村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」

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これまでの小説家のイメージとはかなり違うようだが(と村上氏も回想する)村上春樹はランナーである。

小説家になってしばらくしてから、運動もせずブクブク太りだした自分を見て、長く小説家として生きていくには、体力と健康が重要であることに気づいたとのこと。千葉の田舎に住んでいたとき、近くにはジムもスポーツ施設もないことから、近くにあったどこかの大学のグランドで毎朝走ることにしたのがランナーになるきっかけらしい。毎日1時間、約10-15kmを走るというのだから、中高の陸上部の部員なみである。一日60本ほど吸っていたタバコもやめたという。毎年マラソンも走っている。これは、小説家としての成功を問わず、人生でいちばんの快挙と言ってもよさそうだ。毎日、4-5時間集中して小説を書き続けるという作業は、じつは、相当に体力を消費する行為なのである。(私が思うに、おそらく執筆という活動は、将棋や囲碁の棋士たちが盤面に向かい次の指し手を求めて苦闘しているときと同じような体力、気力、労力、脳力を使う行為なのだろう。)

それでも、瀬古監督に、走るのが嫌になったことはないですか、と質問して、何度もありますよ、との答えを聞いて納得したというわけで、走ること自体は決して楽なことではない。ただ、学校では運動が嫌いだった自分が、走ることを好きになった真因は、それがやらされているわけではなく、自分の自由意志でやっていることだからだという。

北海道のウルトラマラソンに参加して、100キロを完走したときのことの追想が書かれている。75キロまでの道のりで、すべての身体の筋肉や臓器が走るという行為を拒絶して、走ることをやめさせようと反乱や革命を起こそうと躍起になる話がある。しかし、そこを抜けると、急に反乱が鎮まる。身体が走ることを目的とするマシーンのようになって、走ることを苦にしなくなったというのである。それから200人ぐらいを追い越してゴールしたときは、達成感はあっても強い疲労感はなかった。無論、そのあと数日はまともに歩けなかったそうだが。問題の核心と思われるのは、このウルトラマラソン完走のあとで、村上春樹氏の走ることへの情熱というかやる気みたいなものが減退したと思われる記述があることだ。再びランナーとしての日常に戻るまでに時間がかかったという。体力の衰えを感じ、自分の年齢に合わせた走り方を考えることとなる。ウルトラマラソンという通常の身体コンディションを遥かに超える高負荷のイベントに参加したことで、身体が悲鳴をあげたのだろう。(私も2-3年かなり無理な練習をして、右肘の軟骨がすり減り、変形性関節症になった。そしてこの変形した右関節は決して元には戻らないと医者に言われた。)その話を聴いたときに、心理的・人間的な側面からは深い学びがあったのだと理解できたが、身体的な側面からはウルトラマラソンに参加したことはマイナスに働いたのではないかと思われた。とはいえ、村上春樹氏自身は、今はトライアスロンにも参加して、水泳や自転車レースをマスターしようというのだから、それは、不撓不屈の前向き精神と称えてもいいものではなかろうか。

以上、そんなことを思ったことを語ってみました。

「汝、星のごとく」を聴いて

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著者:凪良ゆう

人気の本ということで、最近の小説を聴いてみた。

恋人同士である井上暁海(あきみ)と青埜櫂(かい)が、交互に主人公となって話すので、最初は違う小説を聴いたのかととまどった。同じ情景を見ていても、同じ行為を行っていても、その見方や感じ方、思っていることはまるで違うことを改めて聴く者に深く感じさせる小説である。

シングルマザーとその子供、LGBTというマイノリティ、田舎の島という閉鎖社会、現代社会の片隅においやられた人々の精神世界と生きるための葛藤を映し出しながら、あまりにも深く強く純粋でありつづけた男女のラブストーリー。

二人をひきさいている最も直接的で痛ましい要因は、それぞれの母親(他人依存症のシングルマザーと夫を不倫相手に取られたうつ病患者)で、あきみを見守るのは風変わりな教師と父親の不倫相手の女性、櫂を助けるのは編集担当の仕事仲間たち。男の漫画家としての成功ゆえに女は去り、女の刺繍作家としての成功が男と再会する力をもたらす。二人の恋愛はほんの短い間だけ成就するわけだが、めでたしめでたしの最後ではない。アンバランスでイレギュラーな、それでいて安堵感のある家庭生活がつづいていく。残ったのはひとつのドラマのあとのしずけさ。

そして、たぶん、閉められていたもうひとつのドラマの扉。

「騎士団長殺し」をAudibleして

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ひさしぶりに早稲田大学を訪ねると、村上春樹ライブラリーなる奇抜な建物ができていた。中をのぞくと村上春樹の作家としての軌跡をたどるMURAKAMIワールドが展開されている。村上作品が読めるというAudibleというソフトをスキャンすると「体験入会しませんか」という画面が出る。こういった勧誘はふだんは無視することにしていたが、早稲田大学の村上春樹ライブラリーの中にいることで心理的なバリアがくずれて、YESというボタンを押す。Audibleの世界は移動中や電車の中だけでなく、家の中でも勝手に音が流れてくるので、予想以上に使い心地がいい。ネットでアニメを見ている生活にもやや飽きてきていたので、小説を聴く生活に変えてみるのも悪くないと思う。

最初に聴いたのは村上春樹の「騎士団長殺し」だ。

第1部顕れるイデア編が上下二巻、第2部遷ろうメタファー編が上下二巻、かなりの長編で、1巻につき10時間は聴き続けることになる。ただ、手足の自由は効くし、どこにいても聞けるので、本を読むよりも実際には早い日数で聴き終えることができた。高橋一生の声も頭によく響いて、情景を浮かべやすい。第1部ではこれがどうして「騎士団長殺し」という題名にふさわしいストーリーなのか、不可思議だった。第2部でドイツでの未遂事件の記憶にもとづいた「騎士団長殺し」の日本画から飛び出した騎士団長風イデアおじさんが実際に「騎士団長殺し」の未遂事件を完遂させるというイベントが、このストーリーの真骨頂であることが理解できた。たしかに村上春樹ワールドはイデアの世界を活字にしたものなのだろう。イデア(理念)は随所で芸術や音楽の形をとってあらわれる。秀逸なのは、このHARUKIワールドが、形而上の世界と形而下の世界を自由に行き来することである。この手の小説にはめずらしく、男女の心と身体の営みに関する描写はあられもなくつまびらかで、情欲をそそられるがままに、次のストーリーのページをめくらせる。

かなり長編の4冊を4日間で聴き終えたのは、これまでの私の読書経験の中でも、相当に早い。私が暇な人生を送っていることの証明なのかもしれない。とはいえ、普通は、疲れて読むのを休むところだが、聴くだけだと時間はかかっても着実に次のページがナレーターによってめくられていくので、あまりこちらは疲労感がなく、そのわりに、頭にはその情景が浮かびやすく、記憶にも残りやすい気がした。

ただ、Audibleだと、あとから読み返すには不便である。登場人物の名前やイベントの確認をするために、あとからそのページを開いてみるというのは難しい。まあ、そういう行為は読書感想文を書いたりするときぐらいしか、しない気もするが。

能登半島地震と津波の被災地の方々の無事と安全と迅速な復興を祈ります/New Year Prayer for the people affected by the Earthquale and Tsunami

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家族と正月を祝う今も、世界ではウクライナやガザでの戦争などの人災が続いています。

しかし、ここ日本でも、能登半島でマグニチュード7の地震が起こり、日本海沿岸に津波の脅威が迫っているという突然のニュースに、正月ムードが一変する事態となっています。被災者や家屋倒壊、道路の崩壊、大火事などのニュースも目に入ります。

ポジティブなことがあるとすれば、政府においても民間においても迅速な対応がみられること、被災地においても大きな混乱はなさそうだということ。東日本大震災の記憶が新しく、心に刻まれていることが如実に感じられます。ただ、交通機関や電力網などは災害にはまだ脆弱なところがあるようです。

新年にあたり、被災地のかたがたの無事と安全と早急の復興を祈願いたします。

みなさまと人災や天災に苦しんでいる人々にとって、よりレジリエントで安全で幸多き2024年となることを祈願しております!!

While we are celebrating the new year with family and friends, human disasters continue in Ukraine, Gaza and mother Earth in general. Our peace and joy were suddenly shaken by the news of M7 earthquake centered in Ishikawa prefecture located upper middle (Japan Sea side) part of Japan. There are news of human casualties, fallen houses, collapsed roads, and fires. It appears that most parts of the Japan Sea coastal area are under direct threats of Tsunami. Positive news are immediate responses and relatively calm orderly people’s reactions to this sudden shocking occurrence of natural disaster even in the middle of new year celebration. The deep sad memory of the Eastern Japan Earthquake and Tsunami is still vividly alive in our heart. 

Our new year prayer will certainly be with the people affected by this earthquake.

Wishing you and the people affected by the disasters both human and natural to have a resilient, safer and happier year 2024!!

お義父さんの旅立ち

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12月20日、タイのバンコクにいるときにお義父さんの訃報が届いた。21日の朝に帰国し、火葬場の関係で葬儀は25日となる。

思えばお義父さんにはたくさんお世話になった。初めて知ったときは、ペルーで電電公社関係の技師・専門家をしておられた。私は青年海外協力隊でペルーに赴任し、そのときに妻と出会ったのだった。その帰国のときの私の荷物を、自分の家族の引っ越し荷物として同梱して日本に送ってもらったのが最初に面倒をおかけしたときだった。海外生活の長かった私たち家族が、日本に滞在するときは、いつも妻の実家である湘南台の家にお世話になっていた。私が単身赴任となってからは、妻と子どもたちは、実家でお義父さんと生活し、お義父さんは毎日入院中のお義母さんのお見舞いにゆく生活を続けておられた。どちらかというと言葉少なく、表情に出すほうではないが、とても家族思いのお義父さんだった。

町内の老人会の会長役でもあり、時間に正確で、規則正しい生活をしているお義父さんには、よく飲んで帰りがおそくなったり、早寝早起きとは無縁の私に対して、言いたいことはたくさんあったろう。それでも私に対して、怒ることも干渉することもなく、寛容で大人のお義父さんだった。

晩年は、認知症の症状もあったが、自分の家で過ごしたいという思いが強く。救急車に運ばれて入院するまで、4階にある自分の部屋まで歩いて上り下りしながらガンバっていた。

入院する以前から、あまり起き上がることもできず、食事も思うようにできなくなっていて、妻も心配していた。まだまだ長生きするだろうと思っていたのだが、92歳、年の瀬に天へと上って逝かれた。先に天国に旅立たれたお義母さんと積もる話もあることだろう。

家族葬ではあるが、子供や孫そしてひ孫、近い親族が参列し、冬とはいえ、いっぱいの綺麗な花に囲まれた静謐で温かみのある葬儀だった。娘である妻と孫娘である長女がいっしょに選んだディズニーランドって撮った遺影が、佳い人生だったと微笑みかけているようだった。

お義父さん、92年間ごくろうさまです。ほんとうにありがとうございました。

南無阿弥陀仏。合掌!!

 

「タイ王国ろうあスポーツ協会」に卓球用具を寄贈いたしました

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Sport for Happiness with the Deaf Sports Association of Thailand (DSAT)

I am currently in Bangkok as our team participated in 14th Asian (Pacific) Veteran Table Tennis Championship. While the result of the games was not as expected, today, I was able to attend personally the hand-over event of table tennis materials to the Deaf Sports Association of Thailand. Those table tennis materials were donated by many Japanese TT friends through “World of Table Tennis (takkyu oukoku 卓球王国)“ of Japan. We are to start a collaborated project to help children with hearing impairment access sporting (table tennis) opportunities in special schools. I was also able to provide some table tennis lessons to children with hearing impairment today. Wish every child with or without disabilities and DSAT to enjoy happy holdays!!

卓球王国を通じて日本の皆さまから頂いた卓球用具(添付のリスト参照)を、タイ王国ろうあスポーツ協会に寄贈いたしました。本当にろうあの子供たちや関係者の方々に喜んでいただき、うれしい限りです。デフリンピックでタイを代表する選手たちとも今日、練習やコーチングをする機会をいただきました。寄贈した卓球用具は主としてタイ王国の各ろうあ学校において、卓球クラスを開き、卓球を知ってもらうための一助として活用することになります。今後も、年に1-2回は訪問して、協力活動を行いたいと思っており、逐次、進展をご報告いたしたいと思います。皆さま、よい年末年始をお迎えください。

全日本卓球選手権大会マスターズの部(ロー60)三連覇を達成!! / Achieved Three Consecutive Victories at the All Japan Table Tennis Championship Masters (low sixties)

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【卓球】全日本マスターズ、男子ローシックスティ〜ハイセブンティの結果。田中敏裕が3連覇、坂本憲一は19回目V – 卓球王国 (world-tt.com)

今年の全日本マスターズは「三連覇します!」と公言して鍛錬に励んできました。初優勝のときから「優勝します」と言い続けてやってきたので、「有言実行だね」と言われています。昔は「沈黙は金なり」という格言が幅を利かせていました。国連とかに勤めていると「有言不実行」なことのほうがこの世では当たり前だということに気づかされます。いまでは「フェイク(虚言)」ですら効果的に世間を動かすことができるという現実を目の当たりにしています。真摯に心に強く思い、それを全力で目指すということを明確にして、歩を進めることの大切さを感じます。なぜなら、その思いに共鳴してくれる周囲の人が生まれ、実際に手を伸ばしてくれるということが起こるのです。自分一人の言葉・目標ではなくなり、沢山の人々と三連覇への思いがつながる。これは私の小さな人生や生活空間にとって革命的な変化をもたらす原動力になります。だから、言霊、言葉が伝えもたらすパワーをしっかりとマネージすることは、人の間に生きる私たちのもっとも大切な能力の一つなのだと思います。

さて、三連覇しました。今回は浅草のホテルにチームメートと泊まり、毎朝浅草寺にお詣りしました。学生時代からの同僚の高田淳くんが、これまでと同様に大会中の調整とベンチコーチについてくれました。最初の試合の二回戦の山田昭仁選手との試合が序盤の山場で、1ゲーム目を出足から連続スマッシュで奪われ、初戦敗退の色が濃厚に感じられました。2ゲーム目からは1本1本に集中して、サーブで自分のポイントを確保し、レシーブではとにかく我慢のラリーに持ち込み粘り切ること。ジュースで2・3ゲームが取れたことが大きく、4ゲーム目は攻撃が息切れしてきた山田選手を押し切ることができました。会場中が注目する一戦でした。多球練習を積み重ねていたことがブロックの強化に繋がったと思います。3回戦の小林哲也選手は右ペンの裏面ドライブを使う選手ですが、比較的ボールが私と合いやすくラリーで優位に立てて勝つことができました。ランク決定はいつも練習している橘川さんが上がってくるかと思っていましたが、北海道の右ペンドラの佐々木選手との対戦。七色の変化球をあげてくる佐々木さんにふわ~と対応して、決め球をしっかり打って勝つことができました。

準々決勝は大阪ではチームメートの川口健治選手。裏アンチのレシーブとコースが分かりづらいドライブで撹乱されて2・3ゲームをジュースで落とすという予想外に苦しい展開となり、とにかく先に打つことを心がけて4・5ゲームを挽回勝ち。準決勝の田邊直己選手は初めて対戦するカットマン。とにかくフォアドライブが上手い。しっかりドライブしてスマッシュで決めるパターンとドライブを打たせてラリーで勝つパターンを作れて勝利。決勝戦は巷の予想通り、千葉の佐藤計選手との対戦となる。1ゲーム目からバックハンドがよく入り、こちらの攻撃もカウンタードライブする佐藤選手に圧倒される。高田くんに「打点を高く。身を削らないと、卓球の神様はお前に振り向いてはくれないぞ」と叱咤され、必死の思いで打つうちに2・3ゲームはこちらの連続攻撃に、すでに疲労が見えた佐藤くんにミスが出て、有利な展開となった。最終ゲームでもレシーブから打ち続け、押し切ることができた。

三連覇を目指して多くの方々にご面倒をかけて練習してきました。私の家族、九十九クラブの園田監督、河島先輩はじめチームのみなさん、岸田卓球道場、相模原の練習仲間たち(松島くん、橘川さん)、もうすぐ栄光ある伝統の幕を閉じる東京富士大学の西村監督と卓球部の皆さんには幾度となく鍛えていただきました。ホントに感謝してもしきれません。同期の西田くん、立花くん、川口くんにも練習試合などお世話になりました。

みなさん、ホントに、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

A great achievement!! It was beyond my dream that I got the championship of All Japan TT Masters (60~64 ys category) for the three consecutive years. This year, I was struggling with my body conditions (had kidney stones, back aching and knee aching). A new realization of life is that I need to take good care of my body and avoid overworks. So, I start to focus on quality and not much on quantity in my practice. It appears paid-off. This year I made a statement to my TT friends that “I will get the three consecutive victories at the All Japan masters (veteran) championship following the gold in 2021 and 2022”. The news of my Peruvian TT colleagues, Eliana, Magali and Milagrito, becoming champions at the Pan-American Veteran Championship was also a big encouragement (Congratulations!!). Let’s enjoy sport for friendship, happiness and life.

2023alljapan-masters231202-m60-final.pdf (amazonaws.com)

パラリンピアンの加藤くんと私と卓球を始めた飯島くん(親子)との嬉しい再会と対戦 (Reunion with a Paralympian, Kato-kun, and my table tennis student, Iijima-kun and his father at Nissan Cup team tournament)

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昨日、座間市の日産カップ卓球大会(2部)でチーム優勝しました。

予選の第一試合が、驚いたことに、私がパラ世界選手権などでコーチしていた加藤くんと私と卓球を始めた飯島くん(親子)のいるチームとの対戦。加藤くんに憧れていた飯島くんが親子で加藤くんと一緒のチームで出場しているという微笑ましくも感極まる出来事でした。その初戦がコーチだった私のチームとの対戦という冗談でもなかなかない奇遇で、結果は生徒チームの勝利!! 加藤くん、飯島くんとお父さん、角井くん(私に3-2で逆転勝ち)、感動をありがとう。 

そのあと予選二位通過だった私のチームは、なんと私がエース対決で全勝し、ダブルスも全勝で、2部で優勝できました。とにかく若者ばかりで、60代の私たちとはボールのスピードがちがって、元気なラリーを楽しむことができました。もうすぐマスターズ、ガンバります!!

Yesterday, we participated in Nissan Cup team tournament in Zama-city. To my pleasant surprise, I encountered with a team of a Paralympian, Kato-kun, with whom I participated numerous international TT championship as the coach and Iijima-kun who started learning ping pong at my Enjoy TT class three years ago. Since then, Iijima-kun’s has been a big fan of Kato-kun as his hero. This time, Iijima-kun with his father joined his hero, Kato-kun’s team and played together. It was in fact beyond my imagination. The first game was (un)fortunately battled between their team and my team. My team lost to Kato-kun and Iijima-kun’s team. Waooo… It was so great to see how much they have grown not only as player but also as human. Our team still classified to the final tournament and surprisingly we won the championship!! Our team was by far older veteran team with double or triple age difference, and it is always fan to play ping pong together with young generation.

ペルーJICA海外協力隊派遣40周年OVインタビュー その5 (結び)/ Entrevista conmemorando el 40 aniversario del JOCV: Sr. Toshihiro TANAKA (V)

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5.最後にペルーの皆様へのメッセージもお願いします

1982年のスペイン大会以来36年ぶりに、ペルーは32年ぶりのワールドカップ出場を果たし、そして2019年パンアメリカン競技大会とパラパンアメリカン競技大会を首都リマでホストした。3個の金メダルを含む計7個のメダルをペルーにもたらして、一気に檜舞台に踊りでたのがサーフィン選手団。そして日本伝統の武道である空手が、金2、銅4という目覚ましい活躍を見せ、柔道も銀1,銅2で日本とペルーの繋がりの深さをスポーツでも証明する結果となった。サーフィンと空手はともに東京オリンピックで初めて正式種目として採用され、今後の期待も大きい。オリンピックのシンボルともいえるマラソンで男女アベック金メダルという偉業はインカ帝国のチャスキのDNAの発現だろう。このインカ伝統のリレー伝信システムを日本の駅伝というタスキ・リレー競技を使って再興してはどうだろう。日本企業や政府、市民とも連帯して、Chasqui・エキデンを恒例スポーツイベントとしてアンデスの地に蘇らせようではないか。

パラパンアメリカン競技大会でペルーが獲得したメダルは金5、銀3、銅7。国別メダル獲得数では、障がいのない部門と同じ11位だった。ペルー障がい者スポーツ選手団は総勢139名で、障がいのないスポーツ選手団の592名と比べると寂しい。例えばパラリンピックでは87種目あるパラ水泳のペルー参加選手はわずか4名。30種目あるパラ卓球の参加選手も4名しかおらず、ほとんどの種目に参加すらしていない。「だれひとり、おき去りにしない(No dejar a nadie atrás)」 というSGDsの達成を、まずスポーツで示そうではないか。先ほど紹介したように、元卓球チャンピオンのモニカ・リヤウさんはペルー全土で卓球普及プログラムを実施している。私も日本でパラ卓球のコーチを始めており、ペルー社会のインクルーシブな未来に貢献できれば幸甚である。障がい者を含むすべての人々が、“私のペルー”という国民的な歌のイントロにあるように「ペルー人であることが、誇らしくしあわせなんだ( “tengo el orgullo de ser peruano, y soy feliz” )」と言えるような、そんな未来に向かって。

Fotos Variosos.(A) Introduction of ping pong (sport) at Center for Children with Disability in Yangon, Myanmar. (B) Sports for Peace activities in Pakistan & Ping Pong exchange in Bhutan and Dominican Republic. (C) “Impacting Lives” Program of Liyau Foundation

5. Finalmente, envíenos un mensaje para el pueblo peruano.

“¡Perú Campeón, Perú Campeón, es el grito que repite la afición!” Desde el Mundial de España de 1982, tras 36 años, el Perú logró participar en la Copa del Mundo y en el año 2019 fue anfitrión de los Juegos Panamericanos y Parapanamericanos, en Lima, la capital. El equipo de surf obtuvo siete medallas incluyendo tres de oro y de golpe ascendió a la palestra mundial. Y el karate, una disciplina tradicional de Japón, tuvo una actuación brillante, con dos medallas de oro y cuatro de bronce; el judo logró una de plata y dos de cobre, resultados que demuestran la profunda relación entre Perú y Japón, también en el deporte. El surf y el karate han sido reconocidos por primera vez como disciplinas oficiales para los Juegos Olímpicos de Tokio, y hay muchas expectativas puestas en ambos deportes. La hazaña lograda en la maratón, el símbolo de las Olimpiadas, con sendas medallas de oro en las ramas femenina y masculina, seguramente es expresión del ADN de los chasquis del Imperio Incaico. Este sistema tradicional de chasquis podría recrearse usando la carrera de relevos con testigo, el Ekiden de Japón. Con la solidaridad de las empresas, el gobierno y los ciudadanos japoneses, ¿qué les parece hacer renacer el Ekiden “Chasqui” como evento deportivo anual, en la tierra de los Andes?

En los Juegos Parapanamericanos, las medallas que obtuvo Perú fueron cinco de oro, tres de plata y siete de bronce. En el medallero por países, obtuvo puesto 11, al igual que los atletas sin discapacidad. El equipo de para deportistas estaba compuesto por 139 seleccionados, un número muy bajo comparando con el equipo sin discapacidad, integrado por 592. Por ejemplo, en las Paralimpiadas, hay 87 modalidades en paranatación, sin embargo, los participantes de Perú fueron solo cuatro. En las 30 modalidades de paratenis de mesa, igualmente hubo solo cuatro representantes, y no han participado casi en todas las modalidades. “No dejar a nadie atrás” es uno de los lemas de las ODSs y pienso que debemos empezar a lograrlo en el deporte. Como mencioné líneas arriba, la ex campeona Mónica Liyau está llevando a cabo un programa de difusión del tenis de mesa en todo el Perú. Yo también he empezado a entrenar en Japón a deportistas con discapacidad, y sería muy grato para mí contribuir al futuro inclusivo de la sociedad peruana. Un futuro donde todos los peruanos, incluyendo a las personas con discapacidad, puedan decir, como los primeros versos de la canción “Mi Perú”, “Tengo el orgullo de ser peruano y soy feliz”.

ペルーJICA海外協力隊派遣40周年OVインタビュー その4/ Entrevista conmemorando el 40 aniversario del JOCV: Sr. Toshihiro TANAKA (IV)

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4.現在ペルーで活動している隊員たちへのメッセージをお願いします

ペルーの卓球人生は一日一日が新しい人々との出会いと不可思議な挑戦に満ちていた。私はChasquiという隊員機関紙の編集長をしていて、隊員総会や歓送迎会を通じて情報を集めて全員に配布していた。真島先生は忍者の里出身で、ラウニオン校で日本語を教えながらチチカカ湖のタキーレ島で保健衛生活動を続けていた。私もプーノ市に卓球の友人ができ卓球普及活動を行うようになった。2017年にプーノを再訪して卓球の地域大会を主催し、チチカカ湖上の浮島でウロス族の子どもたちにピンポン講習を実施した。国際協力の現場で働く中で、多くの死にも遭遇した。自然災害だけではない、自殺爆弾やテロ攻撃による同僚やスタッフの死にも直面した。復興に必要なのは希望の灯と心の傷からの回復だと知った。否応なくこの世に生を受け、否応なく死を迎える私たちにとって大切なのは、使命感(生命の使い方)ではなく、人生観(人としての生き方)だと思う。自分の意志(Voluntad)で行動できるのは生きている時だけだ、せいいっぱい楽しめばよい。人がもっともしあわせを感じる瞬間は、誰かが自分と出会えたことをしあわせと感じてくれた時だということを、胸に刻んで。

Fotos. Noviembre de 2017, en Puno y Lago Titicaca
Volví al Perú después de 32 años, invitado por la Federación Peruana de Tenis de Mesa. Enseñando tenis de mesa a los niños indígenas del lago Titicaca, junto con Mónica Liyau, ex campeona, actualmente empresaria que contribuye a la sociedad para el logro de los ODSs, a través del deporte. Con poco oxígeno y sobre esta isla flotante de totora, la mesa y nuestros pies se iban hundiendo.(写真:2017年11月6日 ペルーのチチカカ湖(標高3800m)のトトラと言う葦草でできた浮島に住むウロス族の子どもたちとの卓球交流。卓球を通じたSDGsの達成を目指すモニカさんのImpactando Vidasのプログラムを手伝う。島では太陽発電を取り入れていた。プーノ市でも卓球大会を開催し日本の友人からの卓球用具を寄贈した。

4. Envíenos un mensaje para los actuales voluntarios en el Perú.

Mi vida de tenismesista en el Perú, estaba llena todos los días de nuevos encuentros y extraños desafíos. Fui editor de la revista de los voluntarios, llamada “Chasqui”, donde a través de las reuniones generales de los voluntarios y las de despedida y bienvenida, y reunía información y la repartía a todos los voluntarios. El profesor Mashima, originario de la tierra de los ninja, enseñaba idioma japonés en el colegio La Unión y a la vez llevaba a cabo actividades para la salud e higiene en la isla Taquile, del lago Titicaca. Yo también hice amistad con practicantes de tenis de mesa dirigidos por el entrenador Ernesto Aliaga, de Puno, y realizamos actividades de difusión del deporte allí. En 2017 visité nuevamente Puno, donde organizamos un campeonato local y dimos una clase práctica de pingpong en la isla flotante de los Uros, para los niños de la comunidad. Trabajando en el campo de la cooperación internacional, tuve también muchos encuentros con la muerte. Muertes de compañeros y personal no sólo por desastres naturales, sino debido a bombas suicidas y ataques terroristas. Conocí que, para la reconstrucción, lo que se necesita es mantener encendida la luz de la esperanza y sanar las heridas dentro del corazón. Pienso que para nosotros, que venimos a este mundo inevitablemente, y recibimos la muerte inexorablemente, lo importante es no tratar la vida como consumible, para servir a objetos exteriores, sino apreciar la vida misma, que es única e irreemplazable. Podemos actuar usando nuestra propia voluntad sólo mientras estamos con vida, y por eso hay que disfrutarla al máximo, teniendo siempre en mente que el instante en que una persona más feliz se siente, es cuando alguien se siente feliz de haberla conocido.