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東京卓球選手権大会、上海からの友人、呉四海さんが優勝、私は準優勝でした。

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東京卓球選手権大会、上海からの友人、呉四海さんが優勝、私は準優勝でした。

Silver at the Tokyo Table Tennis Open Tournament

It was four years back I won the game with Mr Wu (呉四海) from Shanghai, China in this tournament, then lost. We promised to play at the final in the next tournament. After four years (we become 60’s), today, due to Covid, we finally played at the final of Tokyo Open. This time, Mr Wu won the championship by 3-2. It was hard to reach the final, and the final was even tougher. At the end, we all won the friendship. Isn’t it NICE!?

4年前の東京選手権大会のときに4回戦で呉四海さんと対戦して大熱戦で勝ちました。私は優勝を目指していたのですがベスト8止まり。呉さんと、次の大会では決勝で会おうと約束しました。コロナ禍で久々の東京選手権、60代になった二人は再会して、決勝で会う約束を果たしました。今回は、裏面にイボ高を貼り、多彩な裏面サーブとイボ高と表ラバーをくるくる回して前陣速攻する呉四海さんの戦法に合わせきれず、3-2で呉四海さんが優勝。おかげで上海卓球協会の副会長という呉さんに上海に招待されました。卓球が結ぶ友情に国境はないですね。

みなさん、応援ありがとうございました。これからも精進いたします。

卓球王国で私のインタビューを掲載していただきました。【マスターズ王者・田中敏裕は元国連職員。「マスターズ優勝は自分の人生のジャンプ台」】

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2月21日発売の「卓球王国 4月号」に私のインタビュー記事が掲載されました。Another Storyということで、めずらしく4頁にわたる卓球の技術ではない人生航路の話になっています。卓球王国を始めた発行人である今野さんと、これまでの卓球や人生談義でもりあがって、卓球と国際協力への思いを、熱くまとめていただきました。卓球のメジャーな雑誌に登場させていただくのは、人生の中でも初めてのことで、身に余る光栄です。みなさまのご声援やご協力に感謝いたします。唯一の卓球雑誌である「卓球王国」の今月号をご購読いただけるとありがたいと思います。

2月21日はブータン5代国王の誕生日で、ブータンやチベットの新年Losarでもあります。幸福量が一気に増大する日ですね。

みなさん、ハッピーな新年をおすごしください!!

On the happy birthday of Bhutan’s 5th King, 21 Feb, Japan’s popular magazine “World Table Tennis (卓球王国)” published my interview article in their 4/2023 edition. The 4 pages’ article is a recognition of my consecutive championships in the All Japan Masters, and is a big encouragement for continuing my ping pong life for increased happiness in our society. I thank Mr. Imano (今野) the editor and my friends for your always cheering me up.

& Happy Losar, the year of Water Rabbit, to the people of Bhutan.

マスターズ王者・田中敏裕は元国連職員。「マスターズ優勝は自分の人生のジャンプ台」

https://world-tt.com/blog/news/archives/69713

Thailand Open Masters Games 久しぶりの国際卓球交流・タイオープンマスターズ初参加・初優勝

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Wonderful friendship and championships at the Thailand Open Masters Games!! スポーツを通した国際交流はいいですね!!

“We are the champions” in the team event of men 60’s, and I also got the gold medal in the men’s singles in the same category. At the final match of the team event, I was the last player losing by 0-2 games. People in the hall was excited and cheering up the Thai player who was about to defeat a Japanese opponent. It was a matter of a pure luck that a tide of the game changed. My coming back to get 3 consecutive games brought a champion trophy of men’s team event to Japan team. There is a short movie of the game and prize award ceremony of our game below (in the middle of the movie at aroung 5:00 min)

Similarly, the goddess of victory kissed my racket in the thrilling games of 3-2 with Hong Kong player and the final with our team mate, Tachibana, in the men’s singles.

With or without a trophy, it was a wonderful moment of life that has brought instantaneous and natural friendships among players from different corners of Asia including Thai, Hong Kong, Myanmar, India, Nepal, Pakistan, Korea, China and Japan.

I would like to express our heartfelt thanks to our Thai friends, particularly, Van-san and Charlie san, as well as the organizers of Thai TT Association for their love to sports and extraordinary hospitality. Last but not least, my sincere appreciation goes to Kahara (華原)san for leading us, and Nishida (西田) and Tachibana(立花)kun for their great company. We all are looking forward to the next gathering of table tennis friends without border.

2022年全日本マスターズ(ローシックスティ)の部、二連覇成る!!

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今年の全日本マスターズは、昨年のチャンピオンということで第1シードで参戦。身に余る光栄だ。FIでいうところのポールポジション。しかし組み合わせがよくなるというわけでもない。ぶち込みでかなりの強豪選手と最初からぶちあたる。

初日は、2回戦と3回戦を勝ち残れば良い。2回戦の相手は、地元岡山の渡辺均選手。右ペンドラで裏面ドライブも使うマスターズでもベスト4に入ったことのある強者。コロナで地元応援団がいないのが救いか。手の内がわからないうちに、ロングサーブから撃ちまくる展開で、1ゲーム目を先取。2ゲーム目は、裏面ドライブ攻撃をされてボールに合わず、こちらが慌てる。フォア前サーブと長いサーブのコンビネーションで切り抜ける。3ゲーム目、大きなラリーでバック裏面のカウンタードライブで逆襲されたり、見どころ豊富な展開。なんとか勝ちきった。

3回戦は6段の栗原万実選手、右ペン表。好々爺の雰囲気で実はすごいファイトマン。私のドライブをすべて前陣で封じ、1ゲーム目を簡単に落とす、真っ青な出足。2ゲーム目はフォアへのロングサーブを混ぜて、相手を動かして崩す。3ゲーム目は栗原選手の3球目攻撃やブロックが冴えて大接戦、これを取ったのが、勝負の分かれ目だった。

階段落ちの足腰の痛み。練習などのやりすぎか、、、右腕の痛みとしびれが続いていて、攻撃したボールに伸びがない状況。夕食は、同期の西田くん、立花くん、平山くん、大阪のチーム仲間らと会食。体調を整えるため早めにホテルで休む。

二日目の最終日、朝7時から西田くんの車で、立花くんの練習場まで連れて行ってもらい、30分ほどいっしょに汗を流す。3人ともランク決定の試合が午前9時から始まる。

私の対戦相手は、茨城の河本雅史選手。右ペンイボ高で裏面に裏ソフトを貼り、裏面ドライブする器用な戦型。1ゲーム目、ロングサーブをフォアでもバックでもうまくいなされて、そのナックルボールを攻撃しようとしても入らない。あれよあれよ、打っても入らないまま1ゲーム目を失う。ベンチコーチの高田くんも、「お前はどうしたい?」とアドバイスにすら困る危機的状況。とにかく必死で返球し、攻撃を入れるしかない。ボールが走らず、かなりブロックされ、しかも裏面ドライブを何度も打たれて、ゆるいながらも目まぐるしい展開。ガマンで拾って、勝ちを拾う。精神的なプレッシャーと、ボールを拾う身体的な労力と、忍耐の泥沼から這い上がって、まずはベスト8のランキング獲得を果たす。

準々決勝は、お馴染みの顔、東京の河合秀二選手。右ペンドライブ・前陣攻守の技巧派。同じ東京でも初めての対戦。1ゲーム目はサーブからの攻撃がうまくいって先取。しかし、上から横切りするようなバックプッシュと早い切れたツッツキ、そしてクロスへの落差の大きドライブで、2ゲーム目を取られる。3ゲーム目の接戦が山。9-9からレシーブをバックプッシュして連取。4ゲーム目は8-10からの挽回勝ち。フォアにふられたボールに対して、右腕がうまく振れなくてドライブ攻撃が決められず、際どい勝負となった。

準決勝は、熊本の堀川好実選手。右シェーク裏裏の本格的な両ハンド攻撃型。バック技術が多彩で、バックバックで押されるのはこれが初めて。フォアドライブも勢いがある。背が高く、とにかくフォアへの飛びつくカバー(守備)範囲が広い。10-8のリードで勝ち切るはずだったが、うまくドライブをブロックされて10-10とされて、逆転負け。これが契機となって、どんどん打たれて、2ゲーム目も落とす、もうあとがない最悪の展開。バックハンドドライブもうまくて、攻撃する場所もサーブする場所もない。「ミドルを狙え」という高田くんの指示。サーブを短く出すとこれは丁寧に返されて攻撃につなげられる。リードしかけるのだが、エッジやネットボールで追いつかれる精神的にタフな展開。結局8-10となり、相手のサーブ。ここでタイムを取る。「どうしようか」「あと一本で終わりか」「まだあきらめるな」「思い切っていくしかない」さっき、私が空振りしたバックへのロングサーブに狙いを定める。よし、ズッコーン。きれいにバッククロスへの強ドライブでレシーブエース、9-10。次も思い切るぞ。バックのサイドを切る横下ロングサーブがくる、いいサーブだが、これは、横切りプッシュしかない。ミドルに突き刺さり、レシーブが決まる、10-10。サーブはフォア前で三球目ドライブが決まる、11-10。レシーブを打ち12-10と挽回勝ち。4ゲーム目は、右腕がかなり振れるような体調が戻ってきた。粘りと攻撃で11-8で取る。5ゲーム目は流れが完全にこちらにきて大差で切り抜けた。放心状態、まだ負けてない。次の試合が待っている。

決勝は、西田くんに勝った西家功選手、典型的な右ペンドラ。ずっとマスターズで活躍している名選手。今回は花木さんにも勝って決勝進出で調子がいいに違いない。サーブはバックサーブでフォア前とバッククロスに出す。丁寧に出してくれるので、逆をつかれたりすることはほぼない。出れば打ち、でなければストップか払う感じ。バッククロスへのドライブがシュートして無茶早く威力がある。私のロングサーブからの展開がうまくいき、西家さんのサーブからの展開を崩せたことから、ポイントを常にリードするパターンとなり、精神的にも波的にも優勢を保つことができた。途中からフォアサーブに切り換えたが、これもバック対バックで私の優位が変わらず、攻めきることができ、勝利。

二連覇できたというより、負けずになんとか、大会を終えられたというのが実感。

今大会で前大会と違うのは、九十九チームから6人もマスターズ代表選手がでて、そのうち3人がランクに入ったこと。大阪の仲間も応援してくれて、西田くんや立花くん、井上くんといった同期の仲間の協力や支援があったこと。持つべきものは友、仲間、気持ちの和である。ベンチコーチの高田くんは、24時間態勢で私の面倒をみてくれた。協会や主催者、審判団の方々からも温かいサポートをいただいた。心より感謝、感謝、感謝です。

いろいろなドラマがありますね。これからも精進します。ありがとうございました。

第36回大阪マスターズ(50代) 準決勝に辿り着く!

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昨年、なぜか第一シードで決勝まで到達し、名選手 坂本憲一さんに1ー3で打ち負かされた、大阪マスターズに今年も参戦しました。前回は、全日本マスターズのあとで開催されたのですが、今回は、全日本マスターズ(岡山)が12月2-5日と遅れて開催されたため、一週間前の前哨戦となり、60代の強豪選手が50代に多く参戦していました。60代では友人で同期の立花尚人さんが初優勝!! おめでどうございます。

私は、第二シードでしかも2回戦からの登場となり、午後1時半に最初の試合をしてから、あとは勝ち抜けば試合が目白押しとなりました。相手の選手の試合を観戦できるのも2ー3回戦までで、あとは、もう誰が対戦相手かもよくわからず初見の対戦ですね。

2回戦は齊選手YG的な巻き込みサーブがうまい選手。サーブ+三球目で打ち勝つ。3回戦は田坂選手、右ペンでフォアドライブもショートもうまい。2ゲーム目からフォア前サーブをうまく返球できずに大苦戦。1-1とされ、3ゲーム目も4-8でリードされ、展開的にも精神的に苦しい状況。フォア前サーブが少しでるところをドライブし、少しずつ挽回。9-9、10-10となり、粘りで逆転。4ゲーム目も競ったがなんとか入れ込んで勝ちを拾った。

4回戦は村上充さん、右中ペンの本格的なドライブマン。ほっそりと背が高く、手足も長いファイトマン。戦術的には、こちらが前について打ち合い、相手を揺さぶる形で有利な展開なのだが、50代とは思えぬフットワークのよさと後陣からの引き合いの強さで、幾度も渾身のスマッシュを弾き返される。村上さんのバックハンドも入り始めて、3ゲーム目を落とした。とにかくよくフォアに飛びつき、バックもロビングで粘る。打たされすぎた感もあるが、なんとか打ち勝って3-1の勝利。

準々決勝は、同じく東京から参戦の新50代、有間博幸さん。有間さんとは、鎌倉で練習したことがある。腰痛でフットワークが悪かったとはいえ、そのときはひたすら打たれまくって完敗。有間さんは、バックカットを多用するフォアドライブ主戦型である。最近は、右腕にここ数年の筋肉疲労が出ていて、あまりカット打ちを続ける自信はなかった。とにかく、レシーブからすべて打っていくつもりで、ガンガンといく。6-2とリード。しかしサーブミスから追いつかれる展開となり。しゃがみ込みの変化サーブをレシーブできずに10-9まで迫られる。万事窮すと思って構えると、ここで有間さんがサーブミスで1ゲーム目をギフト。これが勝負の境目だったかも。2-3ゲームもサーブとシュートドライブが取れず挽回されそうになったが、とにかく、レシーブで打っていく姿勢が功を奏してストレートで準決勝進出を決めることができた。

準決勝は、前々回の全日本マスターズ50代チャンピオンの華原張さん。東京キングコングの中国帰化選手である。右中ペン裏裏。両面Dignics05を使っている。ラケットも180g近くあるそうだ。痩せて見えるが、足も腕も胸も筋肉モリモリのむっちゃ鍛えているスーパーオッサンである。初対戦で、胸を借りるつもりでぶつかろうー。(こちらの右腕の付け根はかなり痛みを発していて、湿布をはりまくって試合にのぞむ。こういうときにテーピングできるといいのだろうね。)

1ゲーム目はとにかくミスの少ない華原さんに対し、やや焦って、5-9とリードされる。ここから攻撃が入りだして、波が動く。10-10となったときは、こっちにチャンスが来たと、うち続け、なんと12-10の逆転勝ち。2ゲーム目も流れが来ていたが、華原さんの巻き込みサーブを浮かせてしまい、3球目で決められる。こちらの攻撃は必ず何本か止められるため、ポイントするのが大変。とにかく、バックハンドでスマッシュはしないのだが、回転を加えてクロスに深く返してくる、フォアに揺さぶっても、フォアの飛びつきは慣れたもの。バックをついても楽に返球。全力のエースボールを打つしかポイントできる可能性が生まれない。まあレベルが高くなればそういうものだ。1-2で迎えた第4ゲーム、10-10からの長いバックプッシュとフォアドライブの応酬からカウンタードライブをオーバーミス。最後はネットインのボールをドライブで攻撃したが返球されたボールをプッシュでオーバーミスして大阪マスターズ終了。

華原さんは、そのあとの、坂本さんとの決勝を制して、初優勝を飾った。坂本さんは、いくつになってもレベルの高さを維持しているスーパーレジェンド。その域に達せずとも、感じれるだけでも収穫ですね。

準決勝までたどりつけたのは十分な成果。試合の勝負勘を持つことができたことも、今週末の全日本マスターズに向けていい前哨戦となった。右腕の脇、胸筋あたりがかなり痛んでおり、ドライブを打つ時にキリキリとくるため、しばらく休養が必要。マスターズの戦いは自分の体調との戦いの部分が大きい。

実は、試合前日に、階段をX段ほど飛び落ちるという大怪我寸前の事態に遭遇。運良くおしりと太ももの打撲とミミズ腫れ、突き指ぐらいで済んだ。とはいえ、この歳になると、いつどこでつまらぬ怪我や病気をするかもしれず、みなさまの無病息災を祈願しております。

全日本マスターズ二連覇を目指して、ガンバろー!!

Transforming Nepal through Sports (ネパールをパラスポーツで変革しよう)

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Heartfelt message from Nepal !! for the table tennis materials donated to support a wonderful initiative of Transforming Nepal through Para-Sports by Inclusive Sport Club.

ネパールのみなさんからの感謝のメッセージです。「パラスポーツでみんなが幸せな社会をネパールで実現しよう」というキャンペーンを支援させていただきました。皆さん、ご協力ありがとうございます。

(新スポ連)全国卓球大会東京予選 チーム優勝しました!

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本日、武蔵野の森総合スポーツプラザにおいて、新スポ連の第58回全国卓球選手権大会(岡山ジップアリーナ開催)団体の東京予選会がありました。これまで50代で2回東京代表となり、団体では本戦で敗れています。個人は55歳以上で前回は初優勝することができました。60歳以上で初挑戦するはずだった今年2月の全国大会はコロナで中止。

今回の我が九十九チームは、いつもの高田くん、万沢さんに加えて、河島先輩が参加しての強力布陣となりました。全国で優勝を目指すという心意気で臨んだ東京予選です。

蓋を開けてみると、強いチームがすべて参加している予想をはるかに上回る盛況。予選も相当厳しい試合を覚悟することとなりました。予選は5チームの総当たり戦。私の九十九チームは、双葉クラブのベテラン強豪の具志堅さんとTeamBo-Yの早稲田大学とシチズン時計の白井大先輩のカットに敗れた2ポイントだけに抑えて、予選を一位通過、同時に東京代表を決めました。

1位トーナメントは、東京代表の中でのランキングを決める戦い。準決勝の相手は混成チーム。私の相手の赤羽さんとは初めての対戦。この年代には珍しいシェーク前陣でバックハンド・ドライブを振るスタイル。フォアでの私のドライブに対するカウンターが炸裂して、シーソーゲームになりました。お互いサーブからの展開での点の取り合い。相手のカウンタースマッシュを何本か拾って粘り、最後は回りこんでストレートへのレシーブドライブでやっと勝ち切りました。決勝は、松涛クラブ。何度も対戦している杉木さんに、3球目スマッシュとバックプッシュで1-1とされ、途中までオサレ気味の試合でした。サーブが効いて、こちらも3球目攻撃で逃げ切り。ラスト勝負となり、河島さんが、対戦相手の河原さんに0-2の2-6という苦しい瀬戸際に追い込まれてから驚異の挽回。それから3ゲーム連取の大逆転勝ちでチーム優勝を決めました。チームで勝つのは久しぶりで、うれしさもヒトシオですね。

外は雨。傘のない私は、体育館からダッシュでバーミヤンまで走って、皆で乾杯!!

クラブ選手権の予選会は、二週間後の5月14日。50代から64歳までのカテゴリーの上に、前回の全国優勝、準優勝、ベスト4のチームが予選から出てくるので、苦戦は必至。最近は、腰や肩(五十肩)腕を痛めて、年代別は自分との戦いという思いを強くしています。季節の変わり目でもあり、手とラケットに膨張感あり。これも卓球の醍醐味でしょう。

敗戦は苦いもの、仲間はありがたいもの

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東卓3部リーグの試合が、田無市の西東京体育館で開催される。

シニアリーグとは違って、年齢制限のない世代を超えた自由な組み合わせで試合ができる。

古い卓球と新しい卓球がぶつかるとどうなるか。バック技術の差が大きくて、古いものがあれよあれよと淘汰される時代です。そのため、バックハンド技術を毎日のように鍛えてきました。

それでも、台上で先にバックドライブやチキータをされるとアップアップする。それでもやっと返球するとコースを変えて、逆回転で伸びて逃げるボールを送られる。合わせるだけで返すと、回り込まれて思い切りフォアの強ドライブを食らって飛ばされる。

わかっちゃいるけど、止められない!!

若い選手でバックハンド技術が優れていても、それだけに、あまりフットワークを使わない選手の場合は、なんとか返球すると、連打に慣れていなくて、ミスがでることもある。こういう場合は、頑張れば勝てる可能性が生まれる。

サーブが効く場合は、ポイントを挽回して、最後の9本、10本で強気でいけるのだが。サーブが効かないと、勝敗は相手まかせ、運まかせになることも多い。

初田選手との試合は、似たようなペンドライブの戦型だったので、どちらが最後の一本までしっかり打てるかの勝負となった。バックで負けない自信があったのだが、相手がかなり丁寧で安定した両ハンドを振るので面食らう。卓球の試合では、想定外なボールやパターンに会うと、極端にミスが多くなってしまう。相手の動きのほうがよく、ボール扱いも上手、しかも私のボールをサーブから苦にせずに返球してくる。真っ向からの勝負となった。1-2で敗北。

今回の試合は、相手の戦い方を見ることもせず、ただ当たったときに、出たとこ勝負で試合する形となった。自分が練習しているパターンや球質の違うボールにミスが出る。足が動いていないのも、ミスの主要な原因だ。気持ちも負けたくないと焦るだけで、勝つために必要な気力や胆力が出てこない。なぜなのだろう。この大会に合わせて練習や調整をしてこなかったのは確か。昨夜は腰と腎臓あたりに痛みがあった。今朝は痛みはひいていた。足は疲れてはいなかったが、動きが鈍かった。手や腕の感覚は、ラケットを小さく感じてやや心許ないというのか、強打するための鋭い振りがうまくできていなかった。

いろいろと感じ、考える反省点は多い。一つだけやるべきことを選ぶとすれば、体力を鍛えることに尽きる。ボールに向かって走らないといけない。レシーブの構えを、台の近くでやや身体を起こした体勢に変えて、最初の試合だった。台上のカバーがよくできるようになったが、その分、研ぎ澄まされた集中力とボールの鋭さが削がれることとなったようだ。目線をネットまで落としてまたやり直してみよう。

全国大会が遠のき、コロナが周りで出てきて、少し、心と身体がなまってきているようだ。また、ミスが出て自分のプレーに自信がなくなると、待ち時間が長くなり、相手をじらすことにもなったようだ。誰にとっても気持ちのよいことではない。

自分でも不甲斐ないとおもう試合をするぐらいなら、座禅でも組んだほうがいいだろう。

最後の試合では、私は、ダブルスもシングルスも負けてしまったのだが。あとの仲間の3人が3勝してくれたおかげで、チームは勝ち、最下位を免れた。こんな経験は、生まれて初めてのことだ。仲間と飲むビールはほろ苦かったが、チームメートがいることはアリガタキことだ、と久々にヒシヒシと感じる日となった。

高木美帆のギンギラギン(銀銀銀)の金メダル:限界を超えた神の領域

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高木美帆は前回の平昌オリンピックで、金、銀、銅メダルを獲得し、一躍、誰もが知る、スケート界のスター選手となった。しかも平昌大会では、姉の高木菜那も金メダルを2つ獲得し、スケート界のトップ・ライバル姉妹としても、有名になった。

4年に一度のオリンピックにおいて、一つの大会で大活躍できれば、それがアスリートとしての自分の頂点と位置づけられ、次の大会では、その栄光を少しでも維持できれば幸運と考える。連覇できれば、最高の出来といえるだろう。しかし、高木美帆は前の大会の栄光を今一度という目標にとどまらず、5種目に出場するという前例のない攻めに出た。

最初の3000mは6位。得意とする種目ではなく、長距離で最初の競技とあって、自分の体調や氷の具合を確かめるという意味もあったのだろう。あまり無理をしなかったのではないか。次の1500mが、世界記録保持者として金メダルの大本命であり、前回の銀を金に変えるマジの勝負だった。しかし、再び銀メダル。

髙木は競技後のインタビューで気持ちを聞かれると「悔しい。その思いだけです。前回は金メダルを獲れなかった悔しさとメダルが獲れた嬉しさが入り混じっていましたが、今回はメダルが獲れたということよりも、金メダルを逃したという悔しさが強いです。ブスト選手が強かったです。ハイレベルな戦いができて嬉しくも思っています」と話して、悔しさを滲ませた。

500mは自己ベストを出して、最終滑走の組まで一位を維持。金メダルを願って見ていたが、アメリカ初の黒人選手であるエリン・ジャクソンがわずかに上回って金メダルを獲得し、高木美帆が銀メダルとなった。

試合後の一問一答】
ー今の気持ちは
「苦しい時期が続くなか自己ベストを出せたこと、こん身のレースができたことがうれしかった。今は正直、驚いている気持ちでいっぱい」
ー滑り終わってから結果が出るまで長かった
「パシュートも近いので、まずは自分の体をリカバリーさせなきゃなというのと、時間が今日だけはナイトレースということで、どうやってリズムを戻そうかということも考えてはいたんですけれど、組を重ねるごとにメダルの可能性が出てきたので後半になってくるとちょっとそわそわしはじめた」
ー自身5個目のメダル。これまでとは違う意味があるか
「正直なところ、500メートルに出るかどうか本気で考えたこともあったが、最後まで挑戦してよかった。500メートルに関してはチャレンジした証しだと思っているので、すごく誇りに感じる」
ー次は団体パシュート
「団体パシュートは個人種目とは全く違った重みがある。ひと言で表せるものではないが、何が起こるか分からない種目。ひとつひとつを大事にしつつも上をみてチーム全員で挑戦していきたい」

パシュートは前大会で金メダルを獲得して、常に一位を堅持し、今大会でも金メダルの筆頭候補の種目である。最後のカーブまでリードして金メダルは確実と思われたそのときに姉である高木菜那が転倒するという悪夢のようなアクシデントが起きて、またも、よもやの銀メダル。泣きじゃくる姉を支える胸中が思われた。

日本女子団体パシュート、転倒と「その後」 「スッキリ」が伝えた妹・高木美帆の行動

1000mでオリンピック記録を達成して、金メダルを獲得!!

高木選手の言葉

高木選手は「オリンピックの出だしはつらいことがあって、自分の調子も上げきれないときがあったが、最後に自分のすべてを出し切り、金メダルを取れなくても悔いはないと思えるようなレースができたのが本当にうれしい。そして、金メダルをとれたことは、形となって残ったと思う」と喜びを語りました。

また、今大会7回のレースを終えたことについて「正直に言って、体は限界でギリギリだった。無事に走ることができてよかった」と振り返りました。

そして「たくさんのエールをもらったことで、ひるまずに攻めることができた。最後、このレースが終わって、やっとみんなにありがとうを言える」と感謝のことばを述べました。

平昌大会のときに23歳、北京大会では27歳という年齢をどのように見るか。2010年のバンクーバー大会に15歳で初出場していることから鑑みれば、高木美帆がすでにかなりのベテラン選手であることはたしかだ。しかし、平昌大会では500mで金、1000mで銀メダルを獲得した大スター選手である小平奈緒が当時31歳だったことを思えば、次回の2026年のイタリア(ミラノ&コルティナ・ダンペッツォ)大会で、高木美帆は頂点を迎えるという考えも成り立つ。27歳で迎えた北京大会は、高木美帆にとっては、強欲に出来得る限りすべてのチャンスに挑戦するという無茶のできる大会だったということなのだろう。小平奈緒や岡崎朋美といったスピードスケート界のリーダーたちが35歳でオリンピックに出場していることを鑑みても、高木美帆はあと2回のオリンピックに出場する可能性があり、彼女は現時点において世界のトップアスリートとしての人生の中間点にあるのかもしれない。高木美帆の活躍がまだまだ見れる私たちは幸せ者である。今大会における高木美帆の5つの挑戦は、いくつもの人生ドラマが凝縮された名場面に彩られていた。選手も観衆も喜怒哀楽をともにし、感動が広がった。高木美帆と高木菜那というアスリート姉妹の存在に感謝したい。

高木美帆 今大会全レース結果

今大会5つの種目に出場して金メダルを含む4つのメダルを獲得した高木選手のすべてのレースの結果です。

《個人種目》
2月5日 女子3000m 4分1秒77 6位入賞
2月7日 女子1500m 1分53秒72 銀メダル
2月13日 女子500m 37秒12(自己ベスト)銀メダル
2月17日 女子1000m 1分13秒19(五輪新)金メダル

《女子団体パシュート》
2月12日
準々決勝 2分53秒61(五輪新=当時)8チーム中1位 準決勝進出
2月15日
準決勝 2分58秒93 ROC=ロシアオリンピック委員会に勝利、決勝進出
決勝 3分4秒47 カナダに敗れ銀メダル

北京オリンピック/高梨沙羅の悲劇:あまりにも愚かな人間の審判・判定との闘い

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以前のブログ「審判は神であるべきか?」で、人間は技術革新(AI)にスポーツの審判の座を明け渡すべきだと説いた。あろうことか、北京オリンピックというスポーツ界の最高の舞台で、人間の審判や判定による劣悪な悲劇を、私たちは見せつけられている。目の覚めるような大ジャンプをみせた高梨沙羅が、着ていたスーツが緩かったという理由で失格となったことを伝えられた大半の人々は、何が起こったのかもわからず、ただただ呆然とし、唖然とし、あるいは憮然としていたにちがいない。泣き崩れる沙羅の姿を見て、その判定に憤りを覚えた人も多くいただろう。競技を見ている私たちにはまったくわけのわからない所で、わけのわからない理由で、しかも参加選手全員ではなく、恣意的に選ばれた選手だけに対して、突然そうした検査が行われ、対象とされた選手が失格という見せしめの刑罰に処される。スポーツにおける審判は絶対神であり、審判がそういえばそうなるのである。

オリンピックという選手にとっても家族や応援するファンにとっても、もっとも晴れやかな4年に一度の舞台が、こうした違反摘発の見せしめの場として使われることを誰一人望んではいない。そのようなオリンピックに何の意味があるというのだ。こうした一般常識ではわからない規則の徹底やその取締りに関することは、オリンピックの直前の世界選手権やさまざまな国際大会や会議において、徹底して周知させ、実施させ、浸透させて、かつ情報公開をして、オリンピックという晴れの舞台で起こらぬように、努力し、汗をかくのが、組織委員会や審判団、すべての関係者の務めというものだろう。これでは、スポーツがアンフェアで、汚ないものであることを喧伝しようという、アンチ・スポーツ組織の陰謀としか思えないではないか。全参加選手団の納得と承諾を得ない、しかも公正・平等ではない、審査や判定は、決して行われるべきではない。審判が人間である以上、審判の行動を監視し、コントロールするシステムがなくてはならない。そもそも人間には、他の人間(生き物)に対する審判をくだす能力はなく、そのような一方的な権限を持たせるべきではないのだ。