルーJICA海外協力隊派遣40周年OVインタビュー その2/ Entrevista conmemorando el 40 aniversario del JOCV: Sr. Toshihiro TANAKA (II)

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2.活動について教えてください(どこの配属先で誰と何を目標に活動してきたか。思い出に残っている活動、成功例、失敗例など)

ペルー卓球連盟に配属された私は、当時日系人として初めて連盟のトップとなった元名選手のグラディス森山会長の卓球普及の公約を実現するために、国立の小中学校で卓球を体育の選択授業として導入する活動を行っていた。ナショナルチームには世界チャンピオンを育てた経歴を持つ3人の中国人コーチがいて、私は地方や学校での普及活動だけでいいということだった。人生で初めて卓球してさえいればいいという環境にあって、私は自主的に平日の夕方と週末はナショナルチームのメンバーの練習相手をし、平日の夕方の練習後はペルー人コーチと夜間練習をするのが日課となった。明らかにペルーで最も練習量が多く、ペルー選手に負けることのない私は、兄貴的なコーチとしてペルー選手や卓球関係者の信頼を得るようになった。初めての南米ジュニア選手権で、元日本代表選手の古川監督の率いるブラジルに団体戦で完敗した。一度は折れた心を奮い立たせ、個人戦に入って、女子ジュニアでモニカがブラジル選手を破って優勝し、ダブルスでも準優勝、インファンティール部門でエリアナが個人と混合ダブルスで優勝して二冠を果たせたのがコーチとして一番思い出に残っている。全米オープンではクラブ選手権で私もペルーチームの一員としてプレーしてチーム優勝し、私が憧れていた当時の世界チャンピオンの江加良選手と戦って1セットを奮取することができたのが私の卓球人生の一番の思い出となっている。

Foto 2. Octubre de 1985, Campeonato Juvenil Sudamericano
La selección peruana parte a Argentina, para el Campeonato Sudamericano Juvenil de Tenis de Mesa. (En la fila posterior, de derecha a izquierda, el Sr. Moreno, presidente de la Federación y yo). Los resultados fueron muy satisfactorios: el equipo Sub-18 obtuvo dos medallas de oro y una de plata, el Sub-15 una de oro y una de bronce y el Sub-12 dos de plata y una de bronce. (1985年10月:南米ジュニア卓球大会ペルー選手団がアルゼンチンに向けて出発するときの写真。結果は18歳以下で金2個、銀1個、15歳以下で金1個、銅1個、12歳以下で銀1個、銅1個で、1983年のブラジル大会につづき、好成績だった。)

2. Cuéntenos sobre las actividades realizadas

Al ser destacado a la Federación Peruana de Tenis de Mesa, realicé actividades para introducir el tenis de mesa como clase optativa de Educación Física en los colegios nacionales de primaria y secundaria, buscando difundir este deporte y ayudar a cumplir la promesa pública que hizo la primera nikkei que fue presidenta de la Federación, la ex campeona sudamericana Gladys Moriyama. El equipo nacional contaba con tres entrenadores chinos que llevaban en su currículo el haber formado a campeones mundiales, por lo tanto, me encargaron la difusión del deporte limitándome a las escuelas y al interior del país. Por primera vez en mi vida, estaba en un entorno donde podía dedicarme al tenis de mesa y nada más. Por iniciativa propia, empecé a acompañar los entrenamientos del equipo nacional los días de semana al atardecer y los fines de semana. Después del entrenamiento vespertino diario, practicaba también en la noche con el entrenador peruano Sr. Vega y eso se convirtió en mi rutina diaria. Claramente era la persona que entrenaba más horas en el Perú, más que los propios jugadores, y así fue como empecé a gozar de la confianza de todos los involucrados y de los jugadores, para quienes era como un entrenador tipo hermano mayor. En mi primer Campeonato Sudamericano Juvenil, fuimos derrotados por equipos ante la selección de Brasil, dirigido por el Sr. Furukawa, ex entrenador de la selección japonesa. Después de recuperarnos del golpe anímico, comenzó la fase de individuales, donde Mónica Liyau venció a la representante brasileña en la categoría juvenil mujeres, logrando el campeonato y también el subcampeonato en dobles con Magali Montes. Mientras que, en infantiles, Eliana Gonzáles del Riego venció en individuales y dobles mixtos, y Mario González consiguió el oro en individuales infantiles, venciendo a los jugadores de Chile y Brasil, logros que se volvieron imborrables para mí como entrenador. En la categoría de equipos de los Clubes del US Open, participé como miembro del equipo peruano con Walter Nathan, y ganamos contra equipos de Suecia, Estados Unidos y Canadá, logrando el primer lugar. En especial, uno de los mejores recuerdos de mi vida en el tenis de mesa, fue que jugué contra el campeón mundial de ese entonces, Jian Jiangliang, y logré ganarle un set.